1話 世界の裏側で
夜の帳が降りた静かな住宅街。その一角に、高い塀に囲まれた異彩を放つ五階建ての白いビルがあった。
ビルはまだ中に人がいることを示すように明かりがついており、時折、窓には人影が映る。
同じ敷地内の西側にはマンションに似た四階建ての建物が四棟並んでいるが、今はどの部屋の窓にも明かりはついていない。
敷地と外を区切る金属質の白い門は沈黙を保っていたが、それは突如起こった爆発によって糸も簡単に破壊された。
「行けぇぇぇぇ!」
「地下だ! 『あいつ』は地下に保管されている!」
爆発と同時に敷地内へと雪崩込んだのは、建物の影に潜んでいた複数の人間。ただし、誰もが体のどこかしらに普通とは言えない箇所を持っていた。ある者は鋭い爪を、ある者はコウモリに似た翼を、ある者は獣のような頭を。
それぞれが『異形』の姿をしていた彼らは、門を潜ると真っ直ぐにビルの入口へと走った。
先頭のチーターの足を持つ男がガラス製の自動ドアを破ろうと身構えた瞬間、細い体は横へと弾き飛ばされた。
「っ、がは……!?」
最初の一人を皮切りに、後続の異形の者達も次々と、まるでトラックでも突進してきたのかと思わせる勢いで撥ね飛ばされていく。
ドア前の異形の者が一定距離からいなくなったとき、漸く撥ね飛ばしていた主が異形の者達の視界に入った。
「そんだけ派手な登場してんなら、よっぽど力に自信があるらしいな?」
「あ、あいつは……」
「この先に行きてぇなら、命はないと思え」
入口の前に一人立つのは、軍服を思わせる意匠の黒い制服に身を包んだ二十代後半の女性。背は高く細身だが、豊満な胸で圧迫されるのが嫌なのか、ブラウスのボタンは上から三つを外している。高めの位置で結わえた背中の中頃ほどまである黒髪が動きの反動で靡く。
異形の者達を睥睨しながら肩に担いだ槍を構え直すと、侵入者達が怖じ気づいてたじろぐ。
そんな中、一歩踏み出したのは灰色のフードを目深に被ったやや小柄な者だった。パーカーは敢えて体格に合わせていないのか大きめで、その人物が男なのか女なのか判別を難しくさせている。
「面倒なのが来たなぁ」
「……?」
ぽつりと呟かれた言葉は、辛うじて聞き取れるくらいの声量。
少し高めの少年の声はどこかで聞き覚えがあるが、誰のものだったかは思い出せず、女性は怪訝に顔を歪める。記憶にノイズがかかり、はっきりしない感覚にもどかしさと苛立ちが募った。
「ちっ。厄介なのはお互い様だろうが」
記憶操作ができる能力の持ち主だ、とすぐに結論は出た。
舌打ちをして、早々に片を付けるべく地を蹴る。
しかし、少年に意識を取られすぎていたのだろう。
フードの隙間から見えた口元が緩やかな弧を描いたかと思いきや、少年は楽しげに言った。
「どーん」
「っ!?」
直後、女性の背後で眩い光が発し、大きな爆発音とガラスが割れる音が響く。爆風によって飛散したガラス片が全身を切りつける。
「っ、くそ!」
突き刺さる痛みと白く染まる視界のせいで状況が把握しきれない。
だが、女性もただ大人しく視界が治るのを待っているわけではなかった。
槍の石突きで地面を強く突いた途端、槍を中心として水が発生し渦を起こす。女性の足下だけでなく侵入者の足下にまで広がった渦は、槍から半径三メートルほどの範囲で拡大を止めると、今度は端から上方へとドームを形成する。
「……ちっ。さすがに、何人かは逃がしたか」
瞬く間に形成された水のドームの中で、女性はうっすらと目を開ける。まだ朧気なままではあるが、相手の気配などで粗方の位置は把握できた。ただ、ドームの外にも残る気配を感じ取り、忌々しそうに舌打ちをする。
槍を構え直し、閉じ込めた侵入者に向き直った。
