表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンプライアンスを遵守したい年の差恋愛  作者: 金雀枝
第4章:つないだ手、心の距離
92/239

2024年2月14日(水)

 朝、コーヒーを淹れて、冷蔵庫の扉に手をかけて――やめた。


 開けたら何かあるのはわかっている。

 見なかったことにしよう。


 ノートPCを開く。午前は会議、午後はレビュー。


 画面の脇で御子神さんが丸くなり、ときどき尻尾だけ動かした。


 ***


 夕方、スマホが震える。


 〈今から帰ります〉

 〈了解。気をつけろ〉


 このやり取りも、すっかり日課になった。


 律儀に報告してくれるから、こちらは余計な心配をせずに済む。


 玄関の鍵が回る音。


 御子神さんが先に走り、和葉が「ただいまー」と声をかける。


 手洗いとうがいの水音が止み、冷蔵庫の扉が開いた。


「おかえり」

「ただいまかえりました!」


 テーブルの前で、彼女は一度深呼吸してから、白いタグのついた包みを差し出した。


「日頃の感謝を込めて。受け取ってください」


 字は見慣れた細さだが、今日は少しだけ大きい。


「ありがとう。大事にいただく」


 受け取る側は、余計な意味を探さず、そのまま受け取ればいい。


 結び目を指で軽く撫で、テーブルの端に置く。


 それだけで、彼女の視線がほぐれた。


「それと、預かりもの。歩ちゃんと朱鷺子から」


 緑と赤のリボンが二つ。


「律儀だな。ありがとうと伝えてくれ」


 小皿に三つ並べる。


 包みを一つ開き、端を割って口に運ぶ。


 最初にほのかな塩味。

 すぐに甘さが追いかけてくる。


 舌の上で、静かに溶けた。


「ほら。一緒に食べよう」


 差し出すと、和葉は少し照れながら受け取る。


 指先が触れた一瞬だけ、気配が重なった。


 彼女も一口含み、小さく笑う。


「おいしいです。やっぱり三人で作ったからかな」


「丁寧に作ってあるな」


「朱鷺子が温度を見て、歩ちゃんが飾って、私が混ぜたんです!」


 並んで小皿を覗き込む。


 窓の外は冷たい。


 部屋の中は、静かに温かい。


「二人の分は後でいただこう。猫はチョコがダメだから、棚の上に置いといてくれ」


「はい」


 御子神さんが不満げにこちらを見る。


 和葉が小袋を取り出すと、紙の音に反応して猫が前足を伸ばした。


「はいはい、これね」


 小さなおやつを差し出す。


 御子神さんが喉を鳴らす。


 和葉の指先が、やわらかく背を撫でる。


 その仕草を見ているだけで、部屋の空気が緩む。


 ***


「そうだ。せっかくだから、直接お礼、言ってください。二人、絶対喜びます」


「連絡先は持ってない」


「私のスマホでグループ通話にします。スピーカーにして」


 呼び出し音が二回。


『はーい! こちら歩ちゃん、回線良好!』


『朱鷺子です。聞こえてます』


「弓削だ。さっき受け取った。丁寧に作ってくれて、ありがとう。大事にいただく」


『やった! 来月、期待してます!』


「来月?」


『ホワイトデーです!』


『歩、要求が露骨。――でも、気持ちは同じ。和葉を支えてくれて、ありがとうございます』


「こちらこそ。和葉の面倒見てくれて助かってる」


「え?持ちつ持たれつですよ!?」


『任務完了。では、撤収!』


 通話が切れる。


 和葉はスマホを胸の前で抱え、ほっと息をついた。


「ありがとうございました」


「礼を言うことじゃない。――さ、夕飯の準備に戻るか」


 御子神さんが足元で一声鳴く。


 通話の余韻が、部屋に静かに溶けた。


 ***


 在宅で仕事を始めてから、季節の行事とは縁が薄かった。


 家の中だけで一日が完結し、月日だけがカレンダーを滑っていく。


 でも。


 紙袋とリボンと、短い通話ひとつで、季節がちゃんと家の中に入ってくる。


 悪くない。


 来月のお返しは何にするか。


 焼き菓子か、それとも飲み物に添える何かか。


 考える時間ごと、楽しめばいい。


 和葉と並んで台所に立ちながら、そんなことを思っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