5話 禁書庫
着替えを手早く済ませた後、待っていた麗に大人しくついて行く。少し斜め後ろを歩きながら、都季は何か話すべきかと話題を探す。
彼女とは互いに顔を知ってはいたものの、対面したのはこれが初めてだ。
どう話を切り出そうかと悩んでいると、都季の肩にいた月神が先に口を開く。
「外での任務はどうだった?」
「報告書は出すから確認して頂戴」
「土産はないのか?」
「そんな物買う余裕なんてないわよ」
麗の返答はどれも淡泊なものだった。視線が都季や月神に向けられることもない。
しかし、月神は拗ねる様子もなく、「相変わらず、表の仕事以外だと不器用だのぅ」と何故かにやにやとしている。それを聞いた麗から僅かに怒気が滲んだのを感じたが、彼女は声を荒げることはせず、代わりに歩調を少し速めた。
そして、到着したのは局本館の三階にある部屋だった。
麗は手慣れた様子でドア横の電子パネルに触れ、ドアから鍵の開く音がしてから取っ手を下げて開ける。
室内は誰もいないせいで真っ暗だったが、麗が踏み入ると感知式のライトが反応してすぐに明るくなった。
床には灰色のカーペットが敷かれ、高さが天井まである本棚が多く並んでいる。部屋の広さは向かいの壁が見えないために上手く測れないないものの、都季の部屋よりは確実に広い。
(普通の図書室みたいだ。禁書庫って言うから、もっと怖そうな雰囲気かと思った)
都季は、本棚に並ぶ分厚く古びた本から真新しそうな物、資料を綴じているファイルなどを眺める。自分がこれらに触れる日は来るのかと思いつつ。
本棚の合間には大きなテーブルと椅子が置かれており、テーブルには作業もできるようコンセントまで備え付けられている。
一見、何処にでもありそうな書庫の様子に、想像していた物とかけ離れていた都季は思わず首を傾げてしまった。
「えっと……ここが禁書庫なんですか?」
「まさか。ここはただの資料室よ。こんな誰でも入れるような場所なわけないでしょ」
「ですよねー……」
言葉に刺があるのが彼女の普通だと一時間も経たない内に知ったが、それでも耳が痛い。
しかし、申し訳なさそうに都季が麗から視線を少し逸らすと、彼女もばつが悪そうに視線を逸らすのだ。
月神が言っていた「不器用」というのは、彼女の言葉選びのことかと少し合点がいく。
「禁書庫はこの奥」
部屋の奥を指して言った麗は、再び都季の前を歩く。
本棚の間を通り抜け、出入り口から最も遠いであろう壁際にやって来た。
壁際にも本棚はあるものの、そこだけは何故か本棚が途切れており、何もない壁が晒されている。
疑問符を浮かべる都季を余所に、麗は黙ったまま左手を壁に当てた。手首に着けていたブレスレットが揺れ、白い宝月が柔らかい光を発する。
すると、何もなかった壁に床からすっと線が走り、人一人が通れそうな長方形を描いた。じわりと長方形の内側が変色していき、やがて一枚の重厚感のある扉が浮かび上がった。
麗はくすんだ金色の取っ手に手を掛けながら、後ろにいる都季に振り向かずに言う。
「この向こうが禁書庫よ」
「何で扉が隠されているんですか?」
「『禁書』ってつくくらい、中にある物が危険すぎるからよ」
「ここには十二生肖の“巳”と調律師師長しか入れぬ。普段、扉を隠しておるのはそのせいだ。まぁ、扉はただ隠しているのではなく、花音の隔離と麗のみが扱える術を用いておるから、壁を壊したところで禁書庫には入れぬのだが」
隠しているのは、念には念を入れてのためと、中の物を外に出さないようにするためだ。
一体、どんな物が納められているのかと、都季は無意識の内に固唾を飲んだ。
麗はゆっくりと扉を開く。自身が掛けた術を解けば、花音の隔離によって生じた壁が麗の指先に触れる。入室を許可された者だと示すために支証に霊力を送ると、阻んでいた壁はすっと消え去った。
徐々に見えてきた室内は、六畳ほどの暗い小部屋だ。扉から入る光で辛うじて中が確認できる。
麗が入ると天井にあるアンティーク調の照明が点き、本棚の上に等間隔で並ぶライトも連動して点灯した。
壁の殆どを埋め尽くす大きな本棚には、先程の資料室で見たように様々な種類の本が詰められている。ただ、ファイルではなく棚の一部には巻物が箱に詰めて置かれており、果たしていつの時代から集められてきたものかと、未だ入室せずに外から見ていた都季は唖然とした。
麗が向かった中央のテーブルにも本が積まれているが、険しい顔で「あいつ、また片付けもしないで……」と呟いた辺り、本を積んだのは入室を許可されているもう一人のようだ。
麗に複数の仕事を押しつけた本人でもあるため、都季は次に会ったとき彼がどうなるかが目に見えた気がした。
