特に何をするでもなく終わっていた話
ロッテーシャ・エリンヒルドは友人たちと茶会をしていた時、聞き慣れない名を耳にした。
聞き慣れない、というだけで名を知ってはいる。
いるけれどそれだけだ。
個人的な交流があるわけでもないので友人という関係ですらない。
精々ちょっと名前を知っている程度の、知人と言うにも微妙すぎるもの。
「それで、彼女なんでも修道院に行く事になったんですって」
「修道院? それはまた急ね……」
「そうよね、別に病気とかそういうものがあったわけでもないのでしょ?」
友人たちの会話があまりにもポンポンと進みすぎて、ロッテーシャは置いていかれないように耳を傾ける。そうしないと出されたお茶があまりにも美味しくて、そちらに意識を向けてしまいそうだったので。
そうしてこちらに話を振られたら「えっ?」なんて反応をしてまた聞いてなかったのね、とか言われるかもしれなかったから。
今の話題は、リザレット・ミュリシス侯爵令嬢が突如修道院に行ったというものだ。
ロッテーシャとは派閥の違う家。
ロッテーシャは伯爵家の令嬢で、相手は侯爵令嬢で派閥も違うとなればそもそも関わる機会がほとんどない。
学院の淑女科に在籍しているとはいえ、それだけでクラスも違う。
同じ学校にいる、だけで友人面などできるはずもない。
金色の髪と炎のように赤々とした瞳が美しい、太陽の女神みたいな人だった。
「ねえロッテ、貴方何か知ってる?」
「えっ?」
「あ、もしかしてまた聞いてなかった?」
「いえ、聞いてはいたわ。でもどうして私に?」
「だって貴方絡まれてたじゃない!」
「そう、だったかしら……?」
そんな風に返せば友人たちはまたロッテはぽやぽやしちゃって、なんて呆れたり笑ったりしている。馬鹿にされているわけではない。それはロッテもわかっている。
思い返してみると確かにロッテーシャは以前リザレットに声をかけられた事がある。
ただ、別にお友達になりましょうとかそういう話でもなく、言われてみれば確かに絡まれた、が正しいかもしれない。
「貴方にセルジュ様は過ぎた相手よ。弁えたらどう?」
要約するとそんな事を言われたのは、そこそこ前の話だ。
セルジュ――セルジュ・カーマインは公爵家の長男で、ロッテーシャの婚約者である。
冬の夜空に浮かぶ銀色の月のような鋭い輝きの髪と春の淡く優しい金色の月のような瞳の、どこか人を寄せ付けない美貌の青年。ただ見た目だけが整っているわけでもなく、中身も優れていると評判の――多くの令嬢憧れの存在でもあった。
そんな令嬢人気の高い相手がロッテーシャの婚約者なのだ。
そのせいで嫉妬ややっかみがそこそこあるものの、ロッテーシャとしてはでしょうねぇ、としか思っていない。
直接的に喧嘩を売ってくるような相手はそこまでいないので、別に陰でコソコソ言うくらいなら好きにさせている。危害を加えてくるようならロッテーシャも手を打つが、そうでないのなら放置である。
不満を吐き出して、それで失恋にしっかり決着をつけて前を向いていくのならそれでいい。
どうせ何をどう頑張ったところで、ロッテーシャとセルジュの結婚は覆らないのだから。
家同士の利があるというのもそうだが、この婚約を持ち掛けてきたのは王家でもある。
じゃああとはもうロッテーシャの家かセルジュの家のどちらかにどうしようもない瑕疵ができるだとか、王家が新たな王朝にとってかわられるとかでもしない限りこの結婚は行われる。
そういえばリザレットにロッテーシャは貴方みたいな地味な容姿がどうのこうのと言われた気もするが、容姿だけで婚約を結ぶような家なのだろうか。ミュリシス家は。
ふと疑問に思ったので、ロッテーシャはその内容を友人たちに話した。
「あぁ……間違いなくそれですわ」
「ロッテ、貴方どうしてそこに答えがあるのに気づきませんの……」
「真相に至ってるのに本人が気付いてないの、一体なんの冗談なのよ……」
答え、と言われてもロッテーシャにはいまいちピンとこなかった。
