2023年4月1日(土)③
脱衣所からタオルを肩にかけた少女が出てきた。
俺がロビーの端に座っていることに気づくと、少し驚いたように立ち止まる。
その姿に、思わず目を奪われた。
買ってきたTシャツとルームパンツは、思ったよりもぴったりしすぎていた。
特に、胸元。予想以上に張りがあり、サイズが少し小さかったのかもしれない。
(……見るな)
自分にそう言い聞かせ、そっと視線を逸らす。
「……温まったか?」
返事はなかったが、彼女の手がわずかにタオルの端を握る。
気まずさと、どこかほっとしたような、そんな仕草だった。
「牛乳、飲むか? そこの冷蔵ケースにいろいろある。どれが好きだ?」
彼女は小さく首をかしげ、ガラス越しに並ぶ瓶をじっと見つめた。
「……いちご牛乳」
「了解」
いちご牛乳の瓶を手に取り、番台に代金を置くと、ばあさんはにこっと笑って受け取った。
彼女の元へ戻り、瓶を手渡す。彼女は両手で大事そうに受け取り、小さく一礼した。
「ありがとう……ございます」
「ああ。無理に全部飲まなくていいからな」
俺は少し距離を取ってベンチの端に腰を下ろす。
湯上がりのロビーは静かで、ガラス窓の向こうには小雨がぽつぽつと降り続いていた。
「俺は、弓削っていう。名字だけでいい」
「……美作。みまさか、です」
小さな声だったが、はっきりと聞こえた。
お互い、下の名前を名乗るほどの距離じゃない。けれど、“名乗る”という行為が、わずかに心を近づけた気がした。
「……無理に聞くつもりはない。ただ、身体のほうは……大丈夫か?」
彼女の表情がわずかに揺れた。
「……なんで、知ってるんですか」
目を伏せたままだったが、その声には、わずかな警戒と戸惑いが混ざっていた。
「俺は見てない。番台のばあさんが、たまたま……その、見かけたって」
弁明のような言葉が情けなく響いて、俺は自然と声を落とした。
「……すまない」
けれど彼女はすぐに目を伏せ、力なく首を振った。
「……いいんです。責めてるわけじゃなくて……ちょっと、びっくりしただけ」
「そうか……」
ちらりと番台に目をやると、ばあさんが軽く顎をしゃくって見せた。
“こっちに来い”という合図だとすぐにわかって、俺は立ち上がる。
「……あの子、あんたの顔見て少しは落ち着いたみたいだね」
ばあさんは低く、しかし優しい声で言った。
「この時間でも診てくれる病院、ありますか? できれば、女性の医者で」
「ふっ……やっぱり、そう来ると思ったよ」
ばあさんは笑いながら、番台の脇に手を伸ばす。
「昔からの知り合いがいてね。ちょっと頑固だけど、若くて腕は確かだ。事情を話せばすぐに動いてくれるよ」
古びたメモ帳を取り出し、番号と名前をすらすらと書き記す。
「……ありがとうございます」
「気にしないさ。若い子のために動くのは、年寄りの仕事みたいなもんだからね」
ロビーに戻り、美作の前で立ち止まる。
「ばあさんの知り合いの病院で、女医さんがいる。今からでも診てもらえるそうだ」
彼女は、瓶を抱えたまま静かにこちらを見上げた。
「無理にとは言わないが……診断を受ければ、痣の状態も記録として残る。
あとで保護を求める場面になったとき、確実に証拠になる。
写真だけじゃ弱い。医者の診断書があるかどうかで、大きく違ってくる」
「ちょっとちょっと、あんた」
番台のばあさんが、いつの間にか後ろから顔を出してきた。
「それじゃまるで、役所の窓口で説明してるみたいだよ。今必要なのは、嬢ちゃんの気持ちのほうさ」
「……すみません」
自分でも、つい説明が長くなったと気づき、俺は頬をかいた。
美作は一瞬だけ目をぱちくりさせて、それからほんの少しだけ口元を緩ませた。
「行ってみるか?」
「……はい」
ためらいながらも、やわらかさのある返事に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
雨はまだ、細く降り続いていた。
外に出ると、昼間よりも少し冷たい空気が、肌にまとわりついてくる。
傘を開いて、彼女の隣に差し出す。
「歩いてすぐの場所だ」
「……はい」
俺たちは、銭湯の暖かさを背に、ゆっくりと歩き出した。
今回もご覧いただきありがとうございました。
今は構想もある程度まとまってるので、更新頻度はまちまちになりそうです。
ノッていたらそのままの勢いで投稿させていただきます。




