Side:和葉 2025年1月20日(月)
初めてのお給料をもらってから、少しだけ日が経った。
封筒は一度家に持ち帰って、ちゃんと中を見て、それから通帳に入れた。今月使う分だけ手元に置いて、あとはきちんと残してある。
その“今月使う分”の使い道は、もう決めていた。
昼休み、私はお弁当箱のふたを閉めてから、向かいの二人を見た。
「あの、今日……放課後、時間ありますか」
歩ちゃんがすぐに顔を上げる。
「なにその改まった言い方。あるよ?」
朱鷺子も箸を置いて、私を見る。
「珍しいわね。何かあるの?」
少しだけ緊張して、私は鞄の中の財布を思い出した。
「この前、お給料が出たので……よかったら、何かごちそうしたいなって」
一瞬、歩ちゃんが止まる。
そのあと、ぱっと顔が明るくなった。
「えっ、初給料!?」
「はい」
「すご。和葉がスポンサー!?」
「言い方」
朱鷺子がすぐに突っ込む。
でも、その口元は少しだけ笑っていた。
「そこまでしなくていいのに」
「でも、いつも色々してもらってるから」
勉強も。
学校でのことも。
なんでもないみたいに一緒にいてくれることも。
私がそう言うと、歩ちゃんがふっと顔をゆるめた。
「……じゃあ、ありがたく乗っかる」
「歩」
「だって、こういうのって断る方が気まずいやつじゃん?」
朱鷺子は少しだけ考えて、それから肩をすくめた。
「そうね。和葉がしたいなら、付き合うわ」
その言い方が二人らしくて、私は少しだけ肩の力が抜けた。
***
放課後、三人で駅前のファミレスに入る。
制服姿の高校生も、仕事帰りらしい大人もいて、店の中はほどよくにぎやかだった。奥の四人席に案内されて、コートと鞄をおろす。ガラスの向こうでは、冬の夕方がもうかなり暗い。
「こういうとこ、落ち着くよねえ」
歩ちゃんがメニューを開きながら言う。
「分かる。妙に安心する」
「騒がしいけどね」
朱鷺子はそう言いながらも、ドリンクバーの札を手元に寄せた。
私はメニューを開いて、値段をざっと見る。
払えないわけじゃない。ちゃんと足りる。
それでも少しだけ背筋が伸びるのは、今日が“自分で払う側”だからかもしれない。
「和葉、好きなの頼んでいいんだよね?」
「もちろんです」
「やった」
「歩、遠慮しなさいよ」
「してるよ? これでも一応」
「今の時点で信用がないのよ」
二人のやり取りに笑いながら、私は焼きたてパンのつくプレートに決めた。歩ちゃんはハンバーグとデザートのセット、朱鷺子はドリアとサラダにするらしい。
「では」
歩ちゃんが水のグラスを持ち上げる。
「和葉の初給料に、乾杯」
「水で?」
「気持ちが大事」
軽くグラスを合わせる。
小さな音がして、それがなんだか少し嬉しかった。
料理が運ばれてきて、テーブルが少しだけ華やかになる。
歩ちゃんのハンバーグは湯気が立っていて、朱鷺子のドリアはこんがり焼けていた。私の前のプレートには、小さめのパンと温かいスープがある。
「いただきます」
三人で声をそろえてから、ようやく落ち着いた。
「それで、初給料どうしたの?」
歩ちゃんがナイフを持つ前に聞いてくる。
「今月使う分だけ手元に置いて、あとは通帳に入れました」
「えらい」
「まあ、和葉ならちゃんとしそう」
私はスープをひと口飲んでから、少しだけ笑った。
「最初、家に入れようとしたんです」
「でしょうね!」
歩ちゃんが即答する。
早すぎて、私は思わず瞬いた。
「……やっぱり?」
「やっぱりだよ。和葉だもん」
朱鷺子も小さく頷く。
「それで、受け取ってもらえなかったの?」
「はい。学生なんだから、生活費なんか気にしなくていいって」
「うわ、言いそう」
「すごく言いそうね」
完全に同じ反応をされて、私は少しだけ笑ってしまう。
「それで、何か返したいって言ったら……俺にはいらないから、御子神さんにしろって」
