14話 共存の終わり
「のぅ、都季よ。これは何だ?」
「それ? それは『クッキー』っていうお菓子。依月でも見たんじゃない?」
「ふむ。形が異なる物もあるのだな」
「いろいろあるからね」
学園から帰宅してずっとこの調子だ。
月神は顕現したおかげで人間界の物に触れるようになった。局にいた時も様々な姿で顕現していたようだが、彼がいた部屋は何もなく、部屋から出ることもなかったのだと言う。
だが、今は様々な物がある外の世界だ。それが彼の好奇心に火をつけ、気になったものに片っ端から触れたり訊ねてきたりしている。
まるで物心が付きだした子供を相手にしているようだ、と眺めている都季は思った。
ちなみに、魁は都季のアパートに着くなりタイミング良く茜から呼び出され、またもやすぐに帰ってしまった。
「やはり、お主らの目と耳だけでは人間界の情報は足りぬわ」
「そう、かなぁ?」
「ああ。世界は広い。下手をすれば、ありとあらゆる生物を通してでも知り得ぬこともあろう」
「…………」
二つの世界のバランスを保つ神である月神。すべてを知っていそうな彼が言うと、どこか説得力がある。ただ、腑に落ちないのは手にしているチョコチップクッキーが台無しにしているせいか。
月神はクッキーをあらゆる角度で観察した後、「食べてもよいか?」と目を輝かせながら都季に訊く。
断る理由もないため、「いいよ」と頷いた。
「じゃあ、飲み物も用意するよ。紅茶とかって平気? 俺、店長に紅茶とコーヒーの淹れ方は叩き込まれてるから、それなりに美味しくは淹れられると思う。まぁ、今はインスタントしかないけど」
「んぐ。意外と硬いのぅ。……して、『こうちゃ』とはなんだ?」
「西洋から伝わったお茶って言ったらいいのかな。こういうお菓子には合うんだ」
「そうか。なら頼もうかの。我はこやつの食べ方を探さねばならぬ」
さすがに、月神の身長では人間サイズのクッキーは大きいようだ。必死に食べようと齧りつく姿に思わず笑みが零れた。
キッチンで紅茶を淹れながら、そういえば、部屋で自分以外が過ごしているのは初めてだと気づいた。
(魁達も家の前までは来てるけど、部屋に上がったことはないもんな)
久しぶりに誰かと暮らす感覚だ。だからこそ、いつもより楽しく過ごせている。
両親が亡くなった後から高校に上がるまでは母の実家で暮らしていたが、あまり良い思い出ではない。
引き取ってくれた祖父母とは初めて会ったが、ほとんど顔を合わせることもなく、会ったとしても話すこともなかった。母の実家がかなりの資産家で、家を建てている土地が広く、祖父母がいる母屋と都季がいた離れは少し距離があったせいでもあるが。
母の実家側からすれば、結婚を反対した相手との子供だ。それも、駆け落ちまでしている。当たり前といえば当たり前だと、都季はいつも自身に言い聞かせていた。
進学する高校を決める際に話をした時の緊張感は今でも覚えている。
ふいに、引き取られた後のことを思い出した。
――あんな男に騙されたからいけなかったんだ。
――やっと有望な子が産まれたのに、あの男がいなければ……。
――所詮、あの子もただの人と変わらなかったのよ。
(俺への扱いが冷たいのはまだ分かるけど、なんで、母さん達はあんな酷いことを言われたんだ? 駆け落ちしたからか?)
