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第十一話

 眠い。

 このままずっと、眠っていられたらいいのにと思うほど。

 そんな俺のそばに誰かいる。

 ふわふわと頭を撫でる優しい手。体を包みこむ柔らかな腕。どちらもすごくあたたかい。

 それなのに、耳元に唇を寄せ囁く声は、怖いような悲しいような声だった。

 夕暮れ時に山から聞こえる鐘みたく、低く腹に響くかと思えば、夏をとっくに過ぎたのに軒下で揺れてる風鈴みたく、ひどく弱々しいような気もした。

「いつかきっと」

 その言葉の先を俺はいつも聞く事が出来ない。何か大事な約束を、俺はこの人としたらしい。たぶんとっても大事な約束だ。

 それなのに、俺はそれをまるで思い出せそうにない。

「いつかきっと――」

 その先を聞きたい。でも、今はまだ聞けない。

 その先を聞いたらきっと、俺がどこかに行っちゃう気がする。

 俺はまだ、青ちゃんのそばにいたい。



◆◆◆◆◆



 昨日の夜の夢を思い出す。

 夢の中のあの人はお日様の匂いがしていたけれど、瞼を開いた俺の目にお日様の姿は映らなかった。

 雲に隠れた弱っちい光のせいで目が覚めた気がしない。それでも静かに俺から遠ざかる赤い着物と青い髪に、俺はその背を追い続けた。

 いったいどこに行くんだろうと思っていたら、青ちゃんは町までやって来た。

 風月庵の方へは目もくれず、店が並ぶ表通りにも行かず、どこかへ向かって歩いていく。

 いつもは用のない町のはずれにまで来て、俺は青ちゃんからは目を離さずに、それでもチラチラと視線を辺りに巡らした。

 あんまり面白いものはない。道の端には背の高い白い壁がずっと続いていて、その中にある松の木がちょこっと頭を覗かせているだけだ。

 やがて青ちゃんが足を止めたそこにあるものに、俺はやっと青ちゃんがどこに向かっていたのかを知った。

 でんと大きな門に、なんて書いてあるのか分からないけど、いわゆる威厳? とかいうものを感じる……気がする立て看板。


 道場だ。


 この前、地図を置いていったちょんまげ武士の道場だろう。

 道場ってもっとたくさんの人が剣の練習をしていて、すごくにぎやかなのかと思っていたけど、目の前の門の奥は意外なほど静かだ。

 青ちゃんが門に近づき扉を叩いた。ごんごんと重い音の後に、

「はーい」

 対照的な高い声が返事をした。

 青ちゃんが叩いた扉が少し開いて男の子が顔を出す。俺より小さい。袴姿ということは、ここで剣の練習をしてる奴かな。

 後ろで編んだ炭のように長くて黒い髪、俺より小さい体のこいつはあまり強そうには見えないけれど。

「どちら様ですか?」

 俺の視線よりほんの少し下から青ちゃんを見上げている。日向で遊ぶうぐいすみたいな色のその目が、少し警戒しているのが分かる。

でげいこ(・・・・)に来たよ!」

 俺が青ちゃんの後ろから顔を出すと、その眉間にしわが寄る。

「出稽古……? 父上のお知り合いか?」

 ちちうえ?

