表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

第十話

 雨がだいぶ小降りになってきた頃、俺たちは小屋へと戻って来た。ちょんまげ武士の笠はまだ、小屋を出たときとおんなじに軒下に置いてある。まだジジ様と話しているらしい。

 そのとき突然、青ちゃんが俺に刀を向けた。

「でこぱち、久々にやるか」

 久しぶりに聞いた青ちゃんからの『遊び』の誘いだった。

 傷はもう大丈夫なのかな。それがちょっとだけ心配だけど――

「いいよ!」

 うずうずしてきた俺の手はもう、背中の刀に伸びていた。

 小屋の縁側の前は『遊ぶ』にはもってこいの開けた場所がある。そこで俺たちは一旦、距離を開けて向かい合った。

 雨がまだ小さく顔を叩くのがくすぐったい。


 俺は強い青ちゃんが、俺と遊んでくれるのが嬉しくって仕方ない。

 この前、羅刹にはこてんぱんにやられちゃったけど、青ちゃんに会うまでの俺には、俺とこうやって向き合える奴なんていなかったから。だから、青ちゃんとこうやって遊べるのが、俺はすごくすごく嬉しいんだ。

 ジジ様がちゃんと教えてくれないから、俺たちはこうやってお互いの腕を磨いている。遠慮なんかしないよ。だって青ちゃんは強い。

 青ちゃんの戦い方が俺は好き。

 相手の動きを読むようにかわして受けて流していで。片方になってしまった腕一つでも、一対一で青ちゃんに敵うヤツなんて、そういない。

 それに青ちゃんは頭がいい。

 そのとき、そのときで、一番いい方法を考えて戦える。それは場所だったり相手の強さだったり周りの状況だったり。

 俺は相手と向き合うとそんなもの、頭からぽんとスッとんでっちゃうから、どんな状況でもちゃんと考えることができる青ちゃんの頭って、どうなってんのか、すごく不思議。

 今ももう、俺は青ちゃんに飛びかかりたい衝動を押さえられない。

「いくよ、青ちゃん!」

 ぬかるむ地面を泥を飛ばしながら蹴り上げて、俺は大きく振りかぶった刀を、青ちゃんに向かって振り下ろす。

 とたんに鋼がぶつかり合う鋭い音。

 ジンと小さく痺れる手。

 青ちゃんは避ける事なく左手一本で、俺の刀を迎え撃ったのだ。


 さすが。


 思わず顔がにやけると、青ちゃんもにやりと笑みを見せた。

 青ちゃんは俺より長い手足で、俺の間合いにすぐに入り込む。だから俺はそれより早く、自分から青ちゃんの間合いに入り込まなきゃいけない。

 頭から振り下ろした刀の勢いを殺さぬように、そのまま青ちゃんの横に回りこもうとすると、まるでそれを狙っていたかのように青ちゃんの足が振るわれた。

「うっ……わ……!」

 なんとか避けたけど、その足先は俺の腹を掠めた。

 あっぶな……。

 勢いを削がれて俺は、青ちゃんの間合いに入らぬように一度、青ちゃんから離れた。

 よし、ここからもう一度――。

 思って構えた俺だったけど、こちらをじっと見ている視線がある。

 面白がるような、品定めしているかのようなその視線。

「……何か用なの?」

 俺は小屋の前に立っているそいつに向かって言った。せっかくの『遊び』を邪魔されたみたいで気分が悪い。

「いや、よい腕だ」

 ジジ様に会いに来たちょんまげ武士だ。

 軒下に置いてあった笠を被り、こっちにするりと近づいてくる。

「ただ惜しいかな、剣術の基礎が足りておらぬようだ。主らはまだ、強くなる」

「ほんと?」

 それって、あの羅刹たちにも勝てるってことかな。

 俺はもっと強くなりたい。

 もう羅刹にも『アレ』にも負けたくない。

「どうやったら強くなれるの?」

「基礎を学び直す事だ。奇妙斎殿から教わってもよいと思うのだが……」

 きそ? 

 そんなもの学び直すも何も、初めから教わったことなんてない。

 きみょうさい?

 ………………ああ、ジジ様の名前だっけ。

「ご助力差し上げよう。出稽古は常に歓迎しておる。気が向いたら、立ち寄るといい」

 ちょんまげ武士はその場で紙に何か描いて青ちゃんに渡すと、静かな足取りで来た道を戻っていった。

 俺は青ちゃんが手にした紙を覗き込もうと爪先立つが見えない。青ちゃんはそれを持って縁側に行くと、床に広げて張り付けた。雨で滲んでよく分からないけど地図みたい。

「何の地図だろ?」

「出稽古っつってたからな、道場か何かまでの地図なんじゃないか?」

 そこに行けば強くなれるのか。

 じゃあ、早く乾いてくれなくちゃ。

 滲んだ地図はだんだん読めなくなっていっているみたいで、ちょっと焦る。

 俺は縁側に四つんばいになって、床にぺしゃりと張り付いている紙に息を吹きかけた。

 早く乾け。早く乾け。

 するとなぜか青ちゃんの手が俺のでこをぐりぐり押してきた。

 えー? なあに? 今度は相撲でもするの?