都季へ向けられる視線や言葉も冷たかったが、時折、その視線は都季を通して両親に向けられていることもあった。
まるで、都季が存在していないかのように。
存在していない扱いだからこそ、冷たく感じたのだろうか、と考えが至ったところで都季は小さく息を吐いた。
(考えすぎか)
「おい」
(そもそも、母さんの実家は何なんだ? 『旧家』とかって聞いたけど、どんな家かは気にしてなかったな。屋敷が広すぎてびっくりしたくらいで)
「おーい。聞いておるのか?」
(父さんの実家はもうないとか言ってたし……)
「都季」
「いった!?」
耳元で名前を呼ばれた直後、左頬に何かが突き刺さった痛みに声を上げた。
見れば、月神が眉間に皺を寄せて隣に浮いていた。刺したのは混ぜるために出していたスプーンだ。
都季はフォークでなくて良かったと思いつつ、月神を非難するように言う。
「な、何するんだよ」
「それはこちらの台詞だ。何度呼ばせれば気が済むのだ」
「え? ……あ、ごめん」
「分かればよい」
すっかり考え込んでしまっていたことを謝れば、月神はスプーンの柄を腕に抱えたまま大きく頷いた。
お湯に浸したままの紅茶パックは、ちょうどいい濃さをとうに通り越している。
「うわ、やり過ぎた」
「構わぬ。人は失敗してこそ成長するものよ」
「でも、せっかくだし、最初は美味しいのがいいだろ? 俺が飲むから、つっきーのは作り直すよ」
「ふむ。こだわりがあるならば任せるが……都季よ。悩みか? 体を借りている礼だ。聞いてやるぞ?」
「悩みってほどのことじゃないよ」
キッチン台に着地した月神が腕を組んで見上げてくる。
しかし、そこまで深い問題ではない上、まだまともな会話をし始めたばかりの月神に話す内容でもない。
苦笑して返せば、彼はスプーンを杖のようについて小さく溜め息を吐いた。
「お主はこの数日でいろいろと巻き込まれておるからのぅ。気疲れもしよう」
「……うん。そうだと思う」
なぜ、久しぶりに思い出してしまったのだろうか。両親が事故死した時の夢を見てから、どうも過去を思い返しがちだ。
考えを振り払い、今度こそ綺麗に淹れた紅茶を部屋の中央に置いているテーブルに運ぶ。
「明日にはあの管狐の主も割れよう。ならば、問題は半分片付いたようなものだ」
「早いんだな」
もっと時間が掛かるのかと思っていたが、そうでもないらしい。
月神は得意気な顔をすると、自慢するように言った。
「今代の十二生肖を定める頃、調律部にも優秀な人材が入っての。あれに任せておけば問題はなかろう」
「あの管狐、つっきーに『人に偏りすぎだ』とか、魁達を『裏切り者』って言ってたけど、何かあったのか? 悠が前に言ってた事件と関係してるとか」
「お主は知りたがりよのぅ」
「つっきーに言われたくない」
やれやれ、と呆れた様子の月神に都季はすぐさま反駁した。
月神は、テレビや車といった日常生活の物は知っていたのかあまり反応はなかったが、飲食物や雑貨などに関しては基本的に質問される。つまり、都季と月神が疑問に思うことが多いのは、互いに互いの世界の事情などを知らないからだ。
月神は四分の一まで食べたクッキーを小皿に置くと、まだ躊躇いつつも口を開いた。
「まぁ、よい。ならば話してやろう。人と幻妖が、なぜ袂を分かつことになったのかを」
月神はマグカップにも苦戦しながら紅茶を一口だけ飲む。「まだ熱いが、嫌いではないぞ」と不敵に笑んでから話し始めた。
「天降神社は知っておるか?」
「うん。町の北東にある神社だろ? 学園にも近いし、この辺でも一番大きいから知らない人はいないって」
「だろうな。では、あそこに神木があったことは知っておるか?」
「神木? そんなのあったっけ……?」
「ああ、今はもうないぞ」
神社には引っ越してきてから一度だけ行った。山の斜面に建てられた天降神社には町を一望できる場所があるため、町がどれだけ変わっているのかを見ようと思ったのだ。
以前、住んでいた頃より景色は少し変わっていたが、それでも懐かしいと思えた。
ただ、現在はないとしても、都季が住んでいた頃も神社にはそれらしき木は見ていない。周囲に森の木々はあるが、神木ともなれば何かしら目印はあるだろう。
「昔、神社の鬼門には神木があっての。人間には『神降りの木』と呼ばれておった。神社の名の由来もそこからきている。『天の者が降り立つ』ということでな」
「神降り……前、悠が言ってた木のこと?」
「そうだ。文字どおり、それは我ら幻妖が人間界に来る際に降りた木だ。門として使っておったのだ」