大きな溜め息を吐いた麗は、扉の外で待機する都季とその肩にいる月神へと視線を移す。
「一応、言っておくけど、月神は入れないわよ。終わるまでどっか行ってて」
「分かってはおったが、扱いが雑だの」
渋々、都季の肩から離れた月神はやや拗ねたように口を尖らせた。
だが、こればかりは麗にもどうしようもないため、片手を腰に当てながら返す。
「仕方ないでしょ。あなたに入られると、何が起こるか分からないんだから」
「我、泣くぞ」
「はぁ?」
「つっきー……」
まさかの発言に都季も呆れを滲ませる。ここまで子供っぽいことを言う神だったかと。
一息吐いた月神は、「分神の相手でもしてやるかの」と言って姿を消してしまった。
「ほら、早く入りなさい。閉めるから」
「は、はい」
麗に柔らかく催促され、都季は慌てて中に入る。
一歩踏み入った瞬間、ずしりとのし掛かる空気に鳥肌が立った。後ろで扉が自然に閉まると、それは余計に重く感じる。
入ってすぐ足を止めた都季を見かねた麗は、小さく息を吐いて歩み寄った。
「すぐ『飲まれなかった』のはさすがと言うべきだけど、ここでは気を確かに持っておくことね」
「わっ!?」
少し強めに背中を叩かれ、足に力を入れていなかった都季は数歩前によろけた。
テーブルに手をついて転倒を防いだ都季だったが、麗を振り返って見た直後、体が軽くなっているのを感じて首を傾げる。
「あ、あれ?」
「『これ』は本の持つ霊力よ」
「本の、霊力……?」
麗の言う「これ」とは、都季の体に重くのし掛かっていたものだ。
本にも霊力があるのか、と都季は目を瞬かせる。
しかし、周りの本を見れば、確かに不思議な気配を纏っているように感じた。中には、本能が触れるな、見るなと警告をするようなものまで。
ぞわりと背筋が粟立ち、感覚を振り払うために頭を振って再び麗を見た。
麗は、今度は自ら立ち直った都季に頷いて言葉を続ける。
「そう。月神が入れないのはそのせい」
「…………」
都季は手元の本を見る。雑に積まれているが、どれも辞書並の厚みがあった。
中にどんな事が書かれているのだろう、とぼんやりと考えていた都季を現実に引き戻したのは、突然、手首を掴んできた麗だ。
「触らない方がいいわよ」
「へっ!? ……あ、あれ? 俺、今……」
はっと我に返った都季は、自分が無意識の内に本に手を伸ばしていたと気づいた。中に興味は持ったが、見るつもりはなかったはずだ。
どうして触ろうとしたのかと困惑する都季に、麗は「片付けてなかったアイツも悪いんだけど」と前置きをしてから話を進める。
「ここには、様々な『呪詛』にまつわる書物を置いているの。本に霊力があるのはそのせいよ。中には霊力を持つ者を引き寄せて呪詛を使わせようとする物もある。だから、『気を確かに持っておきなさい』って言ったの」
「あ……」
「月神が入れないのも、あれの霊力が本の霊力と反応して、何が起こるか分からないからよ」
本に霊力があるのは呪詛に限らず、術に関する物にも宿っている。しかし、その霊力が周囲に及ぼす影響があまり良くない物が、呪詛に関する書物だ。だからこそ、花音によって隔離され、麗の術によって隠蔽している。
また、入室も二人だけに限っているのは、その役に就く者は前提条件として呪詛に対する耐性と対抗手段を持ち合わせているからだ。
説明を聞いた都季は納得すると同時に、自身が耐性も対抗手段も持っていないと気づいて焦りが生まれた。
「あの、それって俺が入ってもいいんですか?」
「本当は駄目よ。けど、今は目の届くところにいて。ただ、触って取り返しのつかないことにはなって欲しくないから、大人しくしてて頂戴。ここでは『大丈夫そう』は『大丈夫じゃない』から」
「は、はい」
「じゃあ、そこ座って。それからいくつか質問に答えて」
ここは素直に従うほかない。
都季が手近にあった椅子に座ると、麗も椅子に座って都季と向き合うように椅子の向きを変える。何処から持ってきたのか、膝には用紙を挟んだバインダーが置かれていた。
「最近、調子が悪いとか、気になるところは?」
「特には……ない、です」
一瞬、浮かんだ傷跡のことを話すべきかと迷った。彼女なら、何が起こっているのかすぐ分かるのではないかと。
それでも言うべきか躊躇った都季に、麗はまるで都季の内心を読んだかのように優しく促す。
「ほんの些細なことでも構わないんだけど……そうね。病院で検診を受けているだけと思っておきなさい。月神もいないし、遠慮しないで言って」
もしかすると、彼女は既に見抜いているのかもしれない。そう思った都季は、素直に打ち明けることにした。
