2023年10月13日(金)①
あの日、和葉の荷物を取りに義父の家へ向かったときの光景が、未だに脳裏に残っている。
義父は面倒そうに吐き捨てた。
「勝手に持っていけ。あいつがいなくなってせいせいする」
和葉が普段使っている生活用の通帳は、ちゃんと本人の手元にある。
だが、義父が狙っている母が残した貯蓄用の通帳は家のどこを探しても見つからなかった。
――あれはまだ、あの男の手元にある。
和葉そのものには興味がなくても、金が絡めば話は別だ。銀行で本人確認を求められれば、必ず和葉を利用しようとする。
実際、一度は和葉を銀行へ連れて行こうとした。
その場を止めてくれたのは、商店街の若い連中――あのやんちゃなカップルだった。
未遂に終わったのは幸運に過ぎない。あの男が諦める理由にはならない。
職を失って久しい今となっては、なおさら残された金に縋るはずだ。
そろそろ生活も苦しいだろう。動き出す頃合いだと考えておくのが自然だった。
***
数日後の午後、いつもの居酒屋の外で、小鳥遊と彼方さんに会った。
ベンチに並んで座ると、彼方さんは腕を組み、周囲を鋭く見回している。
小鳥遊はメモ帳を広げ、冷静な声で状況を整理した。
「義父が通帳を握っているはずです」
「銀行は本人確認が壁になっている」
「児相の手続きは進めているが、完全に抑え切れてはいない」
彼方さんが低く唸った。
「つまり、あいつはまだ和葉ちゃんにちょっかいかけてくる可能性が高いってわけだな」
俺は短く頷いた。
「だから、ここで決着をつけたい。今回は後手に回らないように下調べをして、確実に」
小鳥遊がメモにさらさらと書き込み、淡々と続ける。
「俺は児相と連絡を詰めます。即応できるようにしておきます」
俺は視線を二人に移した。
「彼方さん、商店街の人たちに声をかけてもらえませんか。顔なじみの店主さんなら、きっと気にかけてくれると思います」
彼方さんはにやりと笑って頷いた。
「ああ、任せとけ。和葉ちゃんももう常連だしな。快く引き受けてくれるだろう」
小鳥遊は表情を引き締め、言った。
「……ただし証拠は必要です。外面がいい相手ですから、会話だけでは逃げられる。掴む瞬間、強引に連れ出そうとする瞬間を記録してください」
俺は思わず声を低くした。
「それじゃ……和葉が危険に晒されるのを待つってことか?」
小鳥遊は黙って頷いた。
論理は正しい。だが、その間に何かが起きたらと思うと、胸の奥がざらつく。
その空気を割るように、彼方さんが口を挟んだ。
「まあまあ。あの義父なら、いきなり人前で引きずるような真似はできねぇよ」
「せいぜい腕を掴んで脅すくらいだろう。……もちろん、それでも危ねぇがな」
少しだけ息が軽くなる。
だが油断はできない。証拠を押さえることと、和葉を守ること。その両立が必要だった。
***
作戦の要は二つ。
ひとつは「義父に実際に手を出させ、証拠を残すこと」。言葉だけでは言い逃れできるから、強引に連れ出そうとする“動作”を押さえる必要がある。
もうひとつは「その瞬間を確実に記録する環境を作ること」。
人目が多すぎれば義父は警戒して手を出さない。だから商店街ではそれとなく店主たちに目を配ってもらい、その先――人通りが薄くなって気を緩めやすいあたりで義父を動かす。
その瞬間を、俺がスマホで押さえる――それが狙いだった。
もちろん、決定的な瞬間まで和葉を助けられないのは心配だ。だが、それを避ければ証拠は残せない。
その不安を抱えたままでも、動かなければならない。
***
当日。
俺は本通りから外れ、店の裏手に抜ける細い路地の入口を押さえていた。
アーケードの明かりが途切れ、雨音だけが響く場所。義父が狙うなら、こういう人目の薄い一角しかない。
傘を差した和葉の姿が見える。
その後ろに、もう一つの影。外面の笑みを浮かべた義父だ。
俺はスマホを構えた。
――まだだ。
声をかけるだけなら言い逃れができる。決定的な瞬間が必要だ。
義父が一歩踏み込み、和葉の腕を掴む。
和葉の傘がわずかに揺れた。
胸の奥で緊張の糸が切れる。
「……その手を離せ」
低い声が雨音を割った。
義父が振り返り、視線が交わる。
証拠はもう十分だ。
あとは和葉を助け出すだけだった。
続きます。
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