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コンプライアンスを遵守したい年の差恋愛  作者: 金雀枝
第2章:彼女が求めた日常
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Side:和葉 2023年5月23日(火)

 「甘えてもいいんだぞ」――その言葉が、こたつの上を越えて胸の奥まで届いたとき、私は息を止めてしまった。

 返事をしようとしたのに、声がうまく出てこなかった。

 そんなことを言われるなんて思ってもいなかったし、正直、どう受け止めていいか分からなかった。


 いつきさんは、私のことを“しっかりしている”と思っている。

 少なくとも、そう見られている自覚はある。

 だからこそ、その言葉は不意打ちだった。

 思わず目を伏せてしまったけれど、胸の奥が妙に熱くなって、しばらく冷めなかった。


 あの夜のことを考えると、ここ最近の自分の行動が次々と思い出される。


***


 家庭訪問の日、玄関先で「今回は問題なかったですね」と言われて、心底ほっとした。

 でも、そのすぐあとに「また来ますから」という言葉が続いた。

 笑顔でうなずきながらも、胸の奥に小さな石が落ちたような感覚が残った。


 “また来る”ということは、“また見られる”ということだ。

 少しでも悪く見えたら、いつきさんと離されるかもしれない。

 そんな考えが、一度頭に浮かんだら離れなくなった。


 それからの私は、これまで以上に“ちゃんとした”生活をしようと心に決めた。

 部屋は毎日掃除して、台所のシンクには洗い物を溜めない。

 買い物のレシートはまとめて、冷蔵庫の中も整理整頓。

 食事の準備は、いつきさんのお仕事が終わったらすぐ出せるように段取りしておく。


 やっているときは自然なつもりだった。

 でも、今にして思えば、少し空回りしていたかもしれない。


 例えば、5月のある日。

 商店街で食材を買って帰る途中、荷物を全部自分で持とうとした。

 「片方よこせ」といつきさんに言われて、あわてて渡したけど、本当は渡したくなかった。

 重い荷物を持ってもらえば楽になるのは分かっているのに、甘えるのが怖かった。


 信号を渡るときや、段差のある道を歩くとき。

 いつきさんは、何も言わなくても歩調を合わせてくれる。

 それを感じると、心の奥が少し温かくなる反面、胸のどこかがきゅっと縮む。

 ――甘えたい。

 けれど、甘えてばかりではいけない。


 昔から、私は人にくっついたり頼ったりするのが好きだった。

 母が生きていたころは、家にいるときのほとんどを母のそばで過ごしていた。

 宿題をするときも、テレビを見るときも、寝るときも。

 それが当然で、幸せだった。


 けれど、母にベッタリな私を、義父は面白く思っていなかった。

 直接そう言われたわけじゃない。

 でも、視線や態度で何となく分かった。

 あの家の空気が変わったのは、母が亡くなったあと――私が甘える相手を失ったあとだった。

 「甘えすぎたら、良くないことが起きる」

 その感覚だけが、ずっと心に残っている。


 だから、いつきさんには迷惑をかけたくなかった。

 “いい子”でいたほうが、この生活は長く続く。

 そう信じて、余計な手間をかけさせないように気を配ってきた。

 でも、それが逆にから回っていたのかもしれない。


***


 そして、あの夜。

 「家族同然なんだ。だから甘えてくれたっていいんだぞ」と、いつきさんは言った。


 その声は穏やかで、からかいでも義務でもなく、本当にそう思っているのだと分かる響きだった。

 でも、私は迷った。

 甘えていい――その言葉を信じてしまったら、きっと歯止めがきかなくなる自分を知っている。

 それに、いつきさんはきっと私のそういう面を知らない。

 “しっかりしている子”だと思ってくれているはずだ。

 だからこそ、余計に戸惑った。


 嬉しい気持ちと、怖い気持ちが、半分ずつ胸の中でせめぎ合う。

 どうすれば“甘える”になるのかも、正直よく分からない。

 けれど――少しだけなら、試してみてもいいのかもしれない。


 そう思った瞬間、心のどこかがふっと軽くなった気がした。

少しずつ、本当の自分に戻る。


初投稿が7/12なので、無事一月投稿できました。

お付き合いいただいた皆様ありがとうございます。

引き続き。1日1投稿を目標にがんばります。


本日もご覧いただきありがとうございました。

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