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コンプライアンスを遵守したい年の差恋愛  作者: 金雀枝
第3章:もう一つの居場所
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2023年11月26日(日)

 休みの日。底冷えがする。

 石油ファンヒーターの前で御子神さんが香箱をつくり、こたつの天板の向こうで和葉が頬を緩めている。パジャマの上から膝掛けを巻いて、猫の顎を指先でこしょこしょやっては「ふふ」と笑う。完全にだらけ顔だ。


「耳かき、どこやったかな……」

 立ち上がって戸棚を探っていると、和葉がこたつから半身を起こした。

「確か――ここに。……ありました。耳、気になるんですか?」

「ちょっとな」


 受け取ろうと手を伸ばしたが、和葉は耳かきをすっと引っ込めて渡してこない。

 そのまま正座に体勢を変え、ぽん、と自分の膝を叩いた。


「じゃあ私が耳掃除してあげます! こっちへどうぞ!」

「……大丈夫なのか」

「ひどい! 人にするのは初めてですけど、大丈夫です!」


 御子神さんが「にゃ」と短く鳴いた。俺はため息を一つ落としてから、和葉の膝に頭を預ける。膝枕。パジャマの生地越しに、ぬるいこたつの温度が伝わってくる。


「動かないでくださいね……えっと、そーっと、です」

 耳の入口に竹先が近づく気配。ぎこちない呼吸。

「……そこは皮膚だ。浅く、外へ掃く」

「はい、浅く、外へ……あっ、ごめんなさい!」

 小さく肩が跳ねる。俺は笑いを飲み込む。

「難しかったならやめとけ」

「うう……悔しい。じゃあ――手本、見せてください。今度は私の番です!」


 結局、交代。今度は俺が起き上がり、和葉が横になる。髪を耳にかける仕草が妙に慎重だ。

「力を抜け。顎を少し上げて……そう」

「……くすぐったいです」

「我慢しろ」


 綿棒で縁をなで、竹で軽く掃く。耳たぶがほんのり赤い。こたつの熱でやわらかくなった空気が、ゆっくりと出入りするのが分かる。

「……ほら、終わりだ」

「はやっ。もうちょっとやっててもいいですよ?」

「耳掃除のやりすぎは良くないんだぞ」

「むむ、プロみたいなこと言ってます」


 御子神さんが俺の手首に鼻先を寄せ、すぐ飽きたようにまた香箱になる。


***


 和葉がこたつに潜り直して、改めて気だるげな時間が流れる。

「……なんか、あったかいもの食べたいですね」

「これだけ寒いと、作る気力がな……」

「お鍋とか、食べたいです!」

「……食べに行くか」


***


 玄関を出ると、夜気が肌を刺した。

 思わずコートの襟を立てると、すぐ横で和葉が俺の腕に絡みついてくる。

「寒いんです」

「人目を気にしろ」

「寒いのが悪いんです」


 商店街に出ると、店先の湯気が白さを増している。暖簾の内側から笑い声。魚屋の前で、見覚えのある背丈が手を振った。

「おーい」

 彼方さんと、遥さん。肩を寄せ合う二人の両手に、白菜と長ネギ。絵に描いたような冬の買い物だ。


「お熱いこって」

「そっちこそだろ」

 言い返すと、遥さんが口元に手を当てて笑った。

「今から食事か?」「鍋が食べたいらしい」

「それなら顔なじみの店がある。温かいのが早いぞ」

 彼方さんが顎で商店街の奥を示す。湯気の向こうに、控えめな提灯が揺れていた。


***


 のれんをくぐる。脂の匂いではなく出汁の匂いが先に来る店だ。早い時間だからか、席には家族連れが一組。彼方さんが「四人、鍋」と声をかけると、店主が「らっしゃい」と笑って奥を指した。座敷。渡された温かいおしぼりが、冷えた指先にじんわり沁みる。


「寄せでいいか?」「はい!」

 和葉の返事が一番早い。お茶を両手で包みながら、じっと卓上コンロの上を見ている。鍋が来る前からもう幸せそうだ。

 出汁の張られた土鍋が置かれ、火が点く。ほどなくして、白菜、鶏、豆腐、きのこ、春菊――冬の色が次々と沈んでいく。鍋がぐつぐつ音を立て、白い湯気が広がると、店内のざわめきがひときわ大きくなった気がした。


「和葉、最初は触るな。煮えるまで待て」

「分かってますよ。見てるだけです」

「ほんとか?」

「……ちょっとだけ、豆腐の位置を整えるのは、セーフです」

 箸の先で豆腐を一ミリ動かし、満足そうに笑う。彼方さんが吹き出し、遥さんが「分かる」と小声で同意する。


 最初の湯気が勢いを増すと同時に、和葉の顔に赤みが差していく。取り椀に一杯分ずつよそってやると、両手で受け取って「はふ、はふ」と慎重に冷ます。

「……おいしい……」

 そのため息混じりの一言で、鍋の場は八割方完成する。彼方さんが笑い、遥さんが鍋の番を買って出る。俺は飲み物を温かいほうじ茶にして、和葉の前の空いた椀をさりげなく引き寄せ、次の具をよそう。こういう手は、いくらでも動く。


「和葉ちゃん、学校はどうだ?」

 彼方さんの問いに、和葉が顔を上げた。

「楽しいです。……この前、文化祭も」

「ああ、随分と張り切ってたな」

「ありがとうございます」

 まっすぐ頭を下げる。その角度が、以前より少し堂々としている。鍋の湯気のせいだけではない温度が、卓の上に満ちていく。


***


 店を出るころには、吐く息がさっきより白くなっていた。遥さんが「またね」と手を振り、彼方さんが「凍える前に帰れよ」と肩を叩く。

 商店街の灯りが一つずつ背中に流れて、四つの影はやがて二つに。

 和葉がまた、当然のように俺の腕に手を回した。


「次は――歩ちゃんと朱鷺子ちゃんも一緒に、鍋パーティーしたいです!」

「……許可が出たらな」

「えへへ。じゃあ、ちゃんと頼んでみます」


 街路樹の隙間から、小さな月が見えた。白い息が重なって、ほどける。

 御子神さんは、こたつの番を続けているだろう。少し急ぎ足で、俺たちはそこへ戻る。

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