 こいつの父上なんて知らない。

「お前の父親かは知らんが、浅葱鷺之丞あさぎさぎのじょうというヤツに言われて来た」

 さぎさぎ……そんな名前だったっけ? ジジ様といい、ちょんまげ武士といい、覚えにくくて仕方ない。

 しかし青ちゃんのその言葉に、やっと男の子の顔にわずかな笑みが浮かんだ。

「それは自分の父上の名だ」

 そう言って扉を開いてくれる。ちょんまげ武士は、どうやらこいつのお父さんだったらしい。

「父上―っ! お客様がいらしているのですが、いかがいたしましょうか!」

 男の子があの高い声で奥にある建物に向かって呼びかけた。あれが、でげいこ(・・・・)をする道場かな。

 すると、昨日のちょんまげ武士が建物の中から出て来た。

 うん。今日もしっかりちょんまげだ。

「お二人共、よく来なさった。立待たちまち、道場に入っていただきなさい。それから、居待いまちも呼んできてくれないか」

「はい、分かりました、父上」

 自分のお父さんに対して、ずいぶんと礼儀正しく返事をしていく男の子に、あいつの名前が立待たちまちだということを知る。

 するとちょんまげ武士が今度は俺たちのことを呼んだ。

「青殿、耶八殿。こちらへ」

 “どの”だって。

 呼ばれ慣れないその名前と呼び方に、まるで呼んでいるのが自分のことじゃないみたいに感じる。

 それでも、ちょんまげ武士が招くのに続いて、俺と青ちゃんは道場へと入った。



 へえ。これが道場か。

 履物を脱ぐと裸足の俺の足に、道場の床はひんやり冷たい。そして俺が飛び回っても大丈夫なくらいに広かった。そりゃあやっぱり、壁も天井もない野っ原に比べたら窮屈には感じるけれど。

「奇妙斎殿は主らに何かおっしゃったか?」

 そうそう、ジジ様の名前はそれだった。何か……言ってはいた。もう歳だとか、お耳がどうとか。

 しかし青ちゃんは、ちょんまげ武士の質問に答えようとはしなかった。

 ちょんまげ武士はそれを気にした風もなく、今度は別のことを聞いてきた。

「では、主らはより強くなる為にこの道場の門を叩いたと解釈してよいな?」

「うん! おれ、もっと強くなりたい!」

 俺にも答えられる質問にすぐさま返すと、なぜかちょんまげ武士は目頭を押さえる。

「よい返答だ。うちの息子もこれだけ素直なら……」

 息子ってことは、さっきの立待のことかな。強くなりたいと思うことに、何か迷ったりすることがあるんだろうか。

 ちょんまげ武士が俺の頭を撫でながら言う言葉に、俺は首を傾げる。

 その時、道場の扉が開いて立待が戻ってきた。隣に女の子を一人連れて来ている。

 やたらとひらひらした着物はつつじの花色。きさらや玖音の着物も丈が短いけど、この子のも短い。中が見えそうとか言ったら、きさらみたいに蹴りそうだから言わないけど。

 顔つきや背丈は立待とよく似ている。ただし雰囲気はまるで違う。

 顔では笑っているのに本当は笑っていないのが分かる。立待からは匂わない女物の着物の匂いが少しする。鼻を誤魔化されるみたいなその匂いが、俺は少し苦手。

「何用ですか、お父上」

 女の子が言った。こいつもちょんまげ武士の子供らしい。

立待たちまち居待いまち。出稽古に来なさった青殿と耶八殿だ」

 ちょんまげ武士は二人の子供にそう言った。見た目ではよく分からないけど、ちょんまげ武士の子供だから、この二人もしかしてかなり強いのかもしれない。

「二人にはしばらく稽古に出ていただく。立待、二人に基礎の鍛錬を教えてくれるか?」

押忍おす

「居待は組手の相手をして欲しい」

「……よいですが」

 すぐに返事をした立待と比べ、居待の方はあまり乗り気ではないようだ。俺たちを見る目は酷く冷たく、殺気すら感じる。

 なんでだろ。



◆◆◆◆◆



 でげいこ(・・・・)が始まって、俺はすぐに思った。

 これは俺に向いてない!

 誰も相手がいないところへ、竹でできた刀を振るのはなんだか虚しい。

 手応えなんてものはなし、同じことを続けるだけの動きはまるで『ししおどし』にでもなった気分だ。あれすら、まだ打ち付ける石があるだけマシじゃないかと思えるくらい。

 実際に相手に刀や殺意を向けられたときには、すぐに反応できる俺の体も、木で出来た道場の大人しい壁を前には力がでない。

 そんな風に刀を振っていた俺に、立待がぴしりと言った。

「まだ身体の軸がぶれています。重心じゅうしんを低く、上体は柔らかく」

「言われたとおりにやったら動きが遅くなっちゃうんだけど」

 軸とかいうのを考えて、腰を落として低くして、なのに腹から上は柔らかく?