友人たちからすれば答えに辿り着いてるくせにその答えに気付いてないとか、将来的に致命的な事になりそうだわ……と思った時期も確かにあったが、答えを知らないわけではなく既に辿り着いてる状態なので、周囲が勝手に察するために今の今までそれでロッテーシャが困った事はない。
「いけると思ったのでしょうねぇ……侯爵家と公爵家ですもの」
「王命の部分すっぽ抜けてたんでしょうねぇ……」
「恋は盲目っていうものね」
各々勝手に納得して、そうして話題は他に移る。
ロッテーシャからするとまだちょっと意味がわからなかったが、まぁ別に引き延ばす程の内容でもなさそうだし、新しく移った話題の方がロッテーシャ的にも楽しそうだったので、リザレットの事はまぁいいか、で流して会話を楽しんだ。
「――そういえば、私の容姿って地味、なんでしょうか?」
ふと思い出して問いかけたのは、セルジュと婚約者としての交流を、という感じででかけた先の事だった。
王都で今話題沸騰中の劇団のミュージカルを楽しんで、その後軽く食事を……となって現在はレストランである。
ミュージカルの感想を語らっていたところで突然そんな事を言われたものだから、セルジュは「突然どうしてそんな事を?」と聞き返した。
「いえ、以前そういえば言われたなと思い出しまして」
「言われた? 誰に」
「リザレット・ミュリシス侯爵令嬢に、ですわ」
「あぁ、修道院に行ったという、あの……」
「セルジュ様もご存じなのですか?」
「それなりに広く知られてる話だ」
「そうでしたか……」
「それで、容姿?
ロッテの容姿は別に地味でもなんでもない。
綺麗だよ、ロッテ」
「まぁ……面と向かって言われると照れますね」
頬を染めてはにかむロッテを、セルジュもまた目を細めて微笑んで見た。
セルジュはリザレットの事を知っている。
以前、婚約が決まる前にもちょこちょこと接触をはかろうとしていた女だ。
自分こそが貴方に相応しいのだと、言葉にこそ出してはいなかったが態度が物語っていた。
家の利を考えるのなら、別にミュリシス家との繋がりも悪くはなかった。
だがセルジュはリザレットの事が気に入らなかった。高位身分の貴族として生まれ育ったため、自分より下を見下す部分があったとしても仕方なかったのかもしれない。
だが大半の貴族はその傲慢さを理解した上で振る舞っている。
理解していない者に関してはいずれ自分がそちら側に落ちるだけだ。
傲慢な振る舞いをとっていても、それは貴族らしさの一つであり、またそれと同じだけ貴族としての責務を果たせば問題のない話。
だがリザレットは違った。
彼女は自分自身が傲慢であるなど思ってすらいなかっただろう。
だから王命で結ばれた婚約だというのに、それでもなおロッテーシャに食ってかかった。
セルジュはその話をたまたま目撃していたから知っている。
あの時あの場に出ていって、リザレットに弁えろと言うだけなら簡単な話だった。
だがロッテーシャが言いがかりをつけられていて困っている……という風でもなかったから、セルジュは姿を出せなかったのだ。
そんな事をして、ロッテーシャがこの程度の事も自分で解決できない女、とみられるのも癪だった。
解決も何もロッテーシャは問題視すらしていない状態だったので、騒ぎを大きくしてやる義理もない。
少なくともその場でそうしてやる必要などなかった。
かわりに別の場所でその種を育てはしたけれど。
王命でもあるのだ。
だからセルジュは親戚であり友人でもある王太子にリザレットの事を話題に出せば済むだけの話だった。
あとは王家が結んだ婚約に割り込もうとした女の家など、放っておいてもどうとでもなる。
決してなんとかしてくれなんて頼んだりはしない。
ただそうやってでしゃばる女が今後も別の何かをやらかさないはずがない、と思わせれば充分だった。
夫人が切り盛りするべき部分は確かにある。その時に率先して表に立たねばならぬ事もセルジュは理解している。だが、そうでない時にまで前に出てくるようでは高位身分の貴族夫人としては及第点である。
時に影のようにひっそりと目立たぬようにする必要だってあるのだから。
セルジュは王太子にリザレットの事をクジャクの雄のような娘と称しただけだ。