「その……この世界を知る切っ掛けになった破綻組の人に受けた傷が、たまに浮き上がってくるんです」
「古傷が? 痛みは?」
「痛みは少し……あ。あと、ひび割れみたいな、そんな感じのものが見えることもありました」
「……!」
バインダーの用紙にメモを取っていた麗の手が止まる。表情には一瞬だけ驚きの色が見えたものの、すぐに平静に戻ってしまった。
都季は何かまずいことを言ったかと麗の様子を窺うが、彼女が何か機嫌を損ねる様子はない。ただ、原因に目処がついたのか、バインダーを見たまま思案している。
少しの間を置いてから、麗はゆっくりと口を開いた。
「ここに来たのは、呪詛の可能性を疑ってのことだったけれど……透視でも視えなかったし、古傷に霊力が残っていて、あなたの霊力と反発して起こっている可能性もあるわね」
「あの破綻組の人は消滅したって聞きましたが、霊力とかも残るんですか?」
破綻組に関わるものは、消滅に併せて全て消えると聞いている。そのため、霊力は残るのかと疑問に思った。
麗は「勿論、残らないわ」と前置きをしながら、資料で見た程度の情報を思い出す。局が襲撃を受けたとき、麗は県外にいたため報告で聞いたくらいだ。
「けど、あれはラグナロクの一員だったんでしょう?」
「はい」
「ラグナロクのリーダーの能力で破綻の進行を止めていたか遅らせていたのなら、リーダーの霊力も少なからず、破綻組には混じっていたと予想もできる」
あくまで予想に過ぎないが、破綻組――佐藤に霊力が混じっていたのなら、彼が消滅してもルーインの力は残るはずだ。そして、残った力が「異物」として都季の霊力に認識されれば、追い出すために切っ掛けである古傷が浮いて見えると考えられる。
ならば、ルーインの霊力を排除すればいいのでは、と思ったが、麗はいくつかの書物を開いていたため、邪魔をするまいと口を閉ざした。
麗は「面倒なのは、異物として残っているだけじゃないことなのよねぇ」とぼやくと、書物を取りに本棚へと足を向ける。
黙っておこうと決めた都季だったが、ふと、ある疑問が浮かんだ。
「そういえば、巳神さんも術に詳しいんですか?」
「『麗』でいいわ。あたしも名前で呼ぶから」
「あ、はい」
「それと、質問の答えだけど、あたしの場合は『術』と言うより『呪詛』よ」
「?」
どう違うのかと首を傾げる。
麗は都季への指導は何処まで済んでいるのかと不安を覚えつつ、これを機に教えておこうと手短に説明した。
「呪詛っていうのは、基本的に相手に害を成すもの。『呪い』とも呼ばれるものね。術はそれ以外のものを指すの」
「相手に害を成す……」
「術も攻撃型のものは相手に害を成してはいるけど……そうね。失敗したら自分にも害がくるのが呪詛ってところかしら。あとは、プラスイメージのものか、マイナスイメージのものかにもよるわね」
確かに、と都季は納得した。呪詛と聞いて明るいイメージはない。ホラー映画にもよく使われるような単語だ。
そこで、都季はここに入室を許されている人が二人しかいないことを思い出す。
「蒼姫さんや龍司さんも術に詳しいですけど、入室は許可されていないんですか?」
「そうね。呪詛については、あたしか才知くらいしか知らないはずよ」
「えっ。二人だけ? じゃあ、かなり難しいんですね。すごい……」
もっと多くの者が呪詛について知っているのかと思ったが、ごく一部に限られていることに驚いた。
麗は何冊か本を手に取りながら、都季の反応に違和感を覚える。“巳”について何も聞かされていないのかと。
(嘘でしょ。一番気をつけなきゃいけない“巳”の話をしてない? ここで働く奴なら、誰だって最初に聞くことなのに?)
一体、彼にどのような方針で教育を施しているのかと苛立ちが募る。持っている本の霊力が反応しようとしていたが、麗はそれをあっさりと払いのけた。自らの霊力で威嚇をすれば、本の霊力はすんなりと戻っていった。
テーブルに戻りながら、先に話してしまおうと都季へと体を向ける。
何を言われるのかと身構えた都季の周りに、黒い靄が忍び寄っていた。都季の霊力欲しさに、ある程度の力を纏めて襲いかかる気だ。
麗が僅かに目を細めれば、それはびくりと揺れて掻き消えた。
「本当は、あたしから言うようなことじゃないけど……いいわ。先に教えてあげるわ」
「はい?」
都季は唐突な話に首を傾げる。
麗は麗で、自分で言っておきながら、かなり上から目線になっていると気づいて自己嫌悪した。
「十二生肖の“巳”が、どういう存在なのかを」
何故、限られた者にしか呪詛が知られていないのかを。




