2024年12月25日(月)②
鍵を回すと、部屋の中の熱がふっと戻ってきた。
こたつのぬくもりと、まだ残っているチキンの匂い。さっきまで外を歩いていたせいか、それが妙に濃く感じる。
「おかえりなさい」
和葉が言う。声はいつも通りだが、目だけが落ち着かない。俺がどんな顔で戻ってくるか、少しだけ気にしていたのかもしれない。
「ただいま」
湯呑みが片付けられ、紙コップもまとめられている。
歩と朱鷺子の気配はもうない。部屋は急に広くなった。音が減ったぶん、こたつの布団の擦れる音がよく聞こえる。
御子神さんが廊下の奥からこちらを見て、目が合った瞬間、何もなかったみたいに向きを変えた。
相変わらず律儀というか、距離の取り方が上手い。
俺はコートを脱いで、こたつの端に腰を下ろす。
和葉も対面に座り、膝の上で手を重ねた。さっきまでの賑やかさの名残が、まだ頬に残っている。
「二人からの、開けます?」
和葉が紙袋を指さす。
“早く開けてほしい”というより、単に気になる、という声の出し方だった。
「そうだな。せっかくだし」
袋を手元に寄せる。紙の擦れる音が、部屋の静けさにやけに響いた。
***
最初に開けたのは、歩の袋だった。
中から出てきたのは、猫用のおもちゃ――羽根と鈴がついたやつと、小さいボール。それと、折りたたんだカードが一枚。
「……猫用か」
和葉が少しだけ笑う。
「歩ちゃんらしいです」
カードを開くと、勢いのある字でこう書いてあった。
『御子神さんが喜べば、弓削さんも癒やされる!
Win-Win! Happy Merry Christmas!』
「Win-Win、だってさ」
和葉が吹き出しそうになるのをこらえるみたいに、口元を押さえた。
「理屈は通ってるな」
言った矢先、御子神さんが廊下の奥からすっと近づいてきた。
気配だけ薄くして、しかし狙いは正確だ。袋の口を覗きこみ、鈴の音に耳を動かす。
「お前、分かりやすすぎるだろ」
俺が軽く言うと、御子神さんは一瞬だけこちらを見て、何も聞こえていないふりをした。
そして羽根の方へ前足を伸ばす。鈴がちり、と鳴って、すぐに尻尾が揺れた。
和葉が小さく息を吐いた。
「……ほんとにWin-Winでした」
「だな」
空気が一段柔らかくなる。
こういうのは助かる。猫に向けたはずのプレゼントで、人間のほうが先にほどける。
***
次に、朱鷺子の包みを開ける。
紙袋の底から出てきたのは、薄い箱。中には茶葉のセットが入っていた。
派手さはない。けれど、安物でもないのが見ただけで分かる。きちんとした店の、きちんとした包装だ。
箱の上に、小さなカードが添えられている。
短い文章だった。
『以前、和葉からティーカップの話を聞いていたので。
一緒にどうぞ。』
「……見てるな」
思わず口に出る。
和葉もカードを覗き込み、静かに頷いた。
「見てますね」
「余計なことは書かないのに、要点は外さない」
「朱鷺