 そのまま、でこで押し返したら、思いの他、強い力で更に返された。

 むう……首が痛い。

 床についていた両手両足を踏ん張って、でこを押す青ちゃんの手を強く押し返すと、ふいに青ちゃんが手を引いて、勢い余った俺は向こう側へ派手に転がった。濡れた着物の背がべしゃりと床を打つ。

 仰向けに転がった俺の目に入った青ちゃんは、にやりと小さく笑っていて、俺はそんな青ちゃんに仕返ししようと飛びかかった。


「青ちゃん! ハチ! 縁側で何やってるの!」

 聞き慣れたお説教風のきさらの声に、俺と青ちゃんの体が固まったのは、その後しばらく取っ組み合った後だった。

 町まで竹千代と出掛けていたはずだったのに、いつの間にか帰ってきたらしい。

 俺は青ちゃんに床に顔をねじ伏せられ、俺はそんな青ちゃんに蹴りを入れていたんだけど、雨で濡れた体で転げまわったせいか、縁側はびしょびしょのどろどろ。

 仁王立ちで俺たちを見下ろすきさらの目が怖い……。

 きさらと手を繋いだ竹千代までもが、呆れたように俺たちを見ている。

「今すぐきれいにして」

 床を指差し言われた言葉に、俺と青ちゃんはすごすごと雑巾を手にして、汚した縁側を綺麗にしなくちゃならなくなった。



◆◆◆◆◆



 辺りが真っ暗になっても、相変わらず雨は降っていた。

 綺麗になった縁側とは逆に、更に汚れた俺と青ちゃんは裏で水を浴びた。そうしないときさらが部屋に入れてくれないから。

 髪の中まで入り込んだ泥も洗ってぼさぼさの髪を、青ちゃんが拭いてくれるのが心地いい。囲炉裏端を見れば竹千代が地図を火に翳しひらひらさせていた。

 なるほど。そっちの方が早く乾きそうだ。

 囲炉裏端でジジ様が吹かす煙草の匂いの傍に、俺たちは座る。

「湯冷めしないようにね」

「はぁい」

 囲炉裏で揺れる赤い炎が暖かい。

 腹の底まで解されるようなぬくぬくとした気持ちになる。野宿となるとこうはいかない。

 青ちゃんの怪我は治ったのだから、もう、きさらのいるこの小屋にいなくてもいいのかもしれないけれど、できればまだこうやって、みんなでご飯を食べたり、みんなでしゃべったりしていられたらいいのにと思う。

 とんとん。ジジ様の煙管が囲炉裏端を叩いて、俺は炎を見ていた顔を上げた。

「おい、青、デコ。話がある。きさらはガキ連れて奥行っとけぃ」

 突然言ったジジ様に、きさらは不思議そうな顔をしていたが、竹千代の手を引いて奥の部屋へと行ってしまった。

 囲炉裏の周りにはジジ様と青ちゃんと俺の三人。

 話があると言ったくせにジジ様は煙管を咥えていて、なかなか口を開かない。

 青ちゃんも何も言わないから、部屋の中はシンとしている。

 ……静かだ。

「ジジ様、話って何?」

「急くな、デコ」

 思わず訊いた俺のでこに、じゅっと何かが飛んできた。

「熱っちー! 熱い! 熱い!」

 ジジ様の弾いた煙管の灰だ。

 俺が慌てて冷たい床にでこを擦り付けていると、やっとジジ様が話を始めた。

 それはまだ、ジジ様がまだジジ様じゃなくって若かった頃の話で、当たり前だけどジジ様にもそういう頃があったんだな、なんてことを俺はぼんやり思っていた。



「……お耳?」

「ああ、そうだ」

 終わったジジ様の話に青ちゃんが眉間に小さく皺を寄せる。

 ジジ様は前は賽ノ地じゃなく、もっと中央、つまり江戸に住んでいたらしい。その頃のジジ様は名前を知らない奴がいないくらい強くって、人を斬るのが仕事だったとか。

 だからその強いジジ様は、江戸の偉い人たちのため、中央政府の隠密として働いていたって話。その隠密を『お耳』と呼ぶんだと。

 まあ、ジジ様がその辺のじいちゃんとは違うってことぐらい、俺にも分かるけど。渋い顔をした青ちゃんは、まだ何か気になることがあるらしい。

「何で今頃、そんな話を俺たちにするんスか?」

「先ほど、髷結った男が来とったろう。あやつは江戸政府のつながりのモンでな。わしに今さら復帰を請うてきおった」

「え、じゃあジジ様、また働くの?」

「阿呆抜かせ」

 訊いた俺に、またもジジ様は煙管の灰を飛ばしてきたが、同じ手を二度も食うもんか。俺はそれを余裕でひょいとかわす。

 へっへ。どんなもんだい。

「デコは気づいとらんだろうが、青、お前はこのところの賽ノ(さいのち)の動きに感づいとるはずだ。ここは近いうち、政府にとっても羅刹たちにとっても重要な拠点となる。ますます荒れるだろう」

