10話 言えない真実
小刀に付着した血が滑り落ちる。その小刀を握っていたのは、紛れもなく琴音本人だ。
都季だけでなく魁も言葉を失い、愕然として彼女を見つめる。しかし、琴音は苦しげな表情で視線を逸らすだけだった。
悠が記憶を読もうとしたことに気づいた彼女は、動揺した様子から一転。半ば自棄を起こしたように地を蹴って悠に飛びかかる。
「っ!」
「下がれ、悠!」
「……ふん」
都季の肩から月神が声を上げるも、今の悠には従う気など更々なかった。振り下ろされた小刀を軽くいなし、琴音の腕を掴んで地面に押さえつけた。
それでも琴音は悠の拘束を振り解こうと暴れるが、力の差があるせいか、それとも別の要因があるせいか逃げ出せないままだ。
「迷いがある人の太刀筋って、『か弱い人』でも簡単に押さえ込めるんですよ」
「今はスルーするからな」
「え? 今のどこに――うわっ!?」
琴音をいとも容易く押さえ込んだ悠の発言には首を傾げる箇所はあるが、今は取り合っている暇はない。流すと決めた都季だが、悠は自身の発言のどこにおかしな箇所があったのかと目を瞬かせる。
その一瞬の隙を見て、琴音は術を使って木の根を地面から生やした。素早く成長した根は悠を絡め取り、琴音から引き剥がす。
これが火属性の者であったなら即座に燃やし尽くすのだが、生憎、悠の属性は水だ。木を一瞬で消滅させる程の力はない。
「油断するな阿呆」
「ひっどーい」
「卯京さん。どうしてこんな事をしたの?」
月神と悠のやり取りは無視して、都季は距離を取った琴音に向き直る。
怪我をした男性は魁が早々に移動させたため、今は木の幹の向こうから痛みを堪える声が聞こえる。まだ接触したばかりだったのか、致命傷がないのが救いだ。
都季の問いに琴音はやや迷いを見せたが、それを振り払うように頭を振った。
「……言えない」
「何でだよ?」
「それも、言えない」
月神が悠に何か視えたかと視線をやるも、根に絡まれたままの悠は残念そうに首を左右に振るだけだ。
十二生肖の、それも月神がいることで精度が向上している能力を拒むとは、琴音に一体何があったのか。
月神はまた琴音へと視線を戻し、彼女の様子を観察する。
「理由が分からないと、俺達もどうしたらいいか分からないんだ。卯京さんが理由もなく人を傷つけるとは思ってない。だから、今回のことにも何か理由があるんだよね?」
「…………」
一般人はもちろん、無害な依人に武器を振るうことは、相応の理由がなければ許されない。対象が破綻、もしくはそれに近い状態であることか、周囲に危害を加える可能性があるかが条件だ。
しかし、報告で聞いた依人の被害者は破綻はしておらず、その可能性もない。誰かに危害を加えようとしていたわけでもないはずだ。
もし、それ以外の……琴音にしか分からない理由があるのなら、自分達にも共有してほしい。その思いを、都季は真剣に伝える。
「一夜さんや悠のときも何とかなったし、今回も解決できると思う。そのために、話してほしいんだ」
「ああ、もう。僕の黒歴史出さないでくださいよー」
「悠。お前は黙ってろ」
張り詰めた場を和ませようとしているのか、悠の発言は通常運転だ。本当に嫌なら、御黒か茶胡を出してくる。
だが、今は話が下手に折れてしまうため、魁が一喝して黙らせた。
その様子に苦笑いを浮かべつつ、都季は琴音に片手を差し出す。
「ほら、もう大丈夫だから」
「……っ」
俯いていた琴音がようやく顔を上げた。ずっと一人で抱えていたのだろう。目に涙を溜め、苦しげに歪んでいる。
これなら話してくれるかもしれない、と都季は安心させるために優しく微笑んだ。
琴音がすがるように都季の手を掴もうとしたときだった。
「確保!」
「え?」
「っ、ぐ!」