女性が左腕に着けている、大小異なる三つの丸玉がついたブレスレットが袖から覗く。真ん中についた水晶の丸玉は左右の桃色の丸玉よりやや大きく、中に十二枚の花弁を持つ花の模様が浮いている。本来ならば透けて見えるであろう丸玉を繋ぐ焦げ茶色の紐は、水晶の中には通っていないかのように見えない。
彼女は視界の隅にブレスレットを捉えると、まるで誰かに話しかけるように言った。
「悪い。何人か取り逃がした。増援もいるようだし、苦しいぞ」
ドームの外にいる侵入者は、女性そっちのけで中へと入っている。建物の中にも侵入者を防ぐ者達や設備はあるが、最も力のある者達は別の場所に現れた異端の者達の対処に駆り出されている状況だ。
この敷地内への侵入より先に出現していた辺り、すべて計算していたのだろう。
「あたしも早めに片付ける。それまで、なんとか耐えてくれ」
槍をさらに握りしめ、女性は鋭く侵入者達を睨む。最悪なことに、一番厄介であろうフードの少年の姿は見当たらない。
震え上がる彼らを見た後、力強く地を蹴った。
□■□■□
同時刻。建物の地下にあるとある密室では、来る侵入者に備えて一人の青年が重厚な観音開きの扉に向いて立っていた。
二十代半ばに見える彼は、両サイドに黒いメッシュを入れた山吹色の短髪につりがちの黒い目、と初対面の相手にやや恐い印象を与える顔立ちだ。薄手のVネックのシャツの上からでも分かる引き締まった体は、力強い雰囲気を醸し出している。
部屋は薄暗く、光源は青年の背後にある、東西南北に一基ずつ置かれた石灯籠に灯る青白い光だけだ。
石灯籠は麻紐で繋がれており、三つずつ紙垂がついている。石灯籠で囲った中心には、青年の肩くらいまでの高さの細い木が生えていた。
また、四基の石灯籠と青年の間には簡易的な祭壇があり、中央に紫色の座布団に乗せられた水晶玉、左右に榊が飾られている。
青年は、左腕に着けた丸玉が三つついたブレスレットから聞こえる声に、挑発的な笑みを浮かべる。
「――了解。あとは任せとけ」
ブレスレットには地上にいる女性と同じ水晶玉と、それを挟む紫色の丸玉がある。
中心の水晶玉は同じ物を持つ者同士で通信ができる機能がついており、離れていても会話をすることができるのだ。
意気揚々とした青年の返事を聞いたのか、呆れた女性の声が返ってくる。
《お前、それフラグだからな》
「へへっ。一度言ってみたかったんだよ」
青年はやや強面な見かけに反して無邪気な笑みを浮かべる。
堅く閉ざされた扉の向こうから、侵入者が放つ力を微かに感じ取ることができた。
建物内にいる味方は決して柔な鍛え方をしていなかったはずだが、これでは見直す必要がありそうだ。
笑む傍らでそう思っていると、女性からはこちらの身を案ずる言葉が掛けられた。
《はぁ……。お前の傷はまだ完治してるわけじゃない。無茶だけはするなよ》
「え。待って。それこそフラグ……って、切れた」
彼女に心配されるとは、と喜んだのも束の間。それこそ、先に出された「フラグ」というものに該当するのではと気づいた。
だが、通信は既に切られており、彼女も余裕があるわけではないと分かる。
青年は大きく深呼吸をすると、気持ちを切り替えて扉に向き直った。
「さぁ、『寅の月守』を倒せるもんならやってみな!」
力強く言い放つと同時に、分厚い扉が大きな音を立てて開かれた。
雪崩込んできた侵入者達は、待ち構えていた青年の姿に足を止めたものの、すぐにそれぞれが床を蹴って飛びかかった。
「――宝月、制限解除。形態、神器!」
唱えながら青年が横に突き出した左手首で、ブレスレットが紫色の光を放つ。
紫色の発光体が同色の丸玉から飛び出すと、青年はそれを右手で掴む。すると、発光体は形を変え、光が弾けると一振りの大剣が形成されていた。
向かってくる侵入者達を払うように大剣を横一線に一振り。