ロッテーシャの能力不足を責めるでもなく容姿を貶めて身を引くように言い募った時点で、リザレットもまた己の能力的に勝算はないと理解していたのかもしれない。いや、そこに気付かずわかりやすく容姿に思考が向いただけの可能性もあるが。
だがその結果、リザレットは見た目だけで高位身分の貴族の婚姻が成ると思っている節がある、とするには充分だった。
侯爵家の娘だ。教育が足りていないわけではないだろう。
だが、公爵家からも王家からも、リザレットは見た目だけが取り柄だと思われた時点で侯爵家からすれば、娘の価値は大きく下がった。セルジュの婚約に余計な嘴を突っ込まなければ今頃はリザレットにも婚約者ができていたかもしれないのに。
ミュリシス家の娘は見た目だけしか取り柄がない。
だから懸命に鳥の雄のように容姿を派手にして注意を引こうと必死なのだ。
そんな風に公爵家と王家から見なされていると知った侯爵はさぞ焦っただろう。
リザレットの評判について別に積極的に広めたわけではないが、侯爵の中ではそれなりに広まったと思ったに違いない。今はまだそうでなくとも時間の問題だとも。
娘の美しさが良い方に広まればまだしも、よりにもよって悪い方に広まれば婚約者探しどころではない。
鳥は雄の方が容姿が派手な事が多く、雌は地味な種が多い。雄はその華やかさで雌の気を惹きつけなければならないが、鳥であるのならそういうものとして微笑ましく見る事もできるだろう。どのみち他人事なのだから。
だが自身の娘がその鳥のように必死である、と思われてしまえば。
そうまで必死にならないと相手すら見つからない、と陰で囁かれる事まで侯爵は考えた。
噂というものは残酷である。事実とは異なっていても時に真実のように囁かれる。
そうまでして飾り立てないと男に見向きもされない、と思われたとして、実際リザレットを見た者は噂と違いそこまで醜いわけではないのだな、と思うかもしれない。だが同時に、その美貌が相当盛られている、と疑われる可能性もあり得るのだ。
本来の美貌ではない、と思われているとリザレットが知れば娘は間違いなく怒り狂うだろう。
プライドの高い娘がそれを笑って受け流すとは思わなかった。
そうして怒りで周囲に当たり散らすような事になれば、噂は更に悪い物が広まってリザレットの評判は勝手にどんどん下がる一方。
そこまで考えて、侯爵はこれ以上に侯爵家の評判が落ちる前に手を打った。
蓋を開けてみればただそれだけの話だ。
そうなるように、セルジュが誘導した部分が無いとは言わないが。
王家も関わっている婚約に愚かにも割り込もうとした娘の処罰。
反省のためにしばらく中央から遠ざける。
この話が落ち着いた後でなら、娘の結婚もどうにかなると考えているかはセルジュにとってはどうでもいい。その頃にはとっくに自分はロッテーシャと結婚しているはずなので。
未だに照れた様子のロッテーシャを見る。
夜の闇のような黒い髪は艶やかで、思わず触りたくなるもセルジュはそっと自身の右手を左手で押さえた。
肌は透き通るように白く、だからこそ赤くなっているのがよくわかる。
ぱっちりとした瞳は冬の空に輝く一等星のようで吸い込まれてしまいそうだとセルジュが何度思ったかはわからない。
淡く色づいた唇も、丁寧に整えられた爪も、ロッテーシャのどこを見たってセルジュからすれば魅力的でいつまで見ていたって飽きる事がない。
夜の女神はきっとこのような姿をしているに違いないとさえ思っている。
こんなに美しい婚約者を、よくもまぁあの女は地味だなんだと言ってのけたものだ……と内心でリザレットに対し毒づいて。
いつまでもあの女の事を思考の片隅に残すのも面倒だとばかりに、セルジュはロッテーシャに対して楽しい話題を提供するのであった。
次回短編予告
アイナの恋はあっけなく終わりを迎えた。
けれどもすぐに割り切る事なんてできなくて、諦めきれずに彼の近くにいようとしたけれど。
アイナが次に気にするようになったのは、そんな失恋相手の恋のお相手、いわば恋敵であった。
次回 かわいいもの
そうして最後に得たものは――




