2023年9月16日(土)
和葉が学校から帰ってくるなり、鞄を抱えたまま少し言いにくそうに口を開いた。
「……あの、いつきさん。歩と朱鷺子と一緒に勉強会をしようって話になったんです」
こたつに腰を下ろしたまま「ふうん」とだけ返す。嫌な予感がした。
「でも、三人ともそんなに勉強が得意なわけじゃなくて……それで、いつきさんに見てもらえたらって」
「……俺は外に出てるから、家は好きに使ったらいい」
即座に答えると、和葉は慌てて首を振った。
「で、でも……二人も“教えてほしい”って言ってて。私も……お願いしたいです」
……やっぱりそう来たか。
「……仕事の日は無理だ。休日なら、少しだけな」
「! 本当ですか? ありがとうございます!」
ぱっと顔が明るくなる。どうやら断る余地はなさそうだった。
***
土曜の昼下がり。チャイムが鳴り、和葉が玄関に出ると、結城と鷺沢が並んで立っていた。
「今日はよろしくお願いします」
「お邪魔しまーす!」
リビングに通すと、二人の視線が自然と俺に向かう。
「……結城さん、鷺沢さん、だったな」
「弓削さんですね! でも名字じゃなくて、歩でいいですよー」
「私も朱鷺子で」
「……分かった。じゃあ、歩、朱鷺子」
「はいっ!」と歩は即答し、にこっと笑う。
朱鷺子は、呼ばれ慣れていないのか、わずかに頬を赤らめて「……はい」と返した。
和葉はその様子に気づいて、えへへ、と少し誇らしそうに笑っていた。
***
こたつの上に教科書とノートが並び、三人が鉛筆を走らせている――はずだった。
「御子神さん、かわいい〜!」
「ほら、鉛筆にじゃれてる!」
机に乗り、しっぽを揺らす御子神さんに、歩と朱鷺子が大はしゃぎする。
和葉までつられて撫でているから、勉強どころではない。
「……集中しろ」
低く言うと、三人ともびくりと肩を揺らし、慌ててノートに目を戻した。
御子神さんは不満そうに鳴いてから、こたつの縁に丸まる。
「じゃあ、この問題。まず式を立てろ」
歩が鉛筆を止めて首をかしげる。
「えっと……ここに二をかければ……?」
「違う。分母をそろえるんだ。途中式を飛ばすから分からなくなる」
ノートに例題を書き直して見せると、歩が目を丸くした。
「なるほど! 先生より分かりやすいかも」
「……そんなことはない。慣れだ」
そう返すと、朱鷺子がちらりと視線を寄こした。
勉強の質問に見せかけて、俺の反応を探っている。
「こういうの、普段から和葉ちゃんも教えてもらってるんですか?」
「まあな。ブランクがあるからな、基礎からやり直してる」
「……そうなんですね」
朱鷺子は小さく頷き、視線をノートに戻す。
歩は御子神さんをこっそり撫でながら「いいなぁ」と笑っていた。
こたつの上に並んだノートには消しゴムのかすが散らばっていたが、三人とも真剣な顔になっていた。
***
夕方になり、ひと区切りついたところで鍋を火にかけた。
冷蔵庫の残り物をまとめて作った即席の鍋だが、三人には十分だったようだ。
「うわぁ、美味しそう!」
「えっ、弓削さんが作ったんですか?」
「大したもんじゃない。冷蔵庫の残りを煮ただけだ」
一口食べた歩が、即座に声を上げた。
「うまっ! やっぱり料理できる男の人って最高!」
横で朱鷺子も箸を進めながら、落ち着いた声を添える。
「……和葉ちゃん、普段からこういうの食べてるんですね。だから元気そうなんだ」
「まあな。三食は欠かさず食べてる」
「そうなんですね。安心しました」
朱鷺子は微笑み、歩は「ほんと、いいなぁ!」と素直に感嘆する。
その横で、和葉は胸を張って得意気にこちらを見上げていた。
まるで自分が褒められているかのように。
(……なんでお前が誇らしそうなんだ)
心の中で苦笑しつつ、鍋をすくった。
***
片付けを済ませると外はすっかり暗くなっていた。
時計を見て、俺は口を開く。
「暗いし、途中まで送っていく」
「えっ、いいですよ。近いですし」
朱鷺子が遠慮がちに言ったが、歩が元気よく笑った。
「じゃあ一緒に散歩だ! 御子神さんは留守番だけどね」
和葉も「はい」と頷いたので、結局四人で家を出ることになった。
夜風はまだ暑さを残していたが、昼間よりずっと過ごしやすい。
歩は道すがら「あー、また御子神さんに会いに行くからね!」と笑顔で言い、
朱鷺子は立ち止まって小さく会釈した。
「今日は本当にありがとうございました」
「気にするな。……また和葉の勉強に付き合ってくれたら助かる」
朱鷺子は一瞬驚いたあと、小さく頷いて微笑んだ。
歩は「もちろん!」と元気に返し、和葉は横で誇らしげに笑っている。
角を曲がれば二人の家はすぐそこらしい。
別れ際、歩が「また来るね!」と大きく手を振り、
朱鷺子も「おやすみなさい」と静かに言って去っていった。
その背を見送りながら、胸の内で小さく息をつく。
……こうして少しずつ、認めてもらうしかない。
今回は、軽い挨拶程度のやり取りだった弓削と友人二人の交流回となりました。
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