2023年6月30日(金)
昼前、俺の車で大家さんと弁護士の小鳥遊を乗せ、義父の家へ向かった。
助手席の和葉は両手を膝に置き、指先が少し強張っている。
「大丈夫だ。今日は俺と大家さんが一緒だ」
「……はい」
後部座席で小鳥遊が軽く手を挙げる。
「あれ、先輩? 俺もいますよ?」
和葉が小さく吹き出し、緊張がほんのわずかにほどけた。
義父宅は、カーテンは閉め切られ、ポストにはチラシが差し込まれたままだった。
大家さんが合鍵を差し込み、静かにドアを開ける。
「よし、誰もいないな……中は任せます。俺は玄関で見張ります」
和葉と大家さんは奥の部屋へ入り、荷物整理を始めた。俺は玄関前で通りをうかがい、小鳥遊は車で待機している。
微かに話し声が奥から聞こえる。和葉の声だ。
そのとき、道路の向こうに古いセダンが止まった。降りてきた男の歩き方で背筋が固くなる。――義父だ。
「おい、何してやがる」
掠れた声。口元は笑っているようで、目は笑っていない。
「お前が和葉の義父か。立ち入りは大家さんの許可を得ている。和葉の私物を引き取るだけだ」
「勝手に入っていいわけねえだろ」
「もう一度言うが、鍵を持ってる大家さんが立ち会ってる。何の問題もない」
義父が肩をいからせ、俺の脇をすり抜けるように強引にリビングへ踏み込んでいった。唐突な行動に、わずかに反応が遅れた。
奥の部屋から和葉が現れた瞬間、義父の目が細まり、口角が吊り上がった。
「おう、お前。ようやく見つけたぞ」
そして一歩踏み込み、和葉の腕を強く掴む。
「……っ」和葉が顔をしかめ、身を引こうとする。
リビングに踏み込んだ俺は即座にその手を引き剥がし、和葉を抱き寄せて後ろに下がらせた。
リビングの入口に立ち、義父と真正面から向き合う。
外で車のドアが開く音がし、すぐに足音が近づいてくる。騒ぎを聞きつけた小鳥遊が玄関から入り、静かに歩み寄り、俺の横に並んだ。冷ややかな眼差しが義父を射抜く。
「弁護士の小鳥遊と申します。本日は依頼を受けて立ち会っています。あなたと和葉さんには法的な親子関係はありません。この場の立ち入りは大家と依頼人の同意のもとで行っています」
義父が一瞬、言葉を詰まらせる。
俺は視線をぶつけ、低く言い放った。
「……今、和葉の保護者は俺だ。俺の娘に手を出すな」
視線を外さずにいると、背後からかすかな衣擦れの音。
和葉がそっと一歩近づき、袖口を指先でつまんだ。
義父の口元が歪むが、小鳥遊の冷ややかな視線と俺の睨みの前では、一歩も踏み込めない。
奥から大家さんの声が飛ぶ。
「和葉ちゃん、荷物はもう大丈夫?」
「はい……全部まとまりました」
「じゃあ、運びましょう」
大家さんの持つ荷物を受け取り、俺と小鳥遊は和葉を真ん中にして玄関へ向かう。
振り返ると、義父はリビングの中央で立ち尽くしたまま、追ってくる気配はなかった。
***
大家さんを送り届け、車を走らせながらルームミラー越しに小鳥遊を見る。
「このまま帰るか?」
「いえ、せっかく三人とも無事なんですし、腹ごしらえしません? 俺、昼抜きなんですよ」
助手席の和葉がちらりと俺を見た。
「……そうですね、ちょっとお腹空きました」
「じゃあ、近くで何か食べて帰るか」
立ち寄ったのは、和葉が以前から気になっていたという定食屋。
湯気の立つ味噌汁をすすった小鳥遊が、ふっと笑う。
「味噌汁なんて、久しぶりに飲みましたよ」
「そうか? うちじゃ毎日だけどな。和葉が作ってくれる」
「……なにそれ羨ましい。完全に若奥さんじゃないですか」
不意に振られた和葉は、箸を持つ手を止めて、ぱちぱちと瞬きをした。
「わ、若奥さんなんて……」
頬がじわりと赤くなるのが見て取れた。けれど口元には小さく笑みが浮かんでいる。
その表情には、照れと、どこか誇らしげな響きが混じっていた。
小鳥遊はお椀を置き、表情を引き締める。
「今日の義父さんの行動、正直危ないです。接触禁止の申し立てが通る可能性があります」
「やれるなら早めに動きたい」
俺の言葉に、和葉が少し目を見開く。
「……そんなこともできるんですか?」
「できます。法的に距離を取らせる方法はいくつかありますよ」
「じゃあ、それをお願いしたいです」
俺は頷き、もう一つの気掛かりを口にする。
「あと、通帳だ。今日の回収で見つからなかった分を何とかしたい」
「その二つですね。準備します」
小鳥遊が短く答え、湯呑みを置いた。
店を出る頃には、和葉の顔には昼間の緊張はほとんど残っていなかった。
駐車場に戻るとき、ほんの少しだけ俺の袖口をつまむ指先が、心なしか温かく感じられた。
本日もご覧いただきありがとうございました。
二章もそろそろ後半戦です。




