2024年1月11日(木)~
休みが明けた途端、仕事は派手に荒れた。午前に固めた仕様が夕方には覆り、夜には障害の連絡。チャットは鳴りっぱなしで、キーボードの横に湯気の抜けたマグが増えていく。
家事は――悪いが丸投げした。
和葉は、目に見えて張り切った。冷蔵庫の扉に付箋が三色増える。「朝」「夜」「要補充」。買い物メモの横に今日の日付とレシート、合計金額のメモ書き。炊飯器は予約、弁当用の小分けご飯がラップで並ぶ。
洗濯機は帰宅直後に一度、入浴前にもう一度。タオルと下着を分け、タイマーに終了時刻を入れて、干す順番のメモまで貼ってある。
夜は豚汁を多めに作って翌朝へ回し、鮭は下味をつけて保存袋へ。野菜は切って水を切り、布巾で包んで、タッパーに日付を書く。
「御子神さんは私担当」と宣言して、ブラッシングとトイレ、給水器まで手が回る。玄関マットは洗って干され、靴箱の上は薄く埃が取れていた。
「助かる」
「はいっ」
返事が元気だ。任せる練習。任される練習。どちらも悪くない。
***
二日目には、冷蔵庫の右下に「家事スケジュール」が現れた。タイマーが鳴るたび、次のタスクへすっと移る。味噌は前夜の出汁を活かし、卵焼きは失敗のない火加減で四角く収まる。テーブルの端に「明日:牛乳/卵/小葱」「夕食候補:肉じゃが・焼きうどん・サバ味噌(缶)」のメモ。現実的で、頼もしい。
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三日目の夜、ようやく火が小さくなる。区切りをつけて風呂へ逃げ込む。湯船に肩まで沈めると、息が深く落ちた。湯気の向こうで換気扇がゆっくり回っている。
引き戸が、こん、と控えめに鳴った。
「……入ります」
すり足で和葉が入ってきた。エプロンのまま、服もそのまま。手には小さなタオルと泡立てネット。足元はバスマットの上。
「強行突破か」
「はい。いつきさんはわがままですから。強制的に労います!」
「……わかった。滑るなよ」
バススツールに腰をおろし、膝から前にバスタオルを掛ける。和葉は石鹸を軽く泡立て、肩甲骨の外側から円を描いた。
「ここ、固いです」
「ああ。そこは今日はきつい」
「こう……ですか?」
「……ちょっと強い。半分で」
「了解です」
泡を流し、温かいタオルに持ち替える。肩にのせると、思わず息が落ちた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫。気持ちいい」
数回、タオル越しに押して、やりすぎないうちに手が離れる。
「スパに行ったときのこと、思い出しました。もっと、役に立ちたいです。お世話、させてください」
言葉は真っすぐで、目は逃げない。
「……無理はしないこと。俺が嫌な顔したら止める。それだけ守ってくれれば、頼る」
「はい。――それと、甘えさせてもください」
「ああ。いつでも」
脱衣所に出ると、ドライヤーが用意されていた。和葉が電源を入れ、背の後ろに回る。
「風、強すぎたら言ってください」
「そのままでいい」
温風が首筋を撫で、鏡の端で和葉の顔が真剣なのが見える。乾いたところでスイッチが切れた。
「助かった。軽くなった」
「えへへ」
***
居間に戻ると、御子神さんが伸びをして足元にまとわりつく。テーブルの上には温めるだけのスープと小鉢、ラップの端がきっちり畳まれている。
「今日は簡単に済ませよう」
「はい。――あの」
和葉が少し前のめりになる。
「お仕事大変なときは、いつでも私に頼ってください! 今日あらためて分かりました。いつきさん、肩ガッチガチです……。これからは毎日マッサージ係やります。練習します! だから、頑張る前に合図ください。頭ぽん一回で集合します!」
「毎日はいい。二日に一回で様子見だ」
「じゃあ二日に一回から! 良くなったら毎日に昇格です」
スープの湯気が立ちのぼる。食べ終わると、和葉が食器を下げ、流しの水音が短く続いた。戻ってきた和葉が、胸の前で手を合わせる。
「コリには温めが一番です! だから今日も布団にお邪魔します!」
「……それ、お前がしたいだけだろ」
「はい。Win-Winです!」
こたつを端に寄せ、二人ぶんの布団をつなげる。和葉は得意げに電気毛布のダイヤルを回し、湯たんぽを真ん中に置いた。袖口をつまんできたので、頭を一度ぽんと叩いてから横になる。
「蹴飛ばすなよ」
「蹴りません。保温担当です」
灯りを落とす。暗がりで、布団の端同士がかすかに触れる。和葉は静かに呼吸を整えて、少しだけ近づく――行き過ぎる前に自分で止まる。その距離感が、今日は上手だった。
「おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
寝息がリズムを作る。通知も湯気も静かになって、指先の冷えが引いていく。
――確かに、一人で寝るより、あたたかかった。




