幕間 Side:各務 遥
午前の外来がひと段落した。白衣の袖を少し折って、処方の控えを見直す。花粉症の人が増える季節。待合では小さく鼻をすする音が続いている。
昼休み、白衣を椅子に掛けて商店街へ出た。八百屋で菜の花を一把、豆腐屋で厚揚げを二枚。角を曲がったところで、紙袋を提げた和葉ちゃんと鉢合わせになる。袋の口から、紅茶の小箱がのぞいた。
「こんにちは、遥さん」
「こんにちは。お買い物?」
「はい。紅茶の茶葉だけ、少し」
「いいね。春は香りが出る」
袋を持ち直した拍子に袖口が上がり、細い紺の革ベルトが見えた。
「新しいの?」
「はい。誕生日にもらいました」
「そう。似合ってる」
「ありがとうございます。大事にします」
立ち話にならない程度に笑い合って、「失礼します」と互いに頭を下げる。歩き出す背中は、いつもより少しだけ軽く見えた。
診療所に戻る。受付で買い物袋を預け、手指消毒をしてカルテを一枚受け取る。壁の時計は淡々と進む。特別な日より、積み上がる普通の日。私の仕事は、その並びを整えることだ。
午後の予約を確認していると、メールの通知が入った。弓削さんから。
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件名:先日の件、ありがとうございました
各務先生
お世話になります。ホワイトデーは無事に渡せました。
和葉には紅茶と菓子、カップを一客。最初の一杯は一緒に淹れました。
方向だけ、助かりました。礼まで。
弓削
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画面を閉じず、そのまま返信欄を開く。必要なことだけ打つ。
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【件名】:Re: 先日の件、ありがとうございました
弓削さん
ご連絡ありがとうございます。まとまって何よりです。
もうひとつ、覚えているうちに。フリーランスだと年1回の健診を後回しにしがちなので、
来週火曜〜木曜の午前に軽めの自費健診が空いています。
無理に、ではありません。タイミングが合えばご検討ください。
それと、和葉ちゃんの件です。必要であればお伝えください――体調以外のことでも、困りごとがあれば
相談に乗ります。予約は不要で、受付で私の名前を伝えてもらえれば通ります。
年上の女性として話しやすいこともあると思います。ひとつの選択肢として、覚えておいてください。
各務 遥
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送信して画面を閉じる。押しつけではない。逃げ道だけ残す。
呼ばれて診察室へ戻る。花粉症の親子。症状を聞き、薬の量を調整して、次回の目安を書き添える。ドアの外では買い物袋の擦れる音。風はまだ少し強い。
合間に、短い返信が入った。
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了解です。健診は予定確認のうえ連絡します。
和葉の件、ありがとうございます。伝えておきます。
弓削
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白衣の袖を戻し、次のカルテを開く。窓の外でミモザの枝が揺れた。春の黄色は目立つけれど、見過ごされても困らない。そういうもののほうが、長く残る。




