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コンプライアンスを遵守したい年の差恋愛  作者: 金雀枝
第4章:つないだ手、心の距離
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Side:和葉 2024年1月1日(月)

 夜の空気はきゅっと冷たくて、息が白くなるたびに、新しい年が肺の奥まで入ってくるみたいだった。


 手の中には、いつきさんの手。


 指先は冷たいのに、掌はちゃんとあたたかい。

 ぎゅっと握り返したら、同じ力で返ってきて、胸の奥が少しほぐれた。


 神社の灯りが見えたところで、歩ちゃんと朱鷺子と合流した。


「わ、手ぇ繋いでる!」

「……仲良し」


 ふたりの顔が同時に近づく。


 頬が熱くなるのがわかった。

 でも、ここで離したら、それはそれで嘘になる。


「い、いいでしょ。寒いんだから」


 言葉にしてみたら、思っていたより小さな声だった。

 でも、ちゃんと口から出た。


 歩ちゃんは「きゃー!」と変な声で笑って、朱鷺子は目を細める。


「あけましておめでとうございます」

「おめでとう!」

「……おめでとう」


 頭を下げ合って、四人で列に並ぶ。


 屋台の匂いが風に混ざる。

 しょうゆと砂糖の甘さが、交互に鼻をくすぐる。


 篝火のゆらぎが頬を撫でて、耳の端だけ少しあたたかい。


 人混みは、ほんとは少し苦手。


 でも今は、肩の横にふたりの友だちがいて、その向こうにいつきさんがいる。

 だから平気だと思えた。


「今年の目標、決めた?」と歩ちゃん。

「……まずは赤点回避ね」と朱鷺子。

「目標がそれでいいのか。夢がないな」といつきさん。

「ひどい! 正論すぎる!」と歩ちゃんが笑う。


 私もつられて口元がゆるむ。


 からかい半分の言い方なのに、声の温度は冷たくない。


「……うん。じゃ、三人で勉強会、継続だね」

 歩ちゃんがそう言って、朱鷺子が小さく頷く。


 私も頷き返す。


 心臓が一拍ぶんだけ強く鳴って、冷たい空気の中でその音だけがはっきりした。


 鈴の音が近づく。

 柏手の音が大きくなる。


 私たちの番が来て、賽銭を投げ、二礼二拍手一礼。


 ――どうか。


 短い言葉を、胸の中で重ねる。


 御子神さんがずっと元気でいられますように。

 いつきさんが、どうか大きな怪我や病気をしませんように。

 それから……ずっと一緒にいられますように。


 喉の奥に詰まったそれは、声にはならなかった。

 でも、掌で合わせた温度が、静かに背中まで降りていくのを感じた。


***


 お参りを終えると、いつきさんが周りを見回して、いつもの調子で言った。


「今日は奢りだ。好きなの選べ」


 それだけで、胸がぱっと軽くなる。


「やった!」


 思わず声が出て、指先まであったかくなった。


「わたし、りんご飴!」と歩ちゃんが跳ねる。

「私は、たこ焼き」と朱鷺子。

「わ、私は……焼きそば」


 紙皿に湯気が立ちのぼり、灯りが油の膜に小さく揺れた。


 四人で並んで受け取るだけで、今年最初のご褒美みたいに思えた。


 屋台の脇に寄って、肩を並べる。


「今年もよろしくね」

「……よろしく」

「うん、今年も」


 焼きそばをひと口。


 思ったより熱くて、ふーふーと冷ましてから、またひと口。


 おいしい、って言う前に、顔が勝手に緩んでいたらしい。


「その顔、正直で助かる」と歩ちゃんが笑う。


 最後に振る舞いの甘酒をもらう。


 紙コップを両手で包むと、指先の痺れが戻ってくる。


「……あったかい」


 一口飲んだだけで、体の中心がふわっと緩むのがわかった。

 鼻に抜ける香りがやさしくて、肩の力がほどけていく。


「和葉ちゃん、ほっぺ赤いよ?」

「……酒粕は、弱い人には効くから」


 朱鷺子の耳も、少し赤い。


「だ、だいじょうぶ、だから……」


 そう言いながら、残りを一気に飲み干す。


 近くのゴミ箱に空のカップを捨てて、右手を伸ばす。


 袖口をつまんだ瞬間、ふらりと体が傾いて――

 そのまま胸に抱きついていた。


「いつきさん、あったかい……」

「はいはい。――もう帰るぞ」


 背中に回った手のひらの広さと、厚み。


 “安全”という言葉の形が、具体的になっていく。


 参道を離れると、人の群れは急に薄くなった。


 夜の冷たさが戻る。


 冷たい、と思ったはずなのに、足元の世界がやわらかく揺れて、瞼が重くなる。


「ねむ……」

「ほら」


 その声に合わせて、身体がふわっと浮いた。


 背中。

 肩越しに見える夜空。

 遠くなる屋台の灯り。


 眠っちゃだめだ、と思ったのに、思いはすぐ眠気に追い越される。


 背中の広さが、子どものころの毛布みたいに全部を包んで、呼吸だけが規則正しく続いた。


 どこかで歩ちゃんの声がする。


「和葉ちゃん、甘酒でこれって、可愛すぎでは?」

「……帰り道は気をつけないと」と朱鷺子。


 会話は途中で切れたり、繋がったりして、薄い霧の向こうに浮かんでは消える。


 玄関の灯りが順番に近づいて、

 誰かが「今年もよろしく」と言って、

 誰かが「任せて」と返す。


 その「任せて」が、たぶん学校のことで、私のこと。


 半分寝た頭でも、ちゃんとわかった。


 お願い、と思う。

 ありがとう、と思う。


 言葉にする前に、また眠気が追い越していく。


 背中。

 肩。

 歩幅。


 揺れが心地よくて、夢と現実の境目がほどけたとき、

 声だけが喉の奥からぽろっと零れた。


「……ことしも、よろしくおねがいします……」


 返事は短い。


 でも、ちゃんと重みがあった。


 うん、と頷いたつもりだったけれど、それもきっと夢の中の動き。


 家は近い。


 近いのに、今夜はこの背中に、もう少し乗っていたい。


 音も匂いも冷たさも、毛布にくるまれたみたいにやわらいでいく。


 新しい年は、こんなふうに始まる。

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