 ジジ様は青ちゃんに向かって言った。青ちゃんは黙っているけれど、やっぱり何か気づいているんだろうか。

 羅刹のお城が賽ノ地に建つ。それは賽ノ地に住んでいる人たちにとって、とっても危ないんじゃないかって俺は思うんだけど、それと江戸政府がどう関係あるのかまでは、よく分かんない。

「だが、わしももういい加減、隠居したい。羅刹族が相手となると、か弱いジジィが出る幕じゃなかろう。それも、受けるなら一度江戸へ来いというお達しだ。この老体には江戸までの道のりはきつくてのぅ」

 ええ? か弱いジジィって誰のこと。何がきついの。

 言おうとしたけど、今度は灰じゃないもんが飛んできそうで俺は口をすぼめた。

「だから代わりにお前ら、行って来い」

「……はぁ?」

 青ちゃんの口から間抜けな声が出る。

「お前ら、政府の側について、世のため人のために働いて来い」

 世のため人のためって……政府は別に俺たちになんにもしてくれないけど。

「聞いた話によると、盗賊を狩ってるのは賽ノ地の町奉行所のお達し……盗賊の俺たちが政府の隠密ってのは筋が通らねぇと思うんスけど」

「その辺は政府の方にも細けぇ事情があんだろ。お前の関知する処じゃぁない」

 どうするんだろう。

 俺は青ちゃんの答えを待つ。

「面倒だから嫌です」

「青ちゃんが嫌なら、おれも嫌だ」

 青ちゃんの答えは青ちゃんらしいもので、俺はちょっとだけほっとした。

 だけど、

「……怖いのか?」

 ジジ様が言った言葉に、青ちゃんが息を呑んだのが分かった。

 怖い? 青ちゃんが何を怖がっていると言うんだろう。

 青ちゃんは今度は答えなかった。

「まあ、いい。気が変わったらまた来い」

 ジジ様は一度長く煙を吐くと、話しは終わりだと言うようにまた煙管を咥えた。




 雨は相変わらず降っている。

 月はない。笠もない。だけど青ちゃんは小屋を出た。

 俺に何も声を掛けずに。

 俺は履物を引っ掛けるようにして追いかける。

「ついてくんな」

 こっちを見もしない青ちゃんに言われて足を止めたが、青ちゃんは止まらず行ってしまう。青ちゃんがいったい何を考えているのか分からない。

 闇夜の中に溶けていく赤い着物に、今それを見失ったらもう二度と、青ちゃんを見つけられない気がして追いかけた。再び色を取り戻した赤い背が、話しかけるなと言っている様で、俺はそれ以上近づくのを止める。

 青ちゃんは俺が追いかけてきているのに気づいているはずなのに、振り返ることはなかった。


 夜が更けてもまだ降り続ける雨の中、荒れ地の杉の木の下で俺は青ちゃんに追いついた。というのも、青ちゃんがそこで横になっていたからだ。

 俺は青ちゃんの隣に寝転んで空を見上げた。

 枝に干すようにかけられた青ちゃんの赤い着物が揺れている。その向こうに見える空は真っ黒だ。明日は晴れるだろうか。

 久々に青い空が見たいと思った。




 隣の気配がなくなって、目を開くと朝だった。

 雨は止んでいたけれど、残念なことにどんより雲が空を覆っていて、その向こうにあるはずの青は見えない。

 顔を巡らせると、まだそんなに離れていないところに、青ちゃんの姿を見つけて俺は体を起こした。お日様の姿が見えないせいで、今がどのぐらいの時間なのか分からないけど、まだ眠い。でもぐずぐずしていたら、青ちゃんがどこかへ行ってしまう。

 重たい瞼を擦って、俺はまた青ちゃんの後ろを歩き始めた。

 いつもなら――例えば面白そうな見世物がやっていて、それに気を取られてはぐれても、すぐに青ちゃんを見つけ出せるけど。なんだか今の青ちゃんは、俺が見つけられないところに一人で行ってしまいそうで。俺には見つけられないんじゃないかって思っちゃって、それが不安だった。


 俺は青ちゃんになりたかった。

 頭が良くて強くって。なんだかんだで優しくて。

 俺も青ちゃんになれたらいいのにって、何度も何度も考えた。

 『アレ』の囁きが聞える。『欲しければ奪えばいい』と。

 でも違った。俺が青ちゃんになったらもう、俺は青ちゃんの隣にいられない。

 俺がなりたかったのは青ちゃんじゃない。俺が欲しかったのは青ちゃんの右腕でも右目でもなかった。

 俺が欲しかったのは青ちゃんの隣。

 俺もこうなりたいと思う青ちゃんを、すぐ傍で見ていられるその隣に、ずっといられるぐらい強い自分が欲しかったんだ。


 青ちゃんが何も言わないのは、きっと俺が頼りないから。

 今は隣じゃなくてもいい。それでも俺の名前を呼んでくれるなら、俺はすぐに飛んでいくから。

 だから青ちゃん。消えないで。

 俺きっと、もっともっと強くなってみせるから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