2025年1月6日(月)
夕飯を片付けて、こたつに戻る。
湯気の名残が、部屋の隅にまだ薄く浮いていた。窓の外は真っ暗で、風がときどきガラスを鳴らす。
和葉は湯飲みを両手で包んだまま、しばらく黙っていた。
言い出す前の癖――指先が落ち着かず、こたつ布団の縁を整える。
「いつきさん」
「ん」
「この前の、進路の話なんですけど」
昨日の夜は、進路を決めた話しだった。
今日は、その先だ。
「どう進めるか……考えてみました」
「聞こう」
和葉は小さく頷いて、背筋を正す。
「喫茶店のバイトは、続けたいです」
「理由は」
「接客も勉強になると思ってて。あと……少しでも自分で出せる分は、出したいですし」
現実を見た言い方だ。背伸びしないのが、逆にいい。
「勉強と両立できるならな」
「はい。そこは、ちゃんとします」
強く言い切らない。けど、逃げてもいない。
「勉強は、時間を決めます。帰ったら一時間は必ず、とか」
「ゼロは無し、だな」
「はい」
すぐ返ってくる。気合いじゃなく、習慣の話をしている。
和葉は一息ついて、続けた。
「それと……」
「まだあるのか」
「あります」
ほんの少しだけ口元が緩む。
「進路は違うかもしれないけど、基礎は大事だし。私たち、別に“勉強得意組”でもないし」
自虐っぽく言って、視線を落とす。
「また三人で、たまに勉強会できたらいいなって思ってます。歩ちゃんと朱鷺子も、続けたいって言ってて」
「いいんじゃないか」
俺は湯飲みを置いた。
「続くならな」
「続けます」
「勢いで言うな。日程、決めろ」
「……はい」
頷きが素直だ。
言われ慣れてるというより、ちゃんと受け止められるようになってきた顔。
「塾は必要か?」
「今のところは、自分でやってみたいです。足りなかったら……相談します」
「分かった。やるなら、ちゃんとやれ」
「やります」
短い返事。逃げ道のある短さじゃない。
話が落ち着いたところで、和葉がまた布団の端を指先で整えた。几帳面な癖は変わらない。
俺は現実の方を口にする。
「勉強増やすなら、家のことは俺がやる割合も増やす」
和葉の顔がぱっと上がった。
「家のこと、って」
「掃除と洗い物。あと飯も――」
「ごはんは」
言葉を被せられた。珍しい。
「ごはんは……私の割合、少し増やしたいです」
全部を取り上げたい言い方じゃない。そこが和葉らしい。
「今もやってるだろ。七三くらいで」
「はい。だからこそ、です」
和葉は視線を落として、小さく唇を噛んだ。
「いつきさんの方が上手いのは、分かってます。経験が違うから」
「事実だな」
「そこで即答しないでください」
小さくむっとして、すぐに息を吐く。
「私も、できる方ではあると思うんです。普通の高校生よりは」
「それも事実」
「……だから、もう少しだけ。私が作る日、増やしてもいいですか」
“許可”じゃない。“相談”の言い方だ。
「理由は」
和葉は少しだけ迷って、湯飲みの縁を指でなぞった。
「食べてほしい人がいると……上手くなりたいって思えるので」
ふんわりした言い方なのに、要点だけが刺さる。
俺は湯飲みを持ち上げて、熱で間を埋めた。
「……じゃあ、週に三回増やす」
「三回」
「多いか」
「いえ。ちょうどいいです」
返事が、少しだけ明るい。
「ただし、テスト前と模試の週は俺が戻す」
「その時は……お願いします」
素直に言えたことが、自分でも嬉しいみたいに見える。
「決まりだな」
「はい」
こたつの中で、和葉の足が少し動いて、俺の脛にそっと触れた。
引っ込めようとして止まり、結局そのまま。
「踏むな」
「踏んでないです。触れてるだけです」
「同じだ」
「同じじゃないです」
小さく笑う声が、部屋に溶ける。
話は一段落したはずなのに、和葉はまだ言いたそうにしている。
「まだあるのか」
「あります」
今度は堂々と言った。
「店長が、コーヒーと紅茶の淹れ方を教えてくれるって言ってました」
「喫茶店で出すのか」
「いえ、それは元から無理です。教えてもらうだけ。家で淹れられたら……ちょっと楽しいかなって」
「俺を実験台にする気か」
「たぶん」
「まずいのは一回までだ」
「二回目から改善します」
「反省前提か」
「成長前提です」
その返しに、俺も少しだけ笑った。
和葉も笑って、すぐに視線を逸らす。照れを隠すのが、まだ下手だ。
窓の外で、また風が鳴る。
「明日から授業だな」
「はい」
「早起きは続く」
「続けます」
「寝不足は許さない」
「守ります」
「その返事、信用していいんだな」
「はい。……信用してください」
こたつの灯りが、机の上を照らしている。
カレンダー。ノート。湯飲み。
冬休みは終わった。
急に走り出すわけじゃない。――ちゃんと、歩いていく。




