Side:和葉 2023年7月29日(土)
朝、少し緊張しながら靴を履きつつ声をかけた。
「今日は、友達とご飯を食べてから帰りますね」
いつきさんは軽く頷いて言った。
「わかった。夜道は気をつけろよ」
「はい!」
胸が少し弾んで、私は玄関を飛び出した。
***
駅前で待ち合わせをしていると、歩が手を振りながら駆け寄ってきた。
「和葉ー!」
勢いよく抱きつかれ、懐かしい温かさに胸がじんとする。
「やっと会えた! 本当に心配してたんだから!」
「……ごめんね」
目が潤みそうになったところで、朱鷺子が一歩前に出た。
「元気そうでよかったわ」
その落ち着いた声に、胸の緊張が解けていく。
***
更衣室を出て、三人で顔を見合わせる。
「わぁ〜! その水着めっちゃ似合ってる!」歩が声を弾ませた。
「えっ……ほんと?」私は思わず裾を握る。
「やっぱり和葉はフリルだよ! かわいい!」
朱鷺子も少し微笑んで頷く。
「落ち着いてて可愛いわね。……自分で選んだの?」
「えっと……一緒に行ってくれた人に見てもらって、こっちがいいって言われたから」
そう答えると、歩は「へぇ〜! 優しい!」とにこにこ笑った。朱鷺子は小さく「なるほどね」と呟き、視線を外した。
***
プールでは歩に引っ張られるまま流れるプールへ。
「和葉、こっちこっち!」
「ちょっと、待ってよ!」
水の中ではしゃぎながら、懐かしい時間が戻ってくるのを感じた。
浮き輪に揺られていると、朱鷺子が隣に並んできた。
「……大丈夫そうね」
「うん。義父とはうまくいかなかったし、本当のお父さんは小さい頃に亡くなってるから……物心ついた頃から、家族として優しくしてくれる男の人っていなかったの。だから、今は一緒にいてすごく安心するんだ」
朱鷺子は小さく頷いた。
「……安心できてるなら、それが一番ね」
歩も水しぶきを上げて笑った。
「ほんとだよ! 和葉、すっごく楽しそうだもん!」
***
遊び疲れたあと、三人で近くのファミレスに入った。
「プール久しぶりで楽しかったね!」と歩がハンバーグを頬張る。
「……ねえ、和葉」朱鷺子がストローを弄びながら言った。
「なんか雰囲気が変わったね。前に会ったときより、ずっと自然」
「えっ……そうかな」
「前は我慢してるように見えたけど、今は違う」
私は少し考えてから、小さく笑った。
「……甘えても、ちゃんと受け止めてくれるから。だから安心できるんだと思う」
「ほらー! 惚気だ!」歩が即座に突っ込む。
「ち、違うから!」私は慌てて両手を振った。
「甘えてるだけじゃなくて……ちゃんと家事もやってるんだよ」
「へぇ」朱鷺子が興味深そうに首を傾げる。
「ご飯のあと、毎回“うまかった"とか"よくできたな”って褒めてくれるんだ」
「それ惚気以外のなにものでもないでしょ!」歩が大笑いする。
「ち、違うってば!」顔が熱くなり、下を向くしかなかった。
慌てて話題を変えるように口を開いた。
「そういえば……家には御子神さんもいるんだよ」
「御子神さん?」
「猫の名前。すごく人懐っこくて、毎晩布団に潜り込んでくるの」
「えー! 猫までいるんだ!」歩が声を弾ませる。
朱鷺子は少し微笑んで「……にぎやかそうね」と呟いた。
「……うん。ほんとに、楽しいんだ」
気づけば自然に笑っていた。
***
ファミレスを出る前に、私はスマホを取り出してメッセージを送った。
『そろそろ帰ります』
すぐに返信が届く。
『俺もちょうど外に出てる。駅で落ち合おう』
胸がほっと温かくなる。
***
駅に着くと、改札の向こうでいつきさんが待っていた。
私は小さく深呼吸して振り返る。
「この人が……いつきさん」
紹介すると、歩が元気に手を上げて挨拶をした。
「こんばんはー!」
朱鷺子も少し緊張したように会釈する。
「……こんばんは」
いつきさんは短く「こんばんは」と返した。
「じゃあ、またね!」と二人に手を振り、私はいつきさんの隣に並んだ。
少し迷ってから、そっと手を差し出す。
一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたいつきさんだったけれど、何も言わずにその手を握り返してくれた。
温かさが伝わって、胸の奥がじんわり落ち着いていく。
ふと視線を感じて振り返ると、歩と朱鷺子がこちらを見ていて、私は慌ててもう一度「またね!」と手を振った。
「楽しかったか?」
「……はい!」
繋いだ手に力を込めて、私は笑顔を返した。今日一日の疲れが、不思議と心地よく感じられた。
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