Side:和葉 2024年1月1日(月)
夜の空気はきゅっと冷たくて、息が白くなるたびに、新しい年が肺の奥まで入ってくるみたいだった。
手の中には、いつきさんの手。
指先は冷たいのに、掌はちゃんとあたたかい。
ぎゅっと握り返したら、同じ力で返ってきて、胸の奥が少しほぐれた。
神社の灯りが見えたところで、歩ちゃんと朱鷺子と合流した。
「わ、手ぇ繋いでる!」
「……仲良し」
ふたりの顔が同時に近づく。
頬が熱くなるのがわかった。
でも、ここで離したら、それはそれで嘘になる。
「い、いいでしょ。寒いんだから」
言葉にしてみたら、思っていたより小さな声だった。
でも、ちゃんと口から出た。
歩ちゃんは「きゃー!」と変な声で笑って、朱鷺子は目を細める。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとう!」
「……おめでとう」
頭を下げ合って、四人で列に並ぶ。
屋台の匂いが風に混ざる。
しょうゆと砂糖の甘さが、交互に鼻をくすぐる。
篝火のゆらぎが頬を撫でて、耳の端だけ少しあたたかい。
人混みは、ほんとは少し苦手。
でも今は、肩の横にふたりの友だちがいて、その向こうにいつきさんがいる。
だから平気だと思えた。
「今年の目標、決めた?」と歩ちゃん。
「……まずは赤点回避ね」と朱鷺子。
「目標がそれでいいのか。夢がないな」といつきさん。
「ひどい! 正論すぎる!」と歩ちゃんが笑う。
私もつられて口元がゆるむ。
からかい半分の言い方なのに、声の温度は冷たくない。
「……うん。じゃ、三人で勉強会、継続だね」
歩ちゃんがそう言って、朱鷺子が小さく頷く。
私も頷き返す。
心臓が一拍ぶんだけ強く鳴って、冷たい空気の中でその音だけがはっきりした。
鈴の音が近づく。
柏手の音が大きくなる。
私たちの番が来て、賽銭を投げ、二礼二拍手一礼。
――どうか。
短い言葉を、胸の中で重ねる。
御子神さんがずっと元気でいられますように。
いつきさんが、どうか大きな怪我や病気をしませんように。
それから……ずっと一緒にいられますように。
喉の奥に詰まったそれは、声にはならなかった。
でも、掌で合わせた温度が、静かに背中まで降りていくのを感じた。
***
お参りを終えると、いつきさんが周りを見回して、いつもの調子で言った。
「今日は奢りだ。好きなの選べ」
それだけで、胸がぱっと軽くなる。
「やった!」
思わず声が出て、指先まであったかくなった。
「わたし、りんご飴!」と歩ちゃんが跳ねる。
「私は、たこ焼き」と朱鷺子。
「わ、私は……焼きそば」
紙皿に湯気が立ちのぼり、灯りが油の膜に小さく揺れた。
四人で並んで受け取るだけで、今年最初のご褒美みたいに思えた。
屋台の脇に寄って、肩を並べる。
「今年もよろしくね」
「……よろしく」
「うん、今年も」
焼きそばをひと口。
思ったより熱くて、ふーふーと冷ましてから、またひと口。
おいしい、って言う前に、顔が勝手に緩んでいたらしい。
「その顔、正直で助かる」と歩ちゃんが笑う。
最後に振る舞いの甘酒をもらう。
紙コップを両手で包むと、指先の痺れが戻ってくる。
「……あったかい」
一口飲んだだけで、体の中心がふわっと緩むのがわかった。
鼻に抜ける香りがやさしくて、肩の力がほどけていく。
「和葉ちゃん、ほっぺ赤いよ?」
「……酒粕は、弱い人には効くから」
朱鷺子の耳も、少し赤い。
「だ、だいじょうぶ、だから……」
そう言いながら、残りを一気に飲み干す。
近くのゴミ箱に空のカップを捨てて、右手を伸ばす。
袖口をつまんだ瞬間、ふらりと体が傾いて――
そのまま胸に抱きついていた。
「いつきさん、あったかい……」
「はいはい。――もう帰るぞ」
背中に回った手のひらの広さと、厚み。
“安全”という言葉の形が、具体的になっていく。
参道を離れると、人の群れは急に薄くなった。
夜の冷たさが戻る。
冷たい、と思ったはずなのに、足元の世界がやわらかく揺れて、瞼が重くなる。
「ねむ……」
「ほら」
その声に合わせて、身体がふわっと浮いた。
背中。
肩越しに見える夜空。
遠くなる屋台の灯り。
眠っちゃだめだ、と思ったのに、思いはすぐ眠気に追い越される。
背中の広さが、子どものころの毛布みたいに全部を包んで、呼吸だけが規則正しく続いた。
どこかで歩ちゃんの声がする。
「和葉ちゃん、甘酒でこれって、可愛すぎでは?」
「……帰り道は気をつけないと」と朱鷺子。
会話は途中で切れたり、繋がったりして、薄い霧の向こうに浮かんでは消える。
玄関の灯りが順番に近づいて、
誰かが「今年もよろしく」と言って、
誰かが「任せて」と返す。
その「任せて」が、たぶん学校のことで、私のこと。
半分寝た頭でも、ちゃんとわかった。
お願い、と思う。
ありがとう、と思う。
言葉にする前に、また眠気が追い越していく。
背中。
肩。
歩幅。
揺れが心地よくて、夢と現実の境目がほどけたとき、
声だけが喉の奥からぽろっと零れた。
「……ことしも、よろしくおねがいします……」
返事は短い。
でも、ちゃんと重みがあった。
うん、と頷いたつもりだったけれど、それもきっと夢の中の動き。
家は近い。
近いのに、今夜はこの背中に、もう少し乗っていたい。
音も匂いも冷たさも、毛布にくるまれたみたいにやわらいでいく。
新しい年は、こんなふうに始まる。




