Side:和葉 2024年2月13日(火)
チャイムが鳴った瞬間、歩ちゃんが私の机に身を乗り出した。
「緊急作戦会議! 今日決めて今日作る!」
「え、いきなりどうしたの?」
「明日バレンタインでしょ! 和葉先生ご指導お願いします!!」
朱鷺子も教科書を閉じて、淡々と続ける。
「さすがにこれは弓削さんを頼るわけにもいかない。材料は早めがいいわ。板チョコは多め、ナッツとドライフルーツ、ラッピングも」
「うん。じゃあ放課後に買い出しして、そのまま作ろう」
「賛成!」
「温度管理は任せて」
私は小さく頷いた。
***
帰り道、三人でメモを分担してスーパーへ。
かごの中が、少しずつチョコレートの色になっていく。
「ミルク二、スイート三、生クリーム小、私ね」
「アーモンドとピスタチオ、塩気用にプレッツェルは私!」
「ココアパウダーとバター、紙カップと透明袋を取る」
レジを抜けたところで、歩ちゃんがスマホを掲げた。
「では我が家へ直行! 台所使用許可はお母さんから取得済み!」
私は弓削さんに連絡を入れる。
〈歩ちゃんの家に寄ってきます。帰りは少し遅くなるかも〉
〈了解。迎えが必要なら連絡するんだぞ〉
画面を見せると、歩ちゃんは「反応早っ」と笑い、朱鷺子は「詮索しないのが、らしいわね」と口角を上げた。
***
玄関を開けると、明るい声が飛ぶ。
「いらっしゃい。お菓子づくり、楽しんでいってね」
エプロン姿のお母さんだ。
「台所は自由にどうぞ。ただし、床はデコ禁止ね!」
「しないよ!」と歩ちゃんが即答する。
「おじゃまします」と私と朱鷺子も頭を下げた。
キッチンの作業台に材料を並べる。
「じゃ、始めようか」
私は袖をまくる。
鍋に湯を張り、ボウルに刻んだチョコがコトンと落ちる。
湯せんの湯気がゆるく立ちのぼる。
「直火に当てないで、溶け残りが指で感じなくなるまで。ヘラは底からゆっくり」
「了解。手首で温度ちょん」
「私はナッツ刻みとプレッツェル砕き、それと洗いもの!」
包丁のトントンが、軽いリズムになる。
「渡す相手、決めとこっか」
「私はお父さんと兄かなー」
「私は父と弟」
私は少しだけ間を置いた。
「私は……お世話になってる人に」
「あと、弓削さんにも渡そうかな。試験とかマジでお世話になりっぱなしだし……」と歩ちゃん。
「そうね。和葉を助けてくれたこと、私たちも感謝しているわ」と朱鷺子。
「え、えっと……弓削さんに? 二人も?」
「本命じゃないから安心しなさい」
「義理以上・本命未満って感じ?」
「……うん。ありがとう」
湯せんから外し、少しだけ待つ。
ヘラでならして、端をちょんと味見。
「ちゃんと溶けてる。するっと消える」
「おいしい! 甘いのにしつこくない」
「これなら自信持って渡せるわね」
「型いきます」
流す、均す、軽くトントン。
台がわずかに震えて気泡が上がる。
歩ちゃんが楽しそうにナッツを散らし、プレッツェルを置いていく。
「見て、これ可愛くない?」
プレッツェルを二つ寄せて、尖ったほうを合わせる。小さなハートが一列に並ぶ。
「うん、かわいい」
「和葉のはここに塩をほんの少し。合うから」
「うん。ありがとう」
粗熱が取れるのを待って、冷蔵庫へ。
鉄板が棚に収まるカチリという音が、思ったより頼もしい。
***
タイマーが鳴る。
型から外し、小袋に一枚ずつ滑り込ませる。
空気を抜き、口をぴたりと閉じる。
「メッセージカード、なんて書く?」
「弓削さんには『いつも気にかけてくれて、ありがとうございます』。家は……『お父さんへ:いつもありがとう』」
「私は『和葉のこと、いつもありがとうございます』。家は短めでいいわ」
私は、少しだけ息を整えてから書いた。
「いつも支えてくれて、ありがとうございます」
ペン先は少し震えたのに、文字はまっすぐだった。
リボンを結ぶ手つきが、自然と丁寧になる。
「はい、これは私たちからの分。弓削さんに渡しておいてね!」
赤と緑のリボンが並ぶ。
「責任持って渡すね」
「お願い」
テーブル一面に、小袋が並ぶ。
甘い匂いが静かに混ざり合い、見ているだけで少し満たされた。
***
外は澄んだ冷たさ。
吐く息が丸く浮かんで、すぐ消える。
信号待ちでスマホを開く。
〈今から帰ります。冷蔵庫、少し借ります〉
〈了解。上段の左を空けてある。足元、気をつけろ〉
肩の力が、少し抜けた。
街灯の下で、袋のリボンが小さく揺れる。
義理でも、本命でも、とひとことで言い切るのは違う。
今日作ったこれは、ありがとうの形。
味はきっと、私の気持ちの味だ。
横断歩道の白い線に足を置く。
歩幅をそろえる練習は、あの日の雪の上から続いている。
明日は渡すだけ。
深呼吸をひとつ。
紙袋を胸の前で抱え直し、家への角を曲がった。




