Side:和葉⑨
目を覚ました瞬間、昨夜のことを思い出して顔が熱くなった。
――だっこして、布団まで連れてってください。
あんなことを自分の口から言うなんて、少し前の私なら絶対にできなかった。
胸に抱えられて布団に下ろされたとき、心臓が爆発しそうなくらい跳ねていたのに。背中を撫でてもらった安心感が勝って、気づけばすぐ眠ってしまっていた。
……思い出すだけで、恥ずかしくて布団の中に潜り込みたくなる。
でも、不思議と後悔はなかった。むしろ、ちゃんと甘えられたことが少し誇らしい。
顔を洗って居間に行くと、いつきさんはもう新聞を広げていた。私はこたつの上に朝食を並べながら、ちらちらと視線を送る。
何もなかったようにしてくれているのが、ありがたくもあり、ちょっとだけ寂しくもあった。
食後、片付けをしていると、いつきさんがぽつりと言った。
「……通帳の件、そろそろ話をつけないとな」
胸の奥がぎゅっと縮む。母が残してくれたお金。義父に渡す必要があるのか、ないのか。ずっと気になっていたことだ。
「……はい」
小さくうなずくのが精一杯だった。
続けていつきさんが言う。
「学校のことも、そろそろ考えなきゃいけない時期だな。……和葉は、戻りたいと思うか?」
その言葉に、心臓がまた強く脈打つ。学校。友達。教室。黒板。
思い出すたびに、怖さと同じくらい、戻りたい気持ちも湧いてくる。
「……私、ちゃんと行けるでしょうか」
「事情の説明とかも必要だろうから、俺の方でも学校には話に行くつもりだ。行けるように、俺も手を貸す」
短く、でもはっきりとした言葉。
少し間をおいて、私は口を開いた。
「……そういえば、私物の中に、昔のスマホもありました」
「お、出てきたのか」
「はい。でも、電波は入らなくて……もう解約されてるんだと思います」
「まあ、契約者がいなくなればそうなるな。データは残ってるはずだ。今のスマホに移せばいい」
「……写真とか、友達の連絡先とか、残ってるかもしれません」
「なら、なおさらだな。復学するなら、繋ぎ直すことも大事だ」
その日の午後、いつきさんがパソコンを開いてくれて、昔のスマホからデータを移してくれた。
画面に並ぶ見慣れた名前や、母と一緒に写った写真が次々と復活していく。
「……連絡先も、写真も、残ってたぞ」
そう言って新しいスマホを差し出された瞬間、胸がいっぱいになって視界がにじんだ。
「……っ」
声にならない声が漏れ、思わずいつきさんの腕に抱きついてしまう。
驚いたように見下ろす視線と目が合い、慌てて「ありがとうございます」と口にしたけれど、涙は止まらなかった。
そんな私の頭に、大きな手がそっと置かれる。
「……よかったな」
短い言葉が、胸の奥に深く染みていく。
少し落ち着いてから、私は一番仲のよかった友達の名前をタップした。
短い文を打ち込んで、送信ボタンを押す。
しばらくして、返信の通知が光った。
その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが少し解けていくのを感じた。
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