2023年5月6日(土)③
銭湯の帰り道、俺たちは少し遠回りして、駅前のスーパーに寄った。
冷蔵庫の味噌が切れていたのを思い出して、ついでにいくつか買い足しておくことにした。
「……なんだか、今日はぐっすり眠れそうです」
レジ袋を手にした和葉が、ぽつりとつぶやいた。
表情は柔らかく、どこか満ち足りているように見える。
「そっか。それなら、よかった」
返事をしたちょうどそのとき、ポケットの中のスマホが震えた。
画面を見ると、児相の東海林さんからのメッセージが届いていた。
『来週、家庭訪問を予定しています。12日午後、ご都合いかがでしょうか?』
……やっぱり来たか。
「和葉。来週、児相の人が家に来ることになった」
隣を歩いていた彼女が、ぴたりと足を止める。
「……家に?」
「ああ。生活の様子を見るんだ。俺が保護者として適切かどうかっていうのも含めてな」
和葉はレジ袋の取っ手をぎゅっと握ったまま、しばらく黙っていた。
「……わかりました」
声は落ち着いていたが、その目はわずかに揺れていた。
***
帰宅後、買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、簡単な夕飯を済ませる。
こたつに入って湯呑みを手にした頃、和葉がそっと口を開いた。
「……家庭訪問って、何を話せばいいんですか?」
「難しく考えるな。普段どおりでいい。無理に取り繕う必要はない。お前が思ってることを、そのまま話せばいい」
そう答えると、和葉は少しだけ視線を落とした。
「……前に、一度だけ来たことがあるんです。児相の人。母が亡くなったすぐ後、義父が、なんかうまく言ってて……」
「うまく?」
「“思春期で荒れてる”とか、“母親に甘えてばかりで困ってた”とか……。私の方が嘘をついてるみたいになっちゃって……結局、何も変わりませんでした」
その声はとても静かで、どこか遠くを見ているようだった。
「……今は違うって、ちゃんとわかってるのに。なのに、なんか、こわくて」
俺が何か言う前に、こたつの縁から御子神さんがひょっこり顔を出した。
まるで空気を読んだかのように、和葉の膝にするりと擦り寄っていく。
和葉は少し驚いたあと、小さく笑って撫でた。
「……御子神さんは、優しいですね」
「お前の方が優しいから、寄ってくんだよ」
俺はそう言いながら湯呑みに口をつけた。
少しだけ落ち着いた空気が流れる。
「学校のことも、聞かれますか?」
「ああ、たぶんな。でも、今は通ってないって正直に言えばいい。俺からも“復学を考えてる”って伝える」
「……ありがとうございます」
***
夜、布団を敷いて電気を落とすと、静かな気配だけが部屋に残った。
暗闇の中、和葉がぽつりとつぶやく。
「……あの、いつきさん」
「ん?」
「その……手、繋いでもいいですか?」
「……どうした?」
「今日、嫌なことがあったわけじゃないんです。すごく楽しかったんです。でも……昔のこと、ちょっと思い出してしまって……。今は違うって、わかってるのに、なんだか、こわくて」
布団の中で、和葉の手がそっと差し出されたのがわかった。
「……少しだけでいいので」
その手を、俺は静かに取った。
「……ありがとう、ございます」
小さな声が、布団の中に落ちる。
御子神さんが、足元で丸くなって寝息を立てている。
不安もある。でも、こうして誰かと繋がっていられるなら。
試されるのも、悪くはない。
今日は次のエピソードの導入なので短めです。
本日もご覧いただきありがとうございました。