一拍おいて、歩ちゃんが吹き出した。
「なんで猫!」
「でも、分かるわ」
朱鷺子は妙に納得した顔で紅茶を飲む。
「弓削さん、自分のものにされるより、そっちの方が気が楽なのよ。たぶん」
「この家で一番分かりやすく喜ぶから、って言われました」
「それも言いそうー!」
歩ちゃんが笑いながらフォークを振る。
「で、和葉は納得したんだ」
「しました」
「素直」
「だって、たしかにそうだなって思って」
ご飯のあとにすり寄ってくる御子神さんのことを思い出す。
缶詰を開ける音に、耳だけ先に反応するところも。
歩ちゃんがにやっとする。
「じゃあ今日、帰りに御子神さんのご褒美買いに行こうよ」
「なんで歩ちゃんがそんなに乗り気なんですか」
「見たいからです」
「正直ね」
「半分くらい自分のためでしょう」
「八割です」
「増えた」
でも、その提案はちょっと魅力的だった。
駅前の通りにはペットショップがあるし、今日なら寄れる。
私が少し迷っていると、朱鷺子が静かに言った。
「いいんじゃない。和葉が買いたいなら」
「……じゃあ、少しだけ見ていきたいです」
「決まり!」
食事を終えてレジへ向かうとき、胸の奥が少しだけ緊張した。
でも、財布を出して、レシートを受け取って、ありがとうございますと言うところまで、ちゃんとできた。
小さなことだけど、それでも“自分で払った”という実感はあった。
***
店を出たあと、そのまま三人でペットショップへ向かう。
ガラスの自動ドアが開くと、フードと木の床材が混ざったみたいな匂いがした。棚には色とりどりの袋やおもちゃが並んでいて、歩ちゃんがすぐに目を輝かせる。
「え、すご。猫のおやつってこんなに種類あるの」
「思ったより多いな……」
私は棚の前に立って、一つひとつ見ていく。
まぐろ。
ささみ。
毛玉ケア。
少し高いやつ。
小袋の詰め合わせ。
「これ、御子神さん好きそう」
歩ちゃんが猫じゃらしを手に取って振る。
「たぶん一回は遊ぶ」
「一回なの?」
「そのあと飽きて見向きもしなくなるタイプだと思う」
「解像度が高いわね……」
朱鷺子が少し呆れたように言う。
「買いすぎないのよ」
「分かってます」
私は猫じゃらしをそっと棚へ戻して、今度はおやつの袋を見る。
今日はあくまで、御子神さんへの“ご褒美”だ。
いつもより少しだけ高い、小さめの缶詰をひとつ。
それから、食べきりの小袋をひとつ。
「これにします」
「お、堅実」
「和葉らしいわね」
会計を済ませて袋を受け取ると、小さな重みが手の中におさまった。
高いものじゃない。けど、自分で選んで、自分で買ったと思うと、少しだけ特別に見える。
***
駅で二人と別れる。
「今日はありがとー! スポンサー和葉!」
「また言ってる」
「ごちそうさま。御子神さんにもよろしく」
「はい。また」
二人と手を振って別れて、私はそのまま家へ向かった。
夜の空気は冷たいけれど、手の中の袋は妙にあたたかく感じる。
その中に入っているのが猫のごはんなのは、少し変な気もした。でも、それも悪くない。
玄関を開ける。
「ただいま」
返事より先に、ぱたぱたと足音がした。
廊下の奥から、御子神さんが一直線にやってくる。
いつもより明らかに早い。
「……なんで分かるんですか」
当然みたいな顔で足元まで来て、私の手の袋を見上げる。
しっぽがぴんと立っていた。
「露骨だな」
奥から、いつきさんの声がする。
私は靴を脱ぎながら、足元の御子神さんを見る。
「まだ見せてもないのに」
「分かるんだろ」
「そんなことあります?」
「あるから来てる」
その言い方に少しだけ笑って、私は袋を持ち上げた。
中で小さく包装が鳴る。
その音に合わせるみたいに、御子神さんのしっぽがもう一度大きく揺れた。




