8話 気になる子
恵月町北区。住宅が建ち並ぶ中にあるマンションの駐車場に、一人の男が血相を変えて駆け込んだ。
その後を怒りの形相の魁が追いかけていた。
「こ、の……っ、大人しくしやがれってんだ!」
「うわああぁぁ!」
「魁、ストッ――」
逃げ惑う男の腕を掴んだ魁を見て、先を読んだ都季が止めようと声を上げた。しかし、勢いづいた魁を止めることは叶わず、男の体が宙に舞う。
夕方の今、駐車場には車を停めたばかりの人など、数人がいた。一様に何事かと視線を向けてきている。
都季の肩にいた月神は、溜め息を吐いて「後始末が増えたの」とぼやいた。通報されていないのが不幸中の幸いか。
「がっ!?」
「……あーあ」
魁に投げ飛ばされた男は重力に従って落下。背中を地面に打ち付けて気を失った。
その鈍い衝撃音に肩を跳ねさせた都季は、一仕事を終えてすっきりした魁を見てがっくりと項垂れた。
月神が目を回す男のそばに浮遊して行くと、様子を伺ってからきっぱりと言う。
「うむ。やはり、特体者だの」
「はぁ!?」
予想外の答えに、魁は愕然として声を上げた。
すると、断言した月神はやや呆れを滲ませて魁を見据える。
「依人としての力はない。見極めが甘かったな」
「で、でも、町中で複数同時に傷害事件が起こってたわけだし、イノ姐達も『虱潰しにやるしかない』って……」
先日から、依人が襲撃に遭う事件が目に見えて増えてきていた。いよいよ偶然とは思えない状況に、関わるなと言われていた都季達も調査に乗り出していた。
動き始める際、茜から言われたことを挙げれば、月神がそのあとの補足を述べる。
「『対処に当たる前に、依人がどうか見極めろ』とも言うておったがのぅ」
「うっ」
返す言葉もなく項垂れる魁に、見かねた都季は助け船を出すことにした。
周囲にまだ人はいる。いくら記憶操作をするとはいえ、今の状況は一般人からすれば何もない空間に向かって魁が一人で話しているようだ。
「まあまあ。どちらにしても、この人は傷害事件を起こしてたんだし、捕まえたんだから結果的に良かったんじゃない?」
地面に転がったままの男性は、傍らに折り畳み式のナイフを落としていた。念のため、都季はナイフを足で蹴って男性から遠ざける。
約十分ほど前、都季達は彼が路地裏で一般人にナイフを向けて脅している現場に遭遇した。最近の通り魔と関係しているかと思い、また、見過ごしてはおけないと追いかけて今に至る。
追っていた際、月神は依人ではないと気づいていたが、止めなかったのはどちらにしろ罪を犯した人だったからだ。投げるのは予想外だったが。
「ちぃとの気の緩みから、幻妖世界が世間に知られる可能性がある。念には念を入れて損はない」
「あー……」
男性の犯行を見つけた時、魁は宝月から暮葉を呼び出した。突然現れたシェパードに驚いた彼は、悲鳴を上げながらここまで逃げてきたのだった。
確かに、依人以外の前で宝月の制限を解除してしまったのは失敗だ。判断がついていなかったからでは済まされない。判断がついていないならば、尚のこと、慎重に行動するべきだった。
都季は魁に向き直ると、助け船を諦めた。
「ごめん、魁。フォローできない」
「都季まで……!」
「魁先輩、都季先輩。こっちはハズレ……あ、手遅れでしたか」
「おっせぇよ!」
ショックを受けた魁が捨てられた子犬のような顔をしたのと、別行動をしていた悠が駐車場に到着したのは同時だった。
もっと早く連絡があれば余計なことはせずに済んだのに、と魁が八つ当たりをすれば、悠の表情が一瞬だけ嫌そうに歪んだ。かと思えば、すぐに言葉の刃が放たれた。
「分からないほうがどうかと思います。僕らは十二生肖であり、その辺の依人とは違うんですから」
「ううっ」
「はは、容赦ないな……」
立ち直る隙を与えない悠に、魁はどんどん沈んでいく。しかし、悠は気にせずに周囲にいた一般人の記憶を書き換える。
隣で聞いていた都季は乾いた笑いを零しつつ、その場に膝から崩れた魁の肩をしゃがんで叩いた。
「どんまい、魁」
「うー……琴音がいたらちょっとは癒されるのに」
「そういえば、卯京さんはどこに行ったの?」
琴音から容赦ない一言が発せられるのはあまりない。慰めることの多い彼女がいれば精神的には良いのだが、あいにく、琴音の姿はこの場にはなかった。
しかし、彼女が無断でいないのではないと悠が証明した。
「別件があるとかで、こちらにはいないですよ」
「『別件』?」
「すぐに行ってしまったので、僕も詳しくは知りません。月神は何か聞きましたか?」
「知らぬのぅ。気になるようなら見てくるが?」
十二生肖は必ずしも同じ任に就くわけではない。内容によっては十二生肖全員が当たることもあるが、大抵は別行動だ。