突然、横から飛び出してきた黒い影が、一瞬で琴音を押さえつけた。地面に叩きつけられた琴音が痛みに小さく呻き声を上げる。
都季は目の前で何が起こったのか分からず、手を差し出した体勢のまま、ただ呆然と立ち尽くす。
先に声を上げたのは、未だ根に捕らわれたままの悠だ。
「まったく。あなた方はなんでこう、中途半端なところで動くんですか? 押さえるなら、僕がこうなる前に押さえてくれません? 『ウンディーネさん』」
「その名前で呼ぶな」
悠は初めから気づいていた。琴音を捕らえようと潜んでいた、特務の気配に。
琴音を押さえるのは、七海の合図で飛び出した慶太だ。悠と違い、一瞬の隙さえも見せない。
七海は隠れていた木の影から姿を現すと、悠に訂正を入れたのち、すぐに頭を切り替えて言葉を続けた。
「そちらの都合は関係ない。対象が最も戦意を欠いたのが今だっただけのことだ」
「おい、テメェ。すぐそこを退け」
「申し訳ありませんが、それはできません」
「ああ?」
琴音の背に膝を置いて押さえたままの慶太を魁が睨み付ける。
しかし、慶太は微塵も怯む気配を見せなかった。琴音を押さえる力を緩めず、魁の言葉に従えない理由を説明する。
「彼女は、私達が依頼された件についても、重要参考人として挙がっているからです」
「重要参考人? 目撃者でもいたの?」
「そうだ。『白髪に赤い目の少女』だという目撃情報があった」
七海達は藤沢千穂の件で調べを進めていた。すると、意外にも早く、その情報を得ることができたのだ。
真偽のほどは本人を問いただしてみないと分からないが、具体的な情報であった上に珍しい髪と目の色の組み合わせは、見ていないとなかなか出てこないために逆に信憑性が高い。
だが、納得のいかない悠が七海に食らいついた。
「随分と具体的ですね。じゃあ、その目撃者に会わせてください。本当かどうか、僕が視てあげますから」
「お前は記憶を書き換える可能性がある。貴重な目撃者を減らすわけにはいかない」
「は? 君さぁ、誰に向かって言ってんの?」
「…………」
その一言で、場の空気が凍りついた。霊力が見えない刃となって全身を刺しているようだ。
苛立ちと敵意の混じる声音に、琴音を押さえていた慶太が僅かに怯む。七海は顔色ひとつ変えていないが、気を持たせるためか拳を握り締めていた。
「琴音先輩に何があったのか、視ようとしたら抵抗されました。なら、何か理由があるはず」
「犯人だから、視られて確定するのが怖いのだろう?」
「そんなの、この状況で拒む理由にはなりません」
琴音は一般人を斬っており、その現場に悠達も遭遇しているのだ。今さら余罪を恐れて過去の罪を隠す理由にはならない。ならば、彼女には視られてはマズい「何か」が他にあるはずだ。藤沢千穂の一件の目撃者がいるなら、そちらを視ればいい。
「何か分からないなら、目撃者がいたとしても、それが本当かどうか調べる必要があります」
「だから、それを本人に――」
「あー、もう! じれったいな! 書き換えるなんて、後々で問題になるのにやるかよ!」
頑として考えを変えない七海に魁が痺れを切らせた。もし、琴音が本当に犯人だったとして、記憶を視た悠が真実を書き換えればそれこそ局の不祥事だ。
「お前達は特に親しい間柄だろう? 罪を庇う可能性があると思われるのは当然だ」
「だから! もし……いや、もしでもないだろうけど、琴音がそんな事してたらちゃんと償ってもらうし、それで俺達が見捨てたりはしねぇって言ってんだよ! 燃やすぞ!」
「やめぬか、魁。そやつらはオルトロスとウンディーネ。どちらも火は効かぬ」
「ちっ」
終わりの見えない押し問答を止めたのは、間に入った月神だ。淡々と窘めると、魁は渋々引き下がった。
不満げな魁の前に浮遊する月神は、琴音を見下ろすと一瞬だけ目を細めた。
「!」
「……まぁ、よい。今はお主の意志を尊重しよう」
琴音の未来、もしくは過去を視たのか、月神はそれだけを言うと都季の肩に戻った。
攻撃姿勢を解いた魁を見て、慶太は琴音の背から膝を離す。だが、手は拘束したままで離す気配はなかった。
上体を起こした琴音の前に七海が片膝をついて問う。
「『アレ』は、お前がやったので間違いはないか?」
「…………」
七海が示したのは、魁が避難させた男性だ。
基本的に、特務が担当する依頼に局は手出しができない。琴音が犯人と見られているのは、特務が依頼を受けている藤沢千穂の件だ。都季達が琴音に話を聞けるのは、特務での調査が終わって結果が出てからになる。
もどかしさを感じる都季達の前で、視線を落とした琴音は七海の問いに小さく頷いた。
その様子を固唾を呑んで見守っていた都季は、色々と聞きたいことは浮かんでくるが、今は堪えるしかない、と視線を逸らす。
すると、突然、小さな呻き声が聞こえてきた。
「……いっ」
「悠?」
声の主は、相変わらず根に拘束されたままの悠だった。
何事かと悠を見れば、頭をひとつ振った彼は深呼吸をしてから言う。
「すみません。ちょっと、弾かれただけです」
「弾かれた?」
「いっそのこと、無理やり視てやろうと思ったのですが……琴音先輩の意識に邪魔されました」
「そんな……」
悠が琴音の記憶を視れば、彼女が何故、男性を襲ったのか理由が分かるはず。理由さえ分かれば、琴音にも弁明の余地はある。ただし、強制的に視るときはやや鮮明さに欠けるため、視えたものはしっかり精査しなければならない。
だが、彼女自身がその弁明の機会を拒んだと言う。
「詳しくは機関で聞こう。岸原、行くぞ」
「はい」
先に立ち上がった七海が慶太を促せば、彼は琴音を「立てますか?」と気遣いながらも立つ。
その様子を黙って見ていることしかできない都季は、歯痒さから拳を握りしめた。
「都季」
「なに?」
「琴音の過去に、彼女の意思によるものではない靄が掛かっておった」
「靄?」
月神も悠と同じように琴音の記憶を視ようとしていた。月神ならば、宝月を通して過去に何があったかを視ることもできる。ただ、悠や一夜のときのように、何らかの影響で視えないこともあるが。
今回もまた、はっきりしたものは視えなかった。だが、その原因は悠や一夜のときとは違ったものだ。
「ああ。悠のときは悠の意思と狐による妨害。一夜のときは一夜と悠の意思と狐による妨害だったが、今回は……これは何かのぅ。嫌なものしか感じぬ」
「月神もですか?」
「お主もだったか」
先ほどは「琴音の意識が邪魔をした」と言っていたが、真実は違っていた。
敢えてそれを明かさなかったのは、気持ちばかりの特務への仕返しの他に、きちんとした理由もある。
「ええ。琴音先輩の意思による妨害もありましたが、それを無視して視ようとしたら『それ』に邪魔されたんです。あの警邏隊員と同じものに」
「じゃあ、さっきそれを言えば、雲英さん達もちょっとは考えてくれたんじゃ……」
「邪魔をするものはなんですか? もしかすると、それを明かしてしまえば琴音先輩が完全な黒になる可能性だってあるんですよ? 危険な発言は控えておかないと」
悠の言葉も最もだ。琴音が良からぬ者達と繋がっているとは考えたくはないが、可能性はゼロではない。
やるせない気持ちから溜め息を吐いた都季に、下手な言葉をかけないほうがいいと思った悠は、「ところで……」と話を切り替える。
「これ、そろそろ外してくれませんかね?」
「「「……あ」」」
根に拘束されたままだということを、今さらながらに思い出した三人は揃って固まった。




