2023年4月2日(日)②
「……お母さんが、亡くなったのは……一年前です」
静かな部屋に、和葉の声が落ちた。
その小さな声が、やけに遠く感じる。
「ほんとうの、お父さんは……私がまだ小さいころに、病気で亡くなりました」
少し間を置いて、和葉は続ける。
「だから、私の記憶の中には、あまり残ってないんです」
東海林さんは黙ってうなずいた。
俺は何も言えず、ただ息を飲み込む。
和葉は、言葉を探すように、ゆっくりと話していた。
はっきり覚えていない記憶を、確かめるみたいに。
「それからは、お母さんとふたりで暮らしてました。
決して楽ではなかったけど、お弁当を作ってくれたり、一緒にテレビを見たり……」
一瞬、和葉がかすかに微笑む。
「そういう毎日が、私はすごく好きで……それで、十分でした」
胸の奥が、きしむ。
「……お母さんは、少しだけ夜のお店で働いていました」
和葉は視線を落とす。
「……いかがわしいところじゃなくて、たぶん、バーとか。
お酒を出すような、接客のお店だったと思います」
「詳しくは話してくれなかったけど、
“和葉にだけは、ちゃんとご飯食べさせてあげたいから”って、いつも言ってて……」
東海林さんが小さくうなずく。
気づけば、俺は拳を握り直していた。
「その頃、お店に来ていたお客さんのひとりが、今の……義父でした」
「最初は、ふつうの人に見えました。無口だけど、優しそうで。
お母さんは、“すごく大事にしてくれるの”って、笑ってて……」
和葉は一度言葉を切り、息を吸う。
「だから私も、最初は、別に反対とかしなかった。
お母さんが幸せそうだったから……それが、いちばんだと思って」
「中学に上がるちょっと前くらいに、再婚しました」
そこから、声が少し細くなる。
「再婚してからも、最初のうちはちゃんと暮らしてました。
でも、義父は……お母さんのことばかりで、私のことはあまり見てなかった気がします」
横目で和葉を見る。
それでも、声にはまだ芯があった。
「でも……それでも、家の中にはあの人がいて、あたたかい食事があって。
……私にとっては、それだけで十分だったんです」
沈黙が落ちる。
「……一年前の、私の誕生日です」
その言葉で、空気が変わった。
「その日、お母さんとふたりでケーキを買いに行きました。
“今年は三人揃ってお祝いできそうだから、大きいケーキにしようか”って、お母さんが言ってくれて……」
「スーパーに寄って、ケーキを選んで、
帰り道で……交差点で、車が、曲がってきて……」
言葉が止まる。
和葉の肩が、小さく震えているのが見えた。
「私がぼんやりしてて……ふらっと、車道に出ちゃって。
お母さんが、私のこと引っ張って……代わりに……」
それ以上は、続かなかった。
視線を落とす。
東海林さんが、ゆっくりとうなずいたのが視界の端に入る。
「……話してくれて、ありがとう」
和葉は小さくうなずく。
(この子は……)
喉の奥が詰まる。
(“誕生日”が、母親を失った日になるなんて)
言葉にできないまま、ただ座っていることしかできなかった。
目標達成ならず、ごめんなさい。
今回もご覧いただきありがとうございました。
暫く重たい話になりますが、お付き合いいただけますと幸いです。




