表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンプライアンスを遵守したい年の差恋愛  作者: 金雀枝
第2章:彼女が求めた日常
52/237

2023年8月24日(木)①

 夕飯を終えて片付けが済んだころ、和葉がこちらを伺うようにして口を開いた。

「……前に、プール行くって、約束してましたよね?」


 不意に言われて箸を置く。そういえば夏休み前にそんな話をした記憶がある。


「……ああ。そんなことも言ったな。けど、どこも混雑してるぞ」


「平日なら空いてると思います。……それに、一緒に行きたいです」


 期待を込めた瞳に、ため息がひとつ。

「……約束したしな。じゃあ、一泊で行くか。スパのある宿ならプールもあるし、泊まれば部屋でゆっくりできる」


「ほんとですか!?」

 和葉の顔がぱっと明るくなり、その瞬間にもう計画は決まったようなものだった。


***


 翌朝。荷物をまとめ、御子神さんにご飯と水を多めに置いて家を出た。

 玄関を出ると、三毛猫はじっとこちらを見送るように座っていて、和葉は名残惜しそうにしゃがみ込む。


「やっぱり分かってますね、置いてかれるの……」


「察しのいいやつだからな。帰ったら真っ先に構ってやればいい」


 和葉が何度も撫でてから車に乗り込んだ。


 助手席の彼女は窓の外を見つめながら、足を小さく揺らしている。

「……旅行っぽいの、久しぶりです」


 その声だけで、わくわくが抑えきれていないのが分かった。


 高速に乗り、途中のサービスエリアで小休憩を取る。

 和葉は「飲み物買ってきます」と小走りで売店へ行き、戻ってくると冷たいお茶を差し出してきた。


「冷たいお茶にしました。……こっちの方が好きかなと思って」

「気が利くな」


 そう返すと、和葉は少し照れたように笑った。


***


 昼前に到着したホテルは、派手な装飾のリゾート施設だった。

 観光バスが横付けされ、ロビーには子ども連れやカップルでにぎわっている。


「すごい……」

 和葉は天井の高い吹き抜けを見上げ、目を輝かせていた。


 チェックインを済ませ、案内されたのは畳敷きの和室。窓からは海が広がり、和葉は「旅館みたいです」と感嘆の声を漏らした。


「荷物置いたら、プール行くぞ」

「はい!」


***


 更衣室で着替えを済ませ、プールエリアの入り口で待ち合わせる。

 浮き輪を抱えた和葉は、少し恥ずかしそうに視線を伏せた。


「……あの、変じゃないですか? 似合ってます?」


 一瞬返答に迷ったが、短く言った。

「ああ、似合ってる。自信を持て」


 ワンピースタイプのフリル付き水着。露出は控えめなのに、彼女のスタイルの良さでかえって目を引いている。

(……余計な虫が寄らないように周りに目を光らせておかないとな)


 和葉はほっとしたように微笑んだ。

「……よかった。いつきさんにそう言ってもらいたかったんです」


 そんなふうに言われて、視線を逸らすしかなかった。


***


 流れるプールに浮き輪を浮かべ、和葉がぷかぷかと流れに身を任せている。

「なんだか夢みたいです」


「流されすぎるなよ」

 俺は横を歩きながら声をかける。


 しばらくして、和葉が浮き輪を差し出した。

「交代します?」


 最初は断ったが、押し切られて乗ってみる。

 水に身を任せて流れに漂うと、思った以上に体の力が抜けていった。


「……これは。想像以上に、楽しいな」


 思わずこぼした言葉に、和葉が嬉しそうに笑う。

「ですよね! ね、気持ちいいでしょう?」


 子どものようにはしゃぐ顔に、つい口元が緩んだ。


***


 少し身体も冷えてきたので、次はジャグジーでひと休み。

 ぶくぶくと泡立つ湯に腰を下ろすと、和葉は気持ちよさそうに目を閉じた。


「……はぁ、あったかい……」


「温泉ってほどじゃないが、落ち着くな」


 周りでは小さな子どもを連れた家族がのんびり浸かっていて、騒がしいプールの喧噪から切り離されたように静かだった。

 短い時間だったが、和葉の表情が柔らかくなるのを横で見て、俺もつられて息を整えた。


***


 最後に挑戦したのは、二人乗りのウォータースライダーだった。

 列を進んでスタート地点に立った瞬間、和葉は下をのぞき込み、青ざめた顔で俺の腕にしがみついた。


「……高い……やっぱり、一人は無理です」


 スタッフが声をかけてくる。

「一人用と二人用、どちらにしますか?」


 和葉は俺の腕にしがみついたまま、きっぱり言った。

「お父さんと一緒で!」


「分かりました。では二人用でどうぞ」

 スタッフはあっさり頷き、浮き輪を差し出す。


(……意外とすんなり受け入れられるもんなんだな)


 浮き輪に腰を下ろした途端、和葉が後ろからぎゅっと抱きついてきた。

 背中に伝わる体温と、押し当てられる柔らかい感触。耳元で息がかかるほど近い。


(……無警戒すぎる。心臓に悪い)


「……しっかり掴まってろよ」

「掴まってます!」


 合図と同時に浮き輪が滑り出し、急カーブを切るたびに水しぶきが上がる。

 背中越しに和葉の声が弾んだ。


「わっ……! わぁぁ……!」


 恐怖と興奮が入り混じった声に、こちらまで息が詰まる。

 着水の衝撃で浮き輪が弾み、水面に跳ねた。


 和葉はびしょ濡れのまま振り返り、頬を赤らめて笑顔を輝かせる。

「こわかったけど……すっごく楽しかったです!」


「……はしゃぎすぎだ」

 そう返した声が少し上ずっていたのを、自分でも誤魔化せなかった。


***


 気づけば外は夕暮れ。空が茜色に染まり、プールの賑わいも落ち着いてきていた。

 タオルを羽織りながら、和葉が名残惜しそうに振り返る。


「……もう夕方なんですね」

「そろそろ上がるか。腹も減ってきたしな」

「はい……」


 プールを後にしながら、和葉は弾んだ声で言った。

「すっごく楽しかったです!」


「……まあ、悪くなかった」


 夕焼けに照らされた笑顔を横目に、胸の奥が妙にあたたかくなるのを感じていた。

夏休み最後のイベントです。


本日もご覧いただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