まだ人間と幻妖が共存していた時代、幻妖は木を伝って行き来していた。
神降りの木は月神が二つの世界の均衡を保つために創ったものだ。木を通じて人間界のことを知り、木を通じて力を送る。門というのはその副産物だ。
「人の神仏への信仰心は今よりも強く深く、幻妖を目にする者も多かった」
「だから、共存ができていたのか」
「左様。ただ、人は賢いことにあっという間に繁栄し、木々を切り倒しては住処を広げ、戦では多くの山や原が焼かれた。また、我らも力を貸す必要がなくなっていった」
幻妖の手を借りずとも、人の手だけで済むことが増えたのだ。それに伴って、自分達とは違う存在である幻妖への恐怖が生まれ、次第に敬遠されるようになった。
人を「賢い」という月神だが、その言葉は皮肉にも思えた。
「時代が流れるにつれて人々の信仰心は薄れ、幻妖は目にされることがなくなっていった」
「俺も、この前初めて知ったばかりだしな。幻妖なんて見たことなかったのに」
「幻妖は力の強いものならば、自らの意思で人に姿を視せるものもいる。お主の場合は……まぁ、狐や依人が接触したことや我が入ったことにもよるな」
月神が一瞬、何かを思案したように視線を都季から逸らしたが、都季は原因を考えていたのだろうと思い追究はしなかった。
現在では幻妖を視るどころか存在すら知られていない。都季もその一人だ。
唯一、それに近いもので幽霊や怪談話はあるが、月神曰く「幽霊とは人間界で死んだ人や動物の魂魄だ」と、幻妖とはまた違うものだと断言された。
「『寂しい』と嘆くものもおったか……。だが、我にはどうすることもできなんだ。我らは所詮、違う世界のものだからのぅ」
当時を思い返す月神は遠くを見たままだ。横顔には寂しさが滲み、幻妖だけでなく、月神も同様の気持ちを抱いたことが伝わってくる。
今まで親しくしていた人間に急に冷たくされ、最後には視界にすら入らなくなる。
都季は、もし、自分が同じような立場になったら耐えられるのだろうかと考えた。最初から冷たい態度を取られたことはあるが、あれが親しい人物だったら、と。そう考えただけでも恐ろしくなった。
「目に映らないだけならばまだ良かった。しかし、人の手は神社にも及んだ」
「あんな大きな神社に?」
「幻妖などというわけの分からないものを祀る神社は、当時は目障りだったのだろう。自然と排斥の対象となっていった」
祀る場所がなくなれば、目に見えない恐怖である幻妖がいなくなるのではないか。その結論に至るには簡単だった。
「無論、当時の十二生肖や依人は反発した。木を切られれば何が起こるかは明白。均衡を保つ手段が失われ、境界が歪み、世界が同調もしくは消える。依人も自身の半分を満たす異能の源が断たれるため、下手をすれば死ぬ。また、帰り道を失った幻妖が人間界で暴れるとな」
「幻妖の存在が曖昧だったのに、十二生肖は忘れられてなかったんだ」
「ああ。『霊媒師』だの『神主』だのと、よく分からない解釈をされておったようだがの」
――十二生肖は、どの依人や幻妖よりも人間を守り、共に歩んでいたというのにな。
そう付け足した月神は、どこか悲しげな目をしていた。
元は神獣であった十二生肖は、故郷を離れてこの世界に留まり、ずっと守ってきた。
だが、人間は自らが繁栄した途端に手のひらを返したような態度を取った。幻妖でさえ寂しいと嘆くのなら、彼らはどれほど辛い思いをしたのか。
当時を知らない都季は、「大変だったな」と安易に同情してもいいのかと躊躇った。
それを汲み取ったのか、月神は話を進めた。
「神木が切られたのは、人で言うところの半世紀ほど前だ」
「そんな……じゃあ、つい最近じゃないか」
てっきり、数百年も前のことだと思っていた。半世紀ならば魁達の祖父母の世代か、その一つ前か。
あまりにも近い時期に驚きを隠せない。
「還る手段を失った幻妖は暴れ、発生した歪みにより自然は荒れ、人々にはあらゆる難病が流行った。十二生肖の手では負いきれぬほどに」
「半世紀前だよな……高度経済成長期の辺りか」
「人間の歴史はよう分からんが、そう呼ばれていた頃だの」
確かに、あの時期は多くの難病が流行っていた。人が引き起こしたものが大半だが、中には幻妖絡みのものもあったようだ。その病に関しては局が手を回し、あまり表沙汰にはなっていない。
幻妖相手ならばともかく、歪みが原因の病ともなると根源を絶ちにくい。歪みは二つの世界が存在する限り起こり続けるものだからだ。