 頭で考えながら動かす体は、明らかに鈍く遅かった。今なら、あの緋狐の大鎚にぶっ飛ばされる自信がある。

 だけど立待は譲らなかった。

「確かに、これまでの型を意識して変えれば速度は落ちるかもしれません。しかし、鍛錬の後には確実に、きちんと基礎を身に付けた型の方が速くなるはずです」

「ほんとに? おれ、もっと速くなれる?」

 元々、青ちゃんと違って大雑把な俺の動きは、その速さが持ち味だったりする。

 守りを固めず無謀に相手に斬り込んで行っても、大勢の相手に囲まれたときも、体格のまるで違う奴が相手でも、俺がやり合えてきたのは、速さが大きな役目を果たしていた部分があると思う。

 それが今より速くなるのなら、もっと戦いやすくなるはずだ。

「鍛錬を続ける事が出来れば」

 きっぱりと言った立待に、俺は竹刀を握りしめた。

「よーし、じゃあおれ、頑張る!」

 再び勢い良く竹刀を振り始めた俺だったけど、

「身体の軸がぶれています!」

 すぐさま立待の指導が入った。

 ただ振るだけじゃ駄目なんだった。身体の軸をまっすぐに。重心を低く、上体は柔らかく。これが頭で考えずにできるようになるまで頑張らなくちゃ。

 元々、俺は戦うときに考えたことなんて、ほとんどない。そんな必要はないと思っていた。青ちゃんと会う前には特に。

 目の前の相手から自分への敵意を感じたならば、俺は動けばいいだけだった。

 それが青ちゃんの「待て」に待てるようになったのは、それができないと、青ちゃんと一緒にはいられないから。

 だからこの剣の稽古だって、ちゃんとできるようになってみせる。

 今より強くなれなくちゃ、もうきっと青ちゃんと一緒にいられないから。



 ちらと青ちゃんを見ると、青ちゃんはちょんまげ武士と何か話している。きっとまた、俺には難しい話をしてるんだろう。

 ジジ様は話のとき「お前ら」と言っていたけど、俺が『政府のお耳』なんてのに向いてないのは、ジジ様だってよく分かってるはずだ。頭のいい青ちゃんと違って、俺は馬鹿なんだから。政府なんてもんの役に立つ訳ないし、立ちたいとも思わない。