また、月神は宝月を通して各十二生肖の様子を知ることができる。そのため、十二生肖の誰かに危険が及んだり、良からぬことを謀っていれば、すぐに月神に伝わる。
最も、一夜や悠のときのように障害が起これば知ることは叶わないが、そのときは異変があったと判断して他の十二生肖が駆けつける。二人のときは現在地が不確かだった上に状況が状況だったため、それもできなかったのだ。
「大丈夫でしょう。琴音先輩なら。なんだかんだで、僕らの中では一番、冷静に対処できる人ですからね」
「それもそうだの」
「俺達はこの人を警察に引き渡してから、依人襲撃犯の捜索再開だな。……ほら、魁。しっかり」
元気づけようと少し強めに背中を叩いて言えば、魁はまだ落ち込んだ余韻を残しつつもゆっくりと立ち上がる。
それに続いて都季も立ち上がると、悠のスマホにタイミングよく連絡が入った。
悠はスマホの画面で相手を確認してから通話ボタンを押す。スピーカーにすれば、会話は都季達にも聞こえるので問題はない。
《お疲れさん。魁達は見事にハズレを追ってたみたいだな》
「うっ」
「イノ姐、トドメ刺しましたよ」
せっかく立ち直ろうとした魁だったが、通話の相手、茜の一言で傷を抉られた。
彼女は、自業自得だろ、と一蹴してから次の指示を出す。
《今、担当区域の警察と、記憶操作のための調律師を向かわせてる。ハズレはそっちに任せて、お前らは新しい場所に向かってくれ》
「またですか?」
たった今、特体者ではあるが恐喝犯を取り押さえたところだ。
矢継ぎ早に起こった新しい事件に、声を上げた悠だけでなく、都季や魁も瞠目した。
ただ、茜も多発する今回の件に関しては辟易しているのか、やや疲れた声音が返ってくる。
《ああ。どうも、そっちは依人みたいだ。襲われているのも、襲っているのもな。今は調律師が追ってる》
「種族は特定できているんですか?」
《襲われているのは四級継承者で、種族は『ノーム』。相手に関してはまだ解析中だ。なんでも、調律師の目に留まらないそうだ》
視界に入れることのできない敵、となると都季達も一層の注意が必要になる。
悠や魁はまだどこか余裕を漂わせているが、それは自身が対抗手段を持っているからだ。
「四級か……。下手をすれば、力が荒れて堕ちるやもしれんのぅ」
「調律師は調整に入ってないんですか?」
調律師ならば、依人の力の乱れを整えてやることができる。そのため、破綻初期の者だけでなく、破綻の可能性を持つ者がいれば出動する。今回も調律師がいるならば、力が乱れようとも調整をすれば問題ない。
簡単そうに問いかける悠に、茜は溜め息混じりに返す。
《慌てふためいて逃げている奴だぞ? 調整しても難しいだろうが》
「あ、なるほど」
力の安定化には、本人の精神状態も大きく関わる。精神が落ちつかない状態で整えたとしても、その矢先から乱れては意味がない。
対策を茜や魁と共に練りはじめた悠を見て、都季は肩に戻って来た月神にこっそりと問う。
「四級でも破綻する可能性はあるんだ?」
「……継承組は、何級になろうとも破綻の可能性がゼロではない。故に、己の力量をきちんと把握しておかねばならんのだ」
「そっか。……ん? それって――」
「都季ー。次、行くぞー」
一瞬、何かを躊躇ったようにも見えた月神だったが、すぐに都季から視線を逸らすと淡々と答えた。
それに納得して頷いた都季は、すぐにあることに気づいてさらに問い掛けようとしたが、話を終えた魁によって遮られてしまった。
「早くしないと、また犯人逃しちゃいますよ?」
「あ、ああ。そうだな。分かった」
今は小さな疑問を解決するよりも犯人を探すことが先だ。
魁達に続いて駐車場を出た都季は、一抹の不安を抱きつつも、目の前のことに集中することにした。
□■□■□
局の地下、神降りの木がある部屋は、今日も青白い光に満たされていた。
木の様子を見るために部屋を訪れていた蒼姫に、朝陽が無邪気に声をかける。
「ねえねえ、蒼姫!」
「なんでしょう?」
「僕らも外に出たいなぁ」
「ダメです」
「なんでー? 『前』は出してくれたじゃない」
蒼姫は可愛らしく小首を傾げて要求する朝陽を軽く一蹴しつつ、彼の仕草にシエラと似たものを感じて笑みを零した。
肩にいる当のシエラはきょとんとしており、まさか自分を重ねられているとは思っていない。
朝陽の言う「前」とは、局が襲撃される以前のことだ。外の様子を知っておいて損はないだろう、と蒼姫は他の人の目を盗んでしばしば二人を外に連れ出していた。上司である師長の才知は気づいていたが、大きな被害が出ていないため、あえて見逃してくれていたとは知っている。
