1.崩壊
夕暮れの王都ドールセンは、まるで巨大な焼却炉の中にあった。
空一面が真紅に染まり、低く垂れこめた煙が夕焼けと混じり合って、境界を失っている。
灰が雪のように降り注ぎ、遠くでは群衆がパニックを起こしているであろう騒音が聞こえてきた。
地獄絵図とはまさにこの事か。
空が燃えている様な錯覚を覚える。
王城が炎に呑まれるのを見ても、この国、ブラックバニア王国の第9王子にして、学徒兵部隊『第666特別大隊』の指揮官である俺、スカイ・キャリアベースの胸中は驚くほど静かだった。
俺の生まれた国。
俺が戦い、守り、そして利用された国。
燃え尽きる光景を前にしても、涙は出ない。喉の奥に何か固いものが引っかかっているだけだ。
「……石造りの建物でも、案外よく燃えるもんだな。豪勢な火葬だな、お父上様」
自分でも驚くほど乾いた声だった。
王城の中央塔が崩れ、炎が吹き上がる。まるで王家の象徴が最後の断末魔をあげるように。
「……不謹慎です。中にはまだ人がいます。第一近衛師団より通信。「我々は最期まで王城に籠り、玉砕する」と……。」
隣から静かな声が返る。
エリザベス・ラプター。齢十六。
俺の副官であり、参謀であり、遠慮なく諫言を投げつけてくる稀有な存在だ。
いつもなら皮肉に皮肉で返すところだが、今の彼女の声は硬い。眼鏡の奥の桃色の瞳に、いつもの冷静な計算はない。あるのは疲労と、押し殺した感情だけだ。
彼女も王都出身だ。
家も、思い出も、知人も、この炎の中にある。
「嫌味の一つくらい言わせろ。馬鹿親父め、何の責任も取らずにスパッと自分だけ死に逃げしやがって……それに第一近衛師団……律儀な奴らだ。あんな愚王と心中する事無かろうに」
彼らとは何度か顔を合わせた事がある。この腐敗した王国にあらざる、数少ない勇敢で真面目な軍人達だった。何も好き好んで犬死を選ぶ事はなかろうに。
王は自決した。城が落ちる直前に。潔いと称える声もあるだろう。
だが俺に言わせれば、ただの死に逃げだ。
俺は燃え上がる街並みを目で追った。瓦礫の間を人影が走り、兵が叫び、民達は逃げ惑い、煙が風に流れていく。王都の街並みが焔の中で崩れていく。
――もう戦いは終わりだ。
兵站は途絶え、味方は散り、敵は包囲を完成させつつある。
奇跡でも起きない限り、勝ちはない。
そして奇跡など、戦場では一度も起きなかった。
「残された道は二つです。第一近衛師団の様に玉砕。それか撤退」
地図を広げたまま、エリザベスが言う。声は強い。だが、その指先はわずかに震えている。
玉砕すれば、王族としての体面は保てる。
英雄譚にもなるだろう。
撤退すれば、汚名とともに生き延びることになる。
俺は炎を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
この街で生まれ、この街で育ち、この国のために戦わされた。
ろくな思い出がないクソみたいな国だったが、こんなのでも祖国。守りたかったんだがなあ……。
「……もういい。十分戦った。撤退する」
言葉にした瞬間、肩の奥に溜まっていた疲労がどっと噴き出した様な気がする。まだ俺は15。この歳でこんな地獄背負わされるやつが何人いるだろう? 前世で何か悪行でもしたのだろうか?
「……了解。悔しいですが……賢明な判断です」
エリザベスは小さく頷いた。伏せた瞳が痛い。彼女も王都を守りたかったのだ。それでも感情を押し込み、合理を選ぶ。
俺は彼女の肩を軽く叩いた。
「なに、生きてりゃ、ツキが向いてくる事もあるさ」
あえて軽く言う。根拠はない。ただ、自分に言い聞かせるように。
腰の無線機を掴む。ノイズの向こうで銃声と悲鳴が混ざる。
深く息を吸い込み、叫んだ。
「全隊へッ! 第666特別大隊はこれより王都を離脱する! 生存者は合流ポイントへ急げ! 繰り返す、王都を放棄する!」
声は炎と煙に飲み込まれ、空へ吸われていく。
燃える城を最後に一瞥する。
俺は踵を返す。
王子としてではない。
敗軍の指揮官としてでもない。
ただ、生き残る者の一人として。
――この撤退が、後にどんな未来へ繋がるのかは、この時はまだ誰も知らなかった。