 それでもそう言ったのは、俺が頷けば青ちゃんも承知するとでも思ったのか、それとももっと、何か考えがあるんだろうか。

 そりゃあ俺は、青ちゃんが行くと言えば青ちゃんの右腕としてどこへでもついて行く。

 だけど江戸政府や町奉行や羅刹のことなんて、俺にはさっぱり分からない。まあ、青ちゃんと俺は盗賊だから、盗賊刈りにはこれからも狙われるんだろう。

 あの烏組とかいう奴らは元は羅刹刈りのくせに。

 難しいことが頭の中をぐるぐるしてきて、俺はそれを振り払うように竹刀を大きく振った。



「そろそろ一休みいたしましょう。居待が今、握り飯を作ってくれていますので」

 しばらく稽古を続けていると立待が言って、俺は振り上げた腕を下ろした。

 うーん。全然強くなれてる気がしない。ちっともしない。まったくしない。

 俺は立待と握り飯を作っているという居待のところへ向かった。

「立待と居待は仲いいの?」

 見た目は似ているけど、まるで感じる雰囲気の違う二人。不思議に思って俺は立待に聞いてみた。

「え? そうですね。仲はいいかと」

「ずっと一緒なの? これからも?」

「それは……二人きりの姉弟きょうだいですから。例え何があろうとも、自分たちの縁が切れる事はないと思いますが」

「そうなんだ。いいね“きょうだい”って」

 俺には“きょうだい”どころか、お父さんもお母さんもいないからよく分からないけど。

 すると立待は少し複雑な顔をして笑った。

「必ずしもそうとは言えません。血の繋がりが時に、大きな揉事や争いを引き起こすこともあるんですよ?……耶八殿は青殿と仲が良くないのですか?」

「俺は青ちゃん大好きだよ? 俺、青ちゃんみたく強くなりたいんだ」

 言った俺の言葉に立待はちょっと目を丸くして、それから笑った。

「耶八殿は率直な物言いをされる」

「でも青ちゃんは何考えてるか分かんない。ついてくんなって言われることも多いけど、楽しそうにしてることもいっぱいあるよ」

 出会った最初の頃も青ちゃんについてくんなと言われた。でも、たくさんの馬鹿やドジをやらかす俺を見て、眉間に皺を寄せながらも笑う青ちゃんは楽しそうだ。

「青殿は耶八殿と違って、あまり多くは語らない方のようですね……」

 居待は青ちゃんの方をちらと見て言った。

「でも片方だけの気持ちでは、どうにもならないこともありますよね」

「あれ、立待も何考えてるか知りたい相手がいるの?」

「そ、それはっ」

「誰? どんな奴? 立待はそいつが好きなの?」

「耶八殿。自分、青殿の気持ちが少し分かる気がしてきましたよ」

 立待が口をちょっと尖らせて言った。

 俺、何か聞いちゃいけないこと聞いたかなぁ……?



 そんなおしゃべりを立待としながら母屋の勝手口から台所へと行くと、居待が冷ややかな目で俺たちを待っていた。いや、冷ややかなのは俺を見る時だけか。立待を見る目と俺を見る目は明らかに別物だ。

「すいぶんと楽しそうですこと。なんのお話をされていたのです?」

「立待と居待は仲良しだねって話だよ」

「当然でございましょう」

 居待は何か勝ち誇った様な笑みを見せると、俺におにぎりが乗せられたお盆を渡してくれた。俺はそれを稽古を終えた青ちゃんのところへと運ぶ。

 おにぎりを手に庭に座った青ちゃんの隣に、俺も足を投げ出し座り込み、早速ひとつ頬張った。

 きさらの作ってくれるおにぎりよりも、ちょっとしょっぱい気はするけど美味しい。何より朝から何にも食べてなくて腹ぺこだったから、俺はひとつ目をすぐに食べ終えて、ふたつ目に早々とかじり付く。

 中身はたくあんよりも、梅干しが良かったな。

 青ちゃんはそんな俺にチラと視線をやると、自分もおにぎりを口に運んだ。「おいしいね」と言おうとしてやめておく。

 青ちゃんの顔は、おにぎりを食べてる顔にしてはずいぶん難しい。この顔は特に美味しいとも思っていない顔だし、聞いた所で返事もしてくれそうにない。

 おにぎりを食べてるときくらい、おにぎりのことを考えればいいのに。

 思えば青ちゃんはいつでもそうだ。

 美味しいとか楽しいとか、好きだとか嫌いだとか、何がしたいとか何が食べたいとか。

 そういった言葉を青ちゃんから聞いた事がほとんどない。たまには青ちゃんからそういうことを口にすればいいんだ。

 だから今、俺からは話してやらない。青ちゃんのマネだ。

「青殿」

 ぼんやり空を見上げている青ちゃんに声を掛けたのは、俺ではなくて居待だった。

 目の前で揺れるひらひらとした布が重ねられた短い着物は、短い割に意外と中は見えない。

「父上がこの地にいらしたのは、貴方を迎える為だとお聞きしました」

「そうらしいな」

 青ちゃんは居待から掛けられた言葉には普通に返事をする。

「では、手加減致しませぬよ?」

「はぁ?」

「私如きに手こずるようでは羅刹相手には到底かなわぬと申し上げたのです」

 羅刹という言葉が居待の口から出てきてちょっと驚く。

「あれ、もしかして居待はおれたちが羅刹に負けた事、知ってるの?」

「さぁ、どうでございましょう」

 居待にくすくすと笑われた。

 居待まで知ってるってことは、他にも知ってる奴がいるのかな。なんだか自分たちが酷く弱くなったみたいで、かっこ悪い。

「羅刹は仕留め損ねた相手の元に再び現れると申します。ご用心くださいませ」

 再び現れる。

 それなら俺の前にも、もう一度あいつらが現れるはずだ。

 もちろんあの時みたく、きさらが殺されそうになったらとか、玖音が危ない目にあったらとか、青ちゃんが大怪我したらとか、考えると二度と会いたくないと思うのに、自分よりも強いあいつらともう一度やり合える……そう思うと、なぜか少しそれを待ち望んでいる俺がいるような気がした。

 青ちゃんならば、おそらく「めんどくせぇ」と言うんだろうこの気持ちは、俺自身にもよく分からないから、そっと腹の底にしまっておく。


 羅刹は強い。


 そのことに何かを期待するみたいなこんな気持ちは、しまっておかなきゃダメなんだ。


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