Side:和葉 2023年11月23日(木)
十一月も半ばを過ぎると、朝晩の空気は一気に冷え込む。
ここ数日は夜になると、自然といつきさんの布団にもぐりこんでしまう。
怒られるかと思ったけど、「寒いんだろ」と一言つぶやくだけで、本気で追い出されることはなかった。
――そんな毎日が心地よくて、でもちょっと甘えすぎかなって思っていた矢先。
何気なくめくったカレンダーに目が留まった。
十一月二十三日――勤労感謝の日。
祝日だってことは知っていたけど、今まではただの休みとしか思っていなかった。
(これだ……!)
胸の中で小さくひらめきが弾ける。
今の私にできる“感謝”の形は、これしかない。
「今日は勤労感謝の日だから、ぜんぶ私がやります!」
朝食を終えたあと、私はこたつ布団を広げながら胸を張った。
掃除も洗濯も料理も、今日は私に任せてほしい。
だって“感謝”を伝える日なのだから。
「いや、別に普通でいいだろ」
「だめです! 今日は特別ですから!」
そのまま洗濯機を回し、台所を磨き、昼ごはんを作って……。
途中で何度も「もういい、休め」と言われたけど、私は首を振り続けた。
(だって、いつきさんには守ってもらってばっかりだから)
ちょっとくらいは恩返ししたい。そう思って動いているうちに、あっという間に夕方になっていた。
***
そして事件は、お風呂で起きた。
湯船に浸かって一息ついていたいつきさんのところへ、私は堂々と引き戸を開けて入った。
「これなら濡れても大丈夫です! 一緒に入れます!」
ジャーン、とばかりに見せつけたのは――この前の旅行で着ていたワンピースタイプの水着。
前に服のまま背中を流してびしょびしょになったけど、これなら問題ないし、湯船にも浸かれる。
「……おい、なにをするつもりだ? 出ろ」
湯気の中で、いつきさんがわずかに眉をひそめる。
私は慌てずに「今日は勤労感謝の日ですから!」と胸を張った。
「背中流します!」
「いらん」
「湯船でマッサージもします!」
「危ないから入るな」
落ち着いた声だけど、その響きに有無を言わせない力がある。
私はしばらく食い下がったものの、やがて肩を落とした。
「……わかりました。今日は諦めます」
ドアに手をかけたとき、背後から声が飛んだ。
「待て。着替えるなら脱衣所じゃなくて居間でしてくれ。透けるぞ」
その一言で、私は固まった。
――あっ、そうか。
顔が一気に熱くなって、思わず「ごめんなさい!」と頭を下げる。
結局、水着で入る計画は完全に阻止されてしまった。
でも。
「今日は……どうしても感謝を伝えたかったんです」
そう口にすると、いつきさんは大きなため息をついて、
「気持ちだけで十分だ」とだけ返してくれた。
***
お風呂上がり。
私はタオルを肩に掛け、今度こそマッサージを始める。
「じゃあ、うつ伏せになってください」
「……ほんとにやる気か」
ため息混じりに言いながらも、いつきさんは素直に体を横たえた。
まずは普通に肩を押す。
けれど「もっと強く」と言われても、私の腕力ではびくともしない。
「じゃあ……こうです!」
私は背中にそっと乗り、踵をうまく使って慎重に体重をかけた。
「……おいおい、どこで覚えた」
「漫画で見ました! タイ古式マッサージって書いてありました!」
真剣そのものの声で言うと、いつきさんは顔を伏せたまま、くくっと笑った。
私の体重なんてたかが知れているけれど、それでも「ありがとう」を伝えたくて、慎重に足を動かした。
「……効いてるのかは微妙だが、まぁ悪くない」
「気持ちです!」
私がそう言うと、彼は仕方なさそうに「はいはい」と返した。
***
夜。コタツ布団を出して潜り込むと、ぽかぽかの空気に体が緩んだ。
「今日は一日、お疲れさまでした!」
「……お前が疲れてるだろ」
苦笑する声が心地よくて、胸の奥がじんわりする。
「でも、もっと恩返ししたいです」
「もう十分だ」
即答されて、私は少しだけ唇を尖らせた。
「じゃあ、今度は私を甘やかしてください!」
そう言って横に寄ると、彼は小さく肩をすくめる。
コタツの温もりと一緒に、感謝と甘えたいの気持ちが胸いっぱいに広がっていくみたいだった。