勢いをつけていた分、彼らは避けることもできずに重い一撃をまともに食らった。
だが、侵入者の傷口から血が飛び散ることはなく、代わりに体に亀裂が走り、土人形であったかのように砕け散った。また、その破片は端から風化していき、後には何も残っていない。
青年はその異様な光景に驚くことはなく、次々と侵入者を斬り倒していく。
動きが止まったのは、侵入者の影から飛び出た一羽のカラスを見つけてからだ。
カラスの頭は二つ、足は一本しかない。異様な姿をしたその動物は、本来であればこの侵入者のような者達と行動を共にすることはないはずだ。
「っかしーな。なんで『破綻組』と『幻妖』が一緒にいるんだ?」
この世界には、公に知られていない存在がある。青年の言う破綻組と幻妖もその一部だ。
破綻組は特殊な力を持つ者達が自身の力を扱いきれずに暴走した末路であり、幻妖は人ならざるもの……主に「空想上の動物」や「妖怪」といったもの達を示す。
幻妖は破綻組を嫌うものが多く、今回のように共闘することはありえない。
飛来するカラスの爪による引っ掻きを避けつつ、大剣で斬り倒す。
考えを巡らせながら戦っていたせいだろうか。背後に迫っていた気配に気づいたのは、侵入者の鋭い爪が振り下ろされてからだった。
「っ!?」
躱そうと身を捻るも、爪は左の脇腹を掠めた。
だが、相手はその場所が狙いだったようだ。にやり、と不敵な笑みがそれを物語っていた。
本来であれば掠めた程度ではありえないほどの鋭い痛みが脇腹に走り、青年は床に片膝をつく。
「……っ、はは。誰だぁ? 俺の『怪我』を洩らしたのは」
服の上から押さえた手の下に赤い血が滲んでいく。瞬く間に広がるそれは、指の隙間から流れて床に斑点を描く。
少し前、青年は侵入者達と同じような者達を相手に派手に立ち回ったことがあった。その際、油断していたこともあって大怪我を負ってしまい、しばらくの間は前線を退かなければならなくなったのだ。
ただ、怪我については外部の誰もが知るはずはなく、当時敵対していた者達もすべて消えているため、知る術はない。となると、今回の怪我を敢えて狙ったのは誰かが情報を洩らした可能性がある。
「もらった!」
「あ、お前……!」
青年が動けなくなった隙に人の波から飛び出したのは一人の青年だ。彼はコウモリのような羽を生やしており、一度の羽ばたきで天井際まで飛び上がる。
祭壇に奉られていた水晶玉を手にした瞬間、祭壇の向こう側にあった細い木が眩い光を放ち、光の玉が二つ枝先から飛び出した。
水晶玉を手にした青年は、振り返ることもせず真っ直ぐに出入り口へと引き返す。
それを光の玉が追おうとしたのを見た青年は、傷の痛みも忘れて声を上げた。
「やめろ! 追うな!」
声に反応し、光の玉はぴたりと止まるとシャボン玉のように弾けて消えた。
青年は足に力を入れると、大剣を杖代わりにしてゆっくりと立ち上がる。
「まったく。これじゃあ、『俺達の中に裏切り者がいる』って知らしめてるようなもんだろうが……」
辛そうに笑みを浮かべつつ、青年は目の前を見据える。
追っ手を遮るためか、それとも青年の血肉を欲しているのか、侵入者達は去る気配を見せない。
青年はブレスレットに意識を送ると、笑顔を消し去って言った。
「『局』の残りは俺達が死んでも片付ける。追跡は任せたぞ、“番犬”」
□■□■□
五月も半ばだというのに、暖かくなりかけた気温は再び下がりはじめ、冬のような寒さが続いている。
吐いた息が白い、と思いながら、遠くの位置から伝えられた言葉に、少年は拳を握りしめると力強く返した。
「ああ、任せとけ」
少年の左袖から覗くブレスレットには、花の模様が浮かぶ水晶とそれを挟む二つの茶色の丸玉がある。
夜空と同じ色の瞳に決意を灯らせると、少年は夜の町を駆けた。




