2025年1月1日(水)③
シャッター音のあと、和葉がこちらを見て、口元だけで笑った。
歩は撮れた写真を即座に確認して、「よし!」と満足そうに頷いた。
朱鷺子はおみくじを折り直し、袖の中へ仕舞っている。切り替えが早い。
「じゃ、次――」
歩がまた何か言い出す気配を見せた。
「いや、もう帰る」
「えー! まだ屋台――」
「人増えてきた。今のうちだ」
歩は「むぅ」と頬を膨らませ、朱鷺子は「妥当ですね」と小さく頷いた。
***
参道を外れ、石段を下りる。
人の流れが太くなっていて、足元まで気を回しにくい。
歩が一段踏み外しかけた。
「うわっ」
体が後ろに傾く。
反射で腕を伸ばしたら、腰のあたりに手が当たった。体重が一瞬だけ預けられる。
「危ない」
それだけ言って体勢を戻す。手はすぐ離した。
「ちょ、今ほんとに転ぶとこだった!」
「前見ろ。石段だぞ」
「ふざけてないって! 砂利ずるい!」
歩は笑いながら文句を言い、朱鷺子は「怪我がなくて何より」と淡々としている。
誰も、今の一瞬を大事に扱うつもりはないらしい。
数歩進んでから、俺は隣の和葉にだけ言った。
「足元、気をつけろ」
「……はい」
返事は小さい。けれど、歩幅がほんの少しだけ揃った。
***
鳥居の外まで出ると、空気が少し静かになった。
人混みのざわめきが一段遠のく。
「じゃ、またね!」
歩が大きく手を振る。
朱鷺子も頭を下げた。
「ありがとうございました。弓削さん、和葉」
「気をつけて帰れよ」
――で、終わるはずだった。
「待って!」
歩が引き返してきて、指を一本立てた。
「ツーショット! 弓削さんと和葉の!」
「いらん」
即答すると、歩が「えぇー!」と声を上げる。
「実家に送るんでしょ!? 着物のお礼もあるし、絶対いる!」
朱鷺子が落ち着いた声で追い打ちをかけた。
「お母様から写真の要望があったなら、二人で写っている方が分かりやすいと思います」
「分かりやすいとかじゃなくて――」
「必要かどうか、ではありません」
朱鷺子は淡々と言い切る。そこだけ妙に強い。
和葉が小さく咳払いして、俺の方を見た。
「……私から送ります。着物のお礼も、ちゃんと伝えたいです」
「……一枚だけだぞ」
「よし!」
歩が勝ち誇った顔をして、でもすぐ首を振る。
「あ、弓削さんのスマホだと送らなそうだから、和葉のスマホで撮ろ!」
(逃げ道、塞がれたな)
和葉が慌ててスマホを出した。
歩がそれを受け取って、カメラを起動する。
「はい、そこ! もう半歩寄って!」
「近い」
「寒いから! 写り的にも!」
意味が分からない理屈だが、押し切られるのはいつものことらしい。
和葉は小さく笑って、言われた通りに半歩寄った。
「撮るよー、はい!」
シャッター音。
「よし、完璧!」
歩が満足そうに頷いて、朱鷺子が「ありがとうございます」と一礼した。
……礼を言う場面か?
二人はようやく解散の空気に戻り、今度こそ人混みに紛れていく。
***
歩たちの背中が見えなくなったところで、和葉がスマホを受け取り直した。
「……送りますね」
画面を操作して、短い文を打つ。
送信の音が鳴る。
数分も経たず、返信が来た。早い。
和葉が画面を見て、目を丸くする。
「……返事、来ました」
「なんて」
和葉は読み上げた。
『写真ありがとう。和葉ちゃん、すごく綺麗ね』
そこで俺のポケットが震えた。
画面を見ると、同じ写真が転送されている。
『……あんたは相変わらず顔が固いわ』
和葉が吹き出しそうになる。
「……固い、って」
「だろうな」
さらに続きが来る。
『別にあんたは写らなくても良かったのよ。和葉ちゃんだけで十分だったのに』
俺は画面をそのまま見せた。
「余計だ」
和葉はとうとう笑いをこらえきれず、袖で口元を押さえた。
「……すみません」
「謝るな」
笑うのは勝手だ。母さんが勝手に言ってるだけだ。
***
レンタル店へ戻る道は、行きより少し静かだった。
店に入ると、スタッフが慣れた様子で和葉を奥へ通す。
しばらくして戻ってきた和葉は、いつものコート姿だった。
さっきまでのくすみ青が、嘘みたいに消えている。
「……軽いです」
「そりゃそうだ」
「でも、ちょっと……」
「ちょっと?」
和葉は言いかけて、首を振った。
「なんでもないです」
俺はそれ以上、突っ込まなかった。
***
帰り道、和葉がぽつりと言った。
「思ったより締め付けられてて。ちょっと大変でした」
「ああいうのは締めるからな」
「苦しかったです」
「その分、格好はつく」
「……格好?」
「普段より、ちゃんとして見える」
和葉が少しだけ足を止める。
「……普段は、ちゃんとしてないみたいです」
「してる」
即答してから、自分で少し間が空いた。
「でも今日は、違う」
「違う、って?」
「背筋が伸びてる。歩き方も」
和葉は視線を逸らして、小さく息を吐く。
「……ちゃんとしようと、してました」
「分かる」
それだけ言うと、和葉はまた一歩分、距離を詰めた。
「……じゃあ、よかったです」
***
アパートの階段を上る。
着物は返したのに、和葉はまだ裾を気にするみたいに、歩幅が少し小さい。
「段、見とけよ」
言いながら、手を差し出す。
深い意味はない。
さっき歩が転びかけたのを見たばかりだ。
和葉は一瞬だけこちらを見て、それから黙って手を取った。
「……はい」
軽い。
数段上るだけで十分だった。
踊り場に着いたところで、自然に手は離れる。
鍵を回す音が、静かな廊下に響いた。