「まともな対策も取れず悪化する一方の中、十二生肖が最後の希望として神木から採っていた挿し木に緑が生まれたのだ」
「じゃあ……」
「弱々しくはあるが、れっきとした我の力を流すことのできる木だ。十年以上の時間は掛かったが、どうにか均衡を持ち直すことができた。挿し木は局で保管され、今も成長しておるよ」
「つっきーも十二生肖も大変だな。簡単に言って悪いけど」
「……まぁ、我の力だけではないのだがな」
「ん?」
小さく呟いた月神の言葉は都季の耳には届かなかった。届ける気もなかったので、月神は「苦労したのだぞ?」と誤魔化した。
「神木が切られたから、幻妖達は人間と決別したんだな」
「そのとおり。そして、時期を見て十二生肖の“子”の力で人々の記憶から我らを消した」
ただ、局の維持のために一部の人間にはその記憶が残っていることから、完全な決別とまではいっていないようだ。
その後も、局は幻妖や依人の管理、境界の歪みを直すために在り続けている。昔と違うのは人間のためだけではなく、人間界でひっそりと暮らす依人や幻妖のためにも。
「ん? じゃあ、巫女はどうなったんだ?」
「どうなったとは?」
「辰宮さんから、『巫女の血統は今も続いていて、つい最近までいた』って聞いたんだよ。でも、さっきの話の中に『巫女』がいなかったから……」
「お主は変なところで勘が冴えるのぅ」
「褒められてる?」
「一応はの」
じとっと見てくる都季を軽く流し、月神は小さく溜め息を吐いた。
「あやつは木が再生した後に産まれた。初代の巫女に匹敵するほどの強い力を持って。だから、一部では木の力が彼女に受け継がれたのではないかと騒がれておったわ」
かつて、巫女は局の創設にも関わり、その力で月神や十二生肖と対話し、局の存在を支えてきた。また、依人ではなく特体者である巫女は人間との繋ぎ役にもなっていた。
当時のように再び人に存在を明かして共存することを強く望みはしないが、人間界で安寧を得るには大きな存在だ。
その期待を受けた彼女は一族で大切に育てられた。まるで神に接するかのように丁寧に、慎重に。
「好奇心旺盛で、よく屋敷を抜け出していたようだの。まぁ、彼女の力があったからこそ、木は順調に成長したのだが」
「すごい人だったんだ」
「左様。我も十二生肖や調律師以外に話のできる相手が久々にできて嬉しかった。当時はまだ局も国の組織の一部。ああしろこうしろと、身勝手で煩い人間相手にも動じぬ、肝の据わった娘だったよ」
月神は懐かしむように目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべる。
一度、会ってみたいな。そう言いかけて、あることを思い出した。
「なぁ、今――」
「そうそう。先ほどは国の組織だと言うたが、今の局は国からは独立した組織。人との関わりは、表面的には断っておるよ」
「…………」
「そのため、幻妖を知る人間で構成された、それ相応の対策ができる部署ができて……なんだ?」
「話を逸らすなよ」
「……やれやれ」
真っ直ぐに月神を見据えた都季に、誤魔化すことは無理だと悟った。どちらにせよ、関わっている以上いつかは知ることだ。
月神は深く溜め息を吐くと、重い口を開いた。
「何年前だったかのぅ。亡くなったよ」
「やっぱり……。病気、とか?」
茜達の様子から存命だとは思っていなかったが、改めて事実を聞かされると、知らない人のことでも気持ちは少し重くなる。
「いろいろとあってな。これ以上は、お主がもう少し成長したら教えてやらんこともない」
「成長したらって」
月神が言わんとしていることの予想はつく。
どこか上から目線の月神は、自身を親指で指して言った。
「我の力を使いこなせればの話だ」
「それは無理」
「なんだ、気の弱い。怖じ気づいたか」
「いや、俺はあくまでもごく普通の一般人だし、つっきーもいつまでも俺にくっついてるわけにはいかないだろ?」
たまたま、月神が体に馴染んでいるだけであって、このまま過ごす気はない。事が収まれば月神に離れてもらうつもりではいる。
話を聞いてどうにかしてやりたいとは思ったが、一般人である自分ができることはないに等しい。今はただ、月神を奪われないようにするくらいか。
すると、月神は呆れたような溜め息を混ぜて呟いた。
「甲斐性のない……」
「なくて結構です。……うわ、もうこんな時間か。晩ご飯何にしよう」
「我の分もな」
「……つっきーって、ちゃっかりしてるって言うかマイペースだよな」
「お主もの」