しかし、現状は以前よりも危険な状態だ。蒼姫一人で片付けられない可能性もある今、すんなりと出すわけにはいかない。
「今は危険が多いですからね。もう少し、平和になったら出ましょう」
「シエラだって外に出られるのにー」
『ボクは強いからね!』
『傲るでない』
『「おごる」ってなぁに?』
『…………』
口を尖らせてぼやく朝陽に、蒼姫の肩から自慢げな声が上がった。まだ幼いシエラは、決して一人で敵の対処ができるわけではないが、これも幼さゆえの発言だ。
アッシュが軽く窘めるも、シエラは難しい言葉を理解できずに首を傾げた。
「前は出られたのにな……」
「あはは……。まぁ、師長から遠回しに注意も受けましたし、今は見逃してくれないと思いますよ」
『あやつは軽そうに見えてそうではないからな』
調律師をまとめる才知は、その性格から軽く見られがちだが、実際はそのままではない。締めるところはきちんと締めており、メリハリがはっきりとしているだけだ。ただ、仕事中に突然、スイッチがオフになってサボるのは問題点だが。
破綻組の増加に加えてラグナロクも活発になっている以上、拗ねる朝陽には申し訳ないが、こればかりはどうしようもなかった。
すると、今まで静観していた夜影が蒼姫に助け船を出した。
「朝陽。あまり困らせてやるな」
「でも、ちょっと気になる子がいるから、直接、行きたいんだけどなぁ」
「それに関しては父上に任せておけばいいだろう。我らは木の守りを固めておかなくては」
再び襲撃が起こらないとは言い切れない。
以前、局が破綻組に襲われたとき、朝陽と夜影は本調子ではなかった。そのため、木の守りは完璧ではなく、危うく折られてしまうところだった。紫苑がいたからこそ、木は助かったのだ。
二度と繰り返してはならない、と局の誰もが誓っている。
ただ、朝陽の気持ちも分かる蒼姫は、心苦しさを感じつつ苦笑を零して言う。
「最悪、私が動きますから、もう少しだけお待ちください」
「むー……。じゃあ、しょうがないや。今回は諦めよう」
言い方に引っ掛かりを覚えるが、彼が諦めたなら良しとしておく。
心の中で安堵した蒼姫は、しかし、すぐに生まれた疑問に首を傾げた。
「あの、先ほど仰られた『気になる子』というのは?」
「んー……知りたい?」
「できれば」
局にとって害になるならば、知っておかなくてはならない。月神の分神たる朝陽もそれは分かっているはずだ。
だが、さほど大きな脅威ではないのか、彼はわざと焦らしてみせる。
「えー。どうしよっかなぁ」
「シエラを一日お預けしますから」
『え』
「やったぁ!」
シエラは朝陽の良い遊び相手だ。ならば、暇を持て余している彼にはちょうどいい。
ただ、本人が承諾しないままに交渉が成立してしまったことに、蒼姫は内心でシエラに謝った。
すると、当事者であるシエラからは不満の声が上がる。
『蒼姫、ひどい! ボク、蒼姫と一緒がいいのに!』
『ごねるな』
『「ごねる」ってなぁに?』
『…………』
蒼姫の肩で喚くシエラをアッシュが軽く叱るも、またもや言葉の意味が通じなかった。
そこで、蒼姫はある手段を使って丸め込みにかかる。
「シエラ。これも大事なお仕事です」
『お仕事?』
母親が子に言い聞かせるような優しい口調で言えば、シエラは目を瞬かせて首を傾げた。
まだまだ幼いシエラは、蒼姫を本当の母のように慕っている。そのためか、言い方さえ変えれば素直に従ってくれる場合が多い。
「はい。なので、きちんとできたら、シエラの大好きなお菓子を報酬として差し上げます」
『お菓子!? やるやる! ボク、頑張ってやるよ!』
『……はぁ』
アッシュは、頑張る必要なはないだろう、と内心でツッコミつつ、単純な幼い同族に溜め息を吐いた。
果たして、自身が幼い頃はここまで単純だっただろうかと悩みはじめたとき、蒼姫がアッシュの頭を軽く撫でた。
「人に個性があるように、幻妖にも個性がありますからね」
『……そう、だな』
アッシュはオリジン種であるため、同族が極端に少ない。同族内で個性の差があるか比べることは難しい。しかし、『幻妖』という大きな括りで見れば、確かに個性というものはある。
曖昧に返事をしたアッシュに、蒼姫は小さく笑んで言う。
「まぁ、アッシュはもう少し甘えてきても良かったように思いますが」
『え』
「その反応の仕方と拗ね方はシエラとそっくりですよ」
『なっ!?』
「さて。では、教えていただけますか?」
予想外の箇所を突かれたアッシュは、さらりと話を流した主に物言いたげな視線を送る。
朝陽はそれを気にしつつ、約束ではあるので話をすることにした。
「うん、いいよー。ただし、今はまだなにもしないでね?」
「はい」
「『あの子』っていうのは――」




