2023年8月24日(木)①
夕飯を終えて片付けが済んだころ、和葉がこちらを伺うようにして口を開いた。
「……前に、プール行くって、約束してましたよね?」
不意に言われて箸を置く。そういえば夏休み前にそんな話をした記憶がある。
「……ああ。そんなことも言ったな。けど、どこも混雑してるぞ」
「平日なら空いてると思います。……それに、一緒に行きたいです」
期待を込めた瞳に、ため息がひとつ。
「……約束したしな。じゃあ、一泊で行くか。スパのある宿ならプールもあるし、泊まれば部屋でゆっくりできる」
「ほんとですか!?」
和葉の顔がぱっと明るくなり、その瞬間にもう計画は決まったようなものだった。
***
翌朝。荷物をまとめ、御子神さんにご飯と水を多めに置いて家を出た。
玄関を出ると、三毛猫はじっとこちらを見送るように座っていて、和葉は名残惜しそうにしゃがみ込む。
「やっぱり分かってますね、置いてかれるの……」
「察しのいいやつだからな。帰ったら真っ先に構ってやればいい」
和葉が何度も撫でてから車に乗り込んだ。
助手席の彼女は窓の外を見つめながら、足を小さく揺らしている。
「……旅行っぽいの、久しぶりです」
その声だけで、わくわくが抑えきれていないのが分かった。
高速に乗り、途中のサービスエリアで小休憩を取る。
和葉は「飲み物買ってきます」と小走りで売店へ行き、戻ってくると冷たいお茶を差し出してきた。
「冷たいお茶にしました。……こっちの方が好きかなと思って」
「気が利くな」
そう返すと、和葉は少し照れたように笑った。
***
昼前に到着したホテルは、派手な装飾のリゾート施設だった。
観光バスが横付けされ、ロビーには子ども連れやカップルでにぎわっている。
「すごい……」
和葉は天井の高い吹き抜けを見上げ、目を輝かせていた。
チェックインを済ませ、案内されたのは畳敷きの和室。窓からは海が広がり、和葉は「旅館みたいです」と感嘆の声を漏らした。
「荷物置いたら、プール行くぞ」
「はい!」
***
更衣室で着替えを済ませ、プールエリアの入り口で待ち合わせる。
浮き輪を抱えた和葉は、少し恥ずかしそうに視線を伏せた。
「……あの、変じゃないですか? 似合ってます?」
一瞬返答に迷ったが、短く言った。
「ああ、似合ってる。自信を持て」
ワンピースタイプのフリル付き水着。露出は控えめなのに、彼女のスタイルの良さでかえって目を引いている。
(……余計な虫が寄らないように周りに目を光らせておかないとな)
和葉はほっとしたように微笑んだ。
「……よかった。いつきさんにそう言ってもらいたかったんです」
そんなふうに言われて、視線を逸らすしかなかった。
***
流れるプールに浮き輪を浮かべ、和葉がぷかぷかと流れに身を任せている。
「なんだか夢みたいです」
「流されすぎるなよ」
俺は横を歩きながら声をかける。
しばらくして、和葉が浮き輪を差し出した。
「交代します?」
最初は断ったが、押し切られて乗ってみる。
水に身を任せて流れに漂うと、思った以上に体の力が抜けていった。
「……これは。想像以上に、楽しいな」
思わずこぼした言葉に、和葉が嬉しそうに笑う。
「ですよね! ね、気持ちいいでしょう?」
子どものようにはしゃぐ顔に、つい口元が緩んだ。
***
少し身体も冷えてきたので、次はジャグジーでひと休み。
ぶくぶくと泡立つ湯に腰を下ろすと、和葉は気持ちよさそうに目を閉じた。
「……はぁ、あったかい……」
「温泉ってほどじゃないが、落ち着くな」
周りでは小さな子どもを連れた家族がのんびり浸かっていて、騒がしいプールの喧噪から切り離されたように静かだった。
短い時間だったが、和葉の表情が柔らかくなるのを横で見て、俺もつられて息を整えた。
***
最後に挑戦したのは、二人乗りのウォータースライダーだった。
列を進んでスタート地点に立った瞬間、和葉は下をのぞき込み、青ざめた顔で俺の腕にしがみついた。
「……高い……やっぱり、一人は無理です」
スタッフが声をかけてくる。
「一人用と二人用、どちらにしますか?」
和葉は俺の腕にしがみついたまま、きっぱり言った。
「お父さんと一緒で!」
「分かりました。では二人用でどうぞ」
スタッフはあっさり頷き、浮き輪を差し出す。
(……意外とすんなり受け入れられるもんなんだな)
浮き輪に腰を下ろした途端、和葉が後ろからぎゅっと抱きついてきた。
背中に伝わる体温と、押し当てられる柔らかい感触。耳元で息がかかるほど近い。
(……無警戒すぎる。心臓に悪い)
「……しっかり掴まってろよ」
「掴まってます!」
合図と同時に浮き輪が滑り出し、急カーブを切るたびに水しぶきが上がる。
背中越しに和葉の声が弾んだ。
「わっ……! わぁぁ……!」
恐怖と興奮が入り混じった声に、こちらまで息が詰まる。
着水の衝撃で浮き輪が弾み、水面に跳ねた。
和葉はびしょ濡れのまま振り返り、頬を赤らめて笑顔を輝かせる。
「こわかったけど……すっごく楽しかったです!」
「……はしゃぎすぎだ」
そう返した声が少し上ずっていたのを、自分でも誤魔化せなかった。
***
気づけば外は夕暮れ。空が茜色に染まり、プールの賑わいも落ち着いてきていた。
タオルを羽織りながら、和葉が名残惜しそうに振り返る。
「……もう夕方なんですね」
「そろそろ上がるか。腹も減ってきたしな」
「はい……」
プールを後にしながら、和葉は弾んだ声で言った。
「すっごく楽しかったです!」
「……まあ、悪くなかった」
夕焼けに照らされた笑顔を横目に、胸の奥が妙にあたたかくなるのを感じていた。
夏休み最後のイベントです。
本日もご覧いただきありがとうございました。




