20話 “猫”の選択
紗智が消え、辺りは静寂に包まれる。
悄然とした一夜から敵意や戦意は感じられない。まるで、紗智がすべてを取り払ったかのように。
誰もが終わったと思った瞬間、都季の体がふらりと前に傾き、その場に膝をついて座り込んだ。
「更科君!」
「……っ、ごめん。大丈夫」
「無茶をしおって。せいぜい五分が限界だっただろうに」
足に力が入らない。酸素が不足しているのか、頭もうまく回らなかった。隣に膝をついた琴音のほうが酷い怪我をしていて心配だが、言葉を発することさえ今は辛い。
ふと、膝に置いた手の甲に違和感を覚えて視線を落とせば、黒い歪な線が数本入っているのが目についた。ひび割れにも似た異様なその線に恐怖を感じて息を呑んだが、瞬きをすればすぐになくなった。
隣の琴音や月神は気づいておらず、これ以上余計な心配をかけまいと口には出さないでおいた。
距離があったせいで都季の異変に気づいていない茜は、緊張を解くように小さく息を吐いて一夜に向き直る。
「おい、一夜」
「……なんだ?」
「局に戻れ」
「…………」
一夜に敵意がない上での言葉だ。また、以前のように裏支として局に戻って来てほしいのだという。
だが、茜から視線を外した一夜は難しい顔をして返した。
「無理だ」
「そりゃあ、お前の気持ちも分かるし、『ジジイ』どもは煩いだろうよ。けどな、紗智の言うように、こっちに戻って局の力になってもらいたいんだ」
「茜さん、口が悪いですよ。煩いのは否定しませんが」
「口が悪いのはいつもだし、龍司さんも大概だけどな」
茜の言う「ジジイ」は先代のことだ。今も先代の十二生肖は局に関わりを持つ。彼らに助言を求めることもあるため、茜の言い方はあまり褒められたものではない。いくら不満を持っていたとしてもだ。
軽く諫める龍司だが、彼は彼で毒を吐いている。
それを指摘した煉は半ば諦めモードだ。
「俺がやった事は、操られていたとはいえ、許される事じゃない。変えるのもこれから先の話だ。なのに、『言われたから帰ります』だと、お前らにただ迷惑を掛けるだけだ」
「気にしなくても、茜が言うなら周りは黙るだろ」
「実質的なリーダーが言うなら黙るだろうな。だけど、本来のリーダーがそれに従うか?」
「あ……」
社会的な面や経験から、今の十二生肖は茜が代表をしているような部分もある。しかし、それはあくまでも対外的なものであり、本来のリーダーは“子”である悠だ。
大抵の事には話し合いの場が設けられるが、局の人事では彼が最終的に拒否をすれば、他はそれに従わざるを得ない。
これまで彼だけが拒否することはなかったものの、今回ばかりは状況が違ってくる。
「今は悠もあたしも関係ねぇし、周りがどうとかでもねぇよ。紗智も言っただろうが。『お前のやりたいようにやればいい』って」
千早が言われていた言葉だったが、それは他の者にも当てはまる言葉だ。
茜は一夜に歩み寄ると、その胸元を指で軽く突いて言う。
「あたしは“一夜の”意見を聞いてんだよ」
「俺は……」
自分より少し低い位置にある茜の視線から逃れるように視線を下げる。
局を出たのは、外から組織のあり方を見るためだ。これから都季が変えてくれるのだろうが、助けるために近くにいればまた見えなくなるものもあるだろう。
都季へと視線を向ければ、傍らにいる琴音が少しだけ警戒の色を見せた。
彼のそばには、彼を支える人が既にいる。
ならば、今、自分がいるべき場所は何処か。
「俺は、局には戻らない」
これから変わっていくのなら、それを外から見ておく人物が必要なはずだ。
固く決意して言い切り、この場から去ろうと背を向けた。
背中に刺さる視線の主達に、誤解だけはさせまいと言葉を続ける。
「戻らないけど、外からは干渉する。何かおかしいと思うことがあれば、その都度口は挟む」
「……そうか。なら――」
「それって、『今は』ってことですよね?」
「え?」
納得し、これからのことを手短に言おうとした茜を遮ったのは都季だ。
予想外の言葉に、去りかけた一夜は足を止めて振り返った。
つい先ほどまで疲れ切って座り込んでいたはずの都季が、なんの力によって立ち上がれたのかは本人にすら分からない。
だが、彼は疲労を滲ませない真剣な表情で言う。
「俺なんかの言葉は信じられないと思います。でも!」
どうすれば、知り合ったばかりの自分の言葉に耳を傾けてくれるのか。どうすれば、彼がもっと戻りたいと思ってくれるのか。
そんな疑問だけが頭の中を巡る。
「一夜さんが納得できるような……もちろん、十二生肖の人達にも受け入れてもらえるような、そんな場所にしてみせます! だから、そのときは――」
都季は言葉を止めた。
一夜が初めて、優しく微笑んでいたのを見たからだ。今までの一夜は別人なのかと思ってしまうほどに。
「ありがとう、『都季』」
「一夜さん……」
ほんの小さな変化だが、希望に変わるには十分だ。
彼は、誰かに記憶を改竄されて襲ってくることはない。そう断言できる。
再び背を向けた一夜は、その微笑みを消し去って短く告げた。
「けじめ、つけさせてくる」
「つけ……“させる”?」
“つける”のではなく、“つけさせる”。
一夜自身ではない、誰か違う人のことだ。
確かに、一夜は何者かによって記憶を操作されていた。しかし、それが誰によるものかは不明のままだ。
ただ、当事者である一夜は当然ながら相手を知っている。口振りから察するに、相手の居場所も分かっていると。
また、気になるのは最初の言葉もだ。
「捕まえるとかじゃなくて、『けじめ』って……一夜さん! 待って――」
「ほっとけ!」
「っ!」
何か、不明瞭ながら嫌な予感がした都季が止めようとするも、茜が声を荒げてそれを遮った。
驚きから肩を大きく跳ねさせた後、ゆっくりと茜に向き直る。
怒りを露にしていると思った彼女は、予想に反して悲痛な表情に諦めを交えていた。
「これも仕方ねぇんだ」
「店長……?」
「外で店長言うな」
「は、はい。すみません」
まさかの注意に肩を縮める。
気をつけていたつもりだったが、染みついた癖と名前を呼ぶことへの抵抗からつい口をついて出てしまった。
次は気をつけよう、と心に決めた都季に、一夜が消えた方向を見たままの月神が問いかける。
「のぅ、都季よ」
「なに?」
「お主、変える方法は思いつきそうか?」
「……分からない」
「そうか」
局を変えたいと言った。しかし、その方法は未だ浮かばない。
何がおかしいのか、何が正しいのか。
局だけでなく、幻妖界について知らないことが多い都季には、勉強しなければならないことが山積みだ。
「俺はまだ未成年だし、何の発言力も権力もない。だから、何をやっても空回りするだけだと思う」
「では、あの啖呵は口先だけか?」
「ううん、違う。今は知らないことが多いから、少しずつでも知っていって、少しずつ変えていけたらって思うんだ」
学業にしても、依人や幻妖のことにしても、都季が学ぶべきことは多い。その中で、より良い方法を見つけることができるはずだ。探す時間もたっぷりとある。
月神は都季の言葉に満足したように頷くと、そのまま彼の肩に乗った。
「ならば、ますます精進せねばならんな」
「うん。よろしくな、つっきー」
変えられるのはいつになるかは分からない。
それでも、自分が何かの役に立てるなら……と、都季はそう思いながら月神に笑みを向けた。
その様子を見ていた龍司は、周囲に気づかれないよう、枝の上にいた“モノ”に向かって術で空気の塊を放つ。
暗さと騒々しさで誰にも気づかれていなかったが、ソレは戦いの最中もずっとそこにいた。
「気になるなら、来ればいいんですよ」
短く声を上げて去って行くモノを見ながら、龍司は小さく呟いた。




