表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
228/243

2025年1月1日(水) ①

 目が覚めたとき、部屋はいつもより静かだった。

 外の音が少ない。車も、踏切も、遠い話し声も。正月だから、という理由が一番しっくりくる。


 こたつの端で、御子神さんが丸くなっている。昨夜のまま、場所も体勢も大して変わっていない。

 俺だけが先に起きてしまったらしい。


 スマホで時間を確認する。まだ早い。

 着付けの予約は八時半。余裕はあるが、油断はできない。


 台所に立って、蛇口をひねる。水が冷たい。

 顔を洗っているうちに、ようやく“元旦”の感覚が追いついてくる。


 圧力鍋を出して、地鶏スープのパックを開けた。

 昨日買った大根と人参は短冊。鶏肉はもも。食べやすい大きさに切る。


 具とスープを鍋に入れて蓋を閉め、火にかける。

 圧が上がったら弱火。あとは時間に任せるだけだ。


 正月の朝に、鍋の前で張りつく気はない。

 手を動かすところは動かして、待つところは待つ。


 餅は彼方さんから貰ったのし餅の端。

 角に切って、軽く焼く。焦げ目がつくと、香りが立つ。


 背後で布団が擦れる音がした。


「……おはようございます」


 振り返ると、和葉が寝癖を手で押さえながら立っていた。まだ目が半分だ。


「おはよう」


 和葉は一瞬だけきょとんとして、それから小さく背筋を伸ばした。


「あけましておめでとうございます」


 ちゃんと言い直すあたり、律儀だ。


「あけましておめでとう」


 俺も同じように返して、作業に視線を戻した。

 気恥ずかしいのをごまかすには、手を動かすのがちょうどいい。


「……雑煮、作ってるんですか」


「作るって言ったろ」


「はい。……いい匂いです」


 和葉が台所に近づいて、圧力鍋の方を少しだけ覗いた。

 それから思い出したように手を洗いに行く。


「何か、手伝いますか」


「せりを切ってくれ」


「はい」


 昨日買ったせりを渡すと、和葉はまな板の上で丁寧に揃え始めた。

 切る音が一定で、落ち着く。


 圧力鍋が、ぷしゅ、と小さく音を立てる。

 火を止めて、圧が抜けるのを待つ。急がない。そこだけは時間が要る。


 蓋を開けると、湯気が一気に立った。

 大根と人参に、ちゃんと色が入っている。鶏の脂が薄く浮いて、正月の匂いがする。


 味を整えて、火を止める。

 和葉が切ったせりは、椀に盛る直前まで置いておく。


「餅、入れるぞ」


「はい」


 焼いた餅を椀に入れて、上から汁を張る。

 赤白のかまぼこ、なると、伊達巻を切って並べる。普段なら気にしないが、正月くらいは見栄えも整える。

 仕上げに、せりをひとつまみ。

 最後に、小さなスプーンでいくらを少しだけ落とす。毎年のやつだ。正月の贅沢。


 箸とお椀を並べ、こたつに運ぶ。


「いただきます」


「いただきます」


 和葉はまず、椀の中を一度だけ見下ろした。

 かまぼことなると、伊達巻といくら。全部がちゃんと“正月”の顔をしている。


 小さく息を吹きかけてから、そっとすすった。

 次の瞬間、眉がふわっとほどける。


「……おいしいです」


 言いながら、もう一口いく。早い。


「熱いだろ」


「大丈夫です。……でも、熱いです」


 どっちなんだ、と思いつつ、口元だけで笑いそうになった。


 和葉は箸を止めて、いくらを一粒だけ拾うみたいに口に運ぶ。

 それから、少しだけ真面目な顔でうなずいた。


「これ、毎年……なんですね」


「そうだ」


「……贅沢です」


 小声なのに、嬉しさが混ざっている。


 鶏だしのコクに、せりの香りが抜ける。いくらの塩気が最後に残る。

 うちの雑煮だ。


 食べ終わって、椀を下げる。

 時間を確認すると、まだ余裕がある。ちょうどいい。


「和葉」


「はい」


 呼ぶと、和葉はすぐに姿勢を正した。正月の挨拶の延長みたいな顔。


 俺はテーブルの引き出しから、ポチ袋を二つ取り出した。

 どちらも派手な柄じゃない。コンビニで買った、無難なやつだ。折り目だけはきちんと揃えてある。


「これは、母さんたちから」


 一つ目を渡す。

 和葉は両手で受け取って、少しだけ目を見開いた。


「……ありがとうございます」


「中身は、あとで見ろ」


「はい」


 そしてもう一つ。


「で、これは俺から」


 和葉が固まった。


「……え」


「お年玉だ。正月だし」


「……多くないですか」


「多くない」


 即答すると、和葉は困ったように笑った。

 遠慮と嬉しさが混ざった顔だ。


「今年で三年になる年だろ」


 口に出してから、少しだけ自分でも意外だった。

 こういう言い方をするつもりじゃなかったのに、するっと出た。


「……はい」


「出費も増える。……使い道は考えろ」


「はい。……大事に使います」


 その言い方が、ちゃんと和葉だった。


 時計を見る。そろそろ動く時間だ。

 俺は立ち上がって、コートを手に取った。


「行くぞ」


「はい」


 和葉も立ち上がる。

 いつもより背筋が伸びている。着物じゃないのに、もう“よそ行き”の顔だった。


 玄関で靴を履く。

 ドアを開けると、冷たい空気がすっと入り込んできた。吐く息が白い。


 和葉が隣で、小さく息を吸う。


「……行ってきます」


 正月にその言葉は変だろ、と一瞬思って、言わなかった。

 代わりに、短く言う。


「行くぞ」


「はい」


 御子神さんはこたつから動かないまま、こちらを一度だけ見た。

 静かな元旦の空気が、足元からじわっと冷えていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