11話 交錯
陽は落ち、辺りが薄暗くなってきた。
道路を行き交う人の数もピークを過ぎて疎らになり、街灯や近くの家には明かりが点る。
どこかの家から談笑が漏れ聞こえる中、一夜は未だに空き家の庭にいた。
空き家の壁に背を預けて地面に座り、右手の甲を額に当てる。複数の思考が混ざっていて、気を抜けばどれが自分の本心なのか分からなくなりそうだった。
「なんで……アイツを殺そうとしてたんだ……」
気がついたら、都季を狙って体が動いていた。望みもしない歪みまで作って。
まるで誰かに体を乗っ取られているように、自身はそれを別の場所で俯瞰しているように事は進んでいた。
おかしいと気づいたのは、目の前に千早が現れてからだ。
自分の考えを自分で理解できない苛立ちと不快感、混ざり合う複数の思考を振り払おうと、左手で地面を殴った。
「くそっ!」
自分の中に別の人格が生まれているようで気持ち悪くなる。かといって、それを振り払う術はない。
左手がじんじんと痛んでも、頭の奥にある雑音は収まらなかった。
「一体、何が起こってるんだよ……」
脳裏に浮かんだ彼女の弟の姿に罪悪感が生まれる。あの日、作戦の実行の日に彼女と交わした『約束』を破ったことを、本人に見られたかのような錯覚に陥った。
約束を思い返しながら、ふと、一夜はなぜ都季を狙っていたのかと自問する。
(……そもそも、アイツが何かしたわけじゃないのに、なんで狙ったんだ?)
先ほど都季の命を狙った者が抱く疑問ではないが、冷静に考えると都季と一夜はまだ知り合ったばかり。命を狙う理由以前に、彼を憎む理由すらない。
確かに、都季が生まれたことで破綻組や幻妖に動揺が走った。そして、彼の力を恐れた者達が暴動を起こした末に、彼の両親は亡くなったのだ。
抑えがいなくなったことで破綻組や幻妖は好き勝手に暴れ、鎮圧のために代替わりしたばかりの紗智が出動した。
結果、転送能力を相手の能力で無効にされ、破綻組や幻妖の袋叩きにあった。
もし、裏支である一夜がそこにいれば、何か変わったかもしれない。なのに、危険だからと止められた。今もある程度の権力を持つ先代の十二生肖に。
ならば、狙うべきは都季ではない。
「アイツを狙ったところで、何も――」
「変わらないことはないよ」
「っ!?」
隣から聞こえた新たな声に、一夜は素早く体を壁から離して立ち上がると、ナイフを構えながらそちらを向く。
視界に入れた声の主は、体格よりも大きなサイズの灰色のパーカーを着て、フードを目深に被った少年だった。今回も口元は黒いマスクで覆われていた。
「お前……」
彼とは先日も出会っている。しかし、何をしたのかは思い出せなかった。
記憶を探っても、テレビの砂嵐がかかっているように何も見えない。
少年は笑んだように目を細めると、それまで自問自答を繰り返していた一夜の疑問に新たな答えを出した。
「紗智の復讐をしたいんだろう? 彼女を『囮』にした、あの局に。なら、局のトップたる月神を憎むのが当然だよ。でも、月神は僕らじゃ敵うはずもない相手だ」
「んなことは分かってる」
「だろうね。けど、ここは人間界だよ。あれがこの世界に留まるには『器』が必要だ」
「…………」
「だから、『器』を潰せば、月神はこの世界に留まれずに消える。局も瓦解してやり直し。ほら、簡単でしょう?」
月神は幻妖の長であると同時に局のトップでもある。外への発言は十二生肖が代行しているが、実質的には月神が一番の力を持つ。
十二生肖はもちろん、裏支である一夜達も、月神に歯向かったとしても倒すことはできない。
しかし、器はあくまでも月神の存在をこちらに留めるためだけの物。頑丈ではあるものの、その気になれば壊すことは可能だ。もちろん、それには十二生肖や分神、月神自身といった障害はあるが。
それが、今は「更科都季」という一人の人間に器は宿っている。常に分神か十二生肖の誰かがいる水晶玉の時よりは狙いやすい。
だが、紗智との約束が脳裏を過り、それはダメだと自身に言い聞かせた一夜は視線を落とした。
「深く考える必要はないんだよ。君はただ、壊せばいい」
「壊す……」
誰かがその単語を否定している気がした。誰かは思い出せないが、つい最近聞いたはずだ。
脳裏に掛かる砂嵐が大きくなってきた。
「そう。たった一人の人間くらい、君なら造作もないでしょ?」
都季はまだ力の使い方を覚えていない、一般人とさして変わらない依人だ。
また考えが変わっていく。間違いだと思っていたことが正当化されていく感覚に、先ほどまであった戸惑いはもうなかった。
「理由なんていらない。ただ、更科都季は器を持っているから仕方がないんだ。だって、離れられないんだろ?」
今の月神は器をピアスとして都季の体に定着させている。それが外れないのだと、本人達も言っていた。
ならば、少年の言うように局を壊すためには仕方がないのかもしれない。
「聞いたことあるでしょ? 『革命に犠牲はつきものだ』って。でも、前任の“午”が犠牲になる意味はあった? 何か変わった? 何も変わらなかったでしょう? それなら、あの犠牲は必要あった? ないだろう? 彼も前任の“午”も、これで良い方向に変わるなら恨みやしないよ。だって、二人とも良くなることを願っているんだから」
「……仕方、ないんだよな」
「そうそう。だから、今度こそ、獲物を仕留めてよ? あの『悲劇』を繰り返したくないならね」
砂嵐に隠されていた月神に視せられた光景が、紗智の最期が浮かんだ。
能力を発動しようとした紗智を阻んだのは、あの場にいた誰でもない。局にいた月神だった。
やらなければ、また誰かが犠牲になる。そうなる前に誰かが動かなくてはならない。
裏支の役目はなんだ。と自問する。
補佐として、十二生肖や局を監視および補佐し、異論があれば唱えて話し合う。間違ったことを正す役目だ。と自答する。
今の行いは、その間違いを正す途中段階だ。
ふらつきながらも去って行く一夜を見ていた少年に、訝るような新たな声が頭上から降ってきた。
「お前は何がしたいんだ?」
「あれ? 出てきたんだ。てっきりくたばったのかと思った」
「『お人好し』に救われたよ。また恩が増えた」
声のする方を見れば、空き家の屋根の上に刻裏がいた。見下ろす目は鋭く、少年を警戒している。
局を出てきて間もないのか刻裏の服は裂けたままで、血もついたままだ。裂けた服の隙間から覗く包帯には僅かに血が滲んでいる。結界が張られている局から抜け出す際、相応の力を使ったのだろう。
少年は地を軽く蹴って飛び上がると、刻裏から少しだけ離れた場所に着地した。足元の瓦が少しずれ、屋根の端で辛うじてバランスを保っていた一枚が落ちて割れる。
「あの“猫”と同じなのは嫌だけどさ、俺はただ、壊したいだけだよ」
「ならば、あやつの命まで狙う理由はないだろう?」
「さっき言ったじゃないか。『革命に犠牲はつきものだ』って」
「そこに、いくつの命がある?」
「さて、いくつだろうねぇ。“二人”は確実かな」
少年の言葉に躊躇いはない。それどころか、狂気じみたものさえ滲んでいた。
彼の出した人数に、少なからず月神の器を保有する都季は含まれている。ならば、あと一人は誰だ、と刻裏は先ほどの一夜を思い出した。
刻裏が口にするまでもなく、少年から告げられる。
「『破綻しないのは血統組だけ』だ」
「……正気か?」
「ああ。だからこそ、あそこを壊そうとしているんじゃないか」
「果たして、裏支がそう簡単に破綻するか?」
「君は本当に人を試すのが好きだね。するしないじゃない。“しないといけない”んだ」
破綻は抑え切れなかった力が暴走するために堕ちるもの。そのため、例え継承組や混血組、転生組でも、暴走した力は血統組を上回る場合がある。
また、裏支は転生組の中でも力の強さは比較的血統組に近い。それがもし破綻すれば、抑えるにはよほどの力を必要とする。
「裏支だけで手一杯のところに他の破綻組が便乗すれば、それを抑えるために調律師や警邏も出るだろう? そうしたら、まだ力を使いこなせない器の保有者はがら空きだ」
「なるほど。それで器を破壊すれば、月神はこちらに留まれなくなる上、彼の力を分け与えられた分神も同時に消えると」
「そう。局の一番上が崩れれば、あとは簡単さ」
「…………」
あっさりと頷いた少年を見て、本能が彼は危険だと報せる。
眉間に皺を寄せた刻裏は最悪の場合を考え、全神経を少年に向けながら言った。
「お前、死ぬぞ?」
「構わない。俺は、ここが大嫌いだから」
――だから、壊すんだよ。
そう付け足した少年は、どう言っても意志を変える気はないだろう。
刻裏は諦めたように深い溜め息を吐いた。
「好きにしろ。だが、こうなった以上、私はもうお前に力は貸さんよ」
「……そうだね。それがいい。元々、力を借りるのは癪だったし。だって――」
一歩近づいた少年から僅かな敵意と殺意を感じ取り、すぐさま刀を片手に顕現する。切っ先を下に向けたまま、少年を見据えた目を鋭く細めた。
完全に塞がっていない傷が、じわりと痛みはじめる。
「君は『仇相手』だからね」




