2024年1月1日(月)
0時はとうに過ぎているのに、夜の住宅街は妙に明るかった。吐く息を白くしながら神社へ向かう人影途が切れず、普段は静かな道もどこか浮き足立っている。
隣で和葉が手を握り返してくる。冷たい指先。けれど、握る力はしっかりしていた。
境内の灯りが近づく。鳥居の手前で、歩と朱鷺子がこちらに気づいて手を振った。
「わ、手ぇ繋いでる!」
「……仲良しね」
にやけた顔と、淡々とした指摘。和葉は頬を赤く染め、でも視線は逸らさない。
「い、いいでしょ。寒いんだから」
友達の前で否定しないのか。そこに、こっそり安心する自分がいる。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます!」
「……おめでとう」
四人で頭を下げ合い、境内へ。参拝の列はすでに長い。灯籠の白い光、篝火の温かさ、屋台から漂う甘い醤油の匂い。人混みが苦手なはずの和葉も、歩と朱鷺子に肩を並べられると表情が緩んだ。
「今年の目標、決めた?」と歩。
「……まずは赤点回避かな」と朱鷺子。
「目標がそれでいいのか、夢がないな」と俺。
「ひどい! 正論すぎる!」と歩が笑い、和葉もくすっと笑う。
ゆっくり列が進み、拝殿の鈴と柏手の音が大きくなる。
順番が来た。賽銭を投げ、二礼二拍手一礼。願うことはひとつだ。――和葉と、あの三毛が、心身ともに無事でいられるように。
***
参拝を終えると肩の力が少し抜けた。横を見ると、和葉は閉じた瞼の下で真剣な顔をしていた。小さく吐く息まで、今年は白い。去年の大晦日には想像もしなかった光景だ。
参拝を終えて屋台へ。
「好きなの選べ。新年だし今日は奢りだ」
「やったー! りんご飴!」と歩。
「……たこ焼きにする」と朱鷺子。
「わ、私、焼きそば……」と和葉。
財布を出しながら、現金でお年玉を渡すより、今はこっちのほうが線引きがはっきりしていて楽だと考える。父親の真似事みたいだが、誰かに文句を言われる筋合いもない。三人は紙皿を抱えて嬉しそうに頬張った。
最後に、振る舞いの甘酒とお神酒。
「こっちは甘酒です、どうぞー」
湯気の立つ紙コップを三つ受け取ってもらう。酒粕の香りが強い。俺は運ぶ側だし、お神酒は固辞した。
「……あったかいです」
和葉が一口、二口。頬がぽうっと色づく。歩が覗き込む。
「ちょ、和葉ちゃん顔赤い! 甘酒で!?」
「……酒粕タイプは、弱い人には効くのよ」と朱鷺子。彼女の耳まで、わずかに赤い。
和葉が甘酒を飲み終えると、俺の袖をつまんだと思ったら、次の瞬間、正面から抱きついてきた。
「いつきさん、あったかい……」
「はいはい。もう帰るぞ」
周囲の視線が集まる前に切り上げる。参道を離れると、人の流れは急にまばらになった。夜の冷気が戻ってくる。和葉の足取りがとたんにおぼつかなくなる。
「う……ねむい、です……」
「知ってる。――ほら」
背中を向けると、ためらいもなく両腕が回ってきた。軽い。けれど、去年の春に出会ったときより、確かに重みがある。ちゃんと食べて、ちゃんと眠ってきた重みだ。背に手を回して支え、歩き出す。
「え、もうおんぶ!?」「早い早い!」と歩が後ろで騒ぐ。
「和葉は昔から寝不足だと落ちるの、早いのよ」と朱鷺子。落ち着いた声だが、足取りは少しふわふわしている。
「お前らも送る。夜中にふらつかれると困る」
「わ、ありがと! 頼もしい~」
「……助かります」
三人で住宅街を抜ける。和葉は背中で小さく呼吸を繰り返すだけ。歩が、振り返りがてら笑った。
「ねぇ弓削さん、学校の和葉、思ってたより元気ですよ。文化祭の時より、今のほうがずっと」
「そうか」
「でも、勉強はやっぱり苦戦中。ブランクを埋めるのは和葉だけの問題じゃない。私たちも成績は芳しくないし、三人でやっていくしかないって話になったんだ。だから、これからも家で一緒に教えるから、任せて」
「……頼りにしてる」
心の中ではお前たちだって同じじゃないかと思ったが、言葉には出さない。礼を言うと、歩は得意げに胸を張って「任された!」と宣言し、朱鷺子は少し目を伏せながらも「当然でしょ」とそっけなく返した。彼女の頬はまだ、うっすら赤い。
まず歩の家に着く。玄関先でぴょこっと跳ねるように振り返り、手を振る。
「おやすみ! 今年もよろしくー!」
「おやすみ。足元に気をつけろ」
次に朱鷺子を送る。表札の灯りが控えめに揺れている。
「ありがとうございました」
「礼を言うことじゃない。……和葉のこと、これからも見てやってくれ」
「……ええ、弓削さんにもお世話になっているし、学校のことは任せて」
短い会話。けれど、受け取った責任の重みは薄くない。彼女が家に入るまで見届け、ようやく静けさが戻った道を、和葉を背負って歩き出す。
背中で、和葉がかすかに口を開いた。
「……ことしも、よろしくおねがいします……」
「ああ」
家は近い。けれど、今夜くらいは、この重みをもう少し感じていたいと思う。出会ったのは三月二十五日、銭湯へ向かう途中だった。あの日、立ち止まって声をかけたことが、いつの間にかここまでの縁になっている。
白い息がゆっくりほどける。
――今年も、守り切る。そう決めて、歩幅を少しだけ大きくした。




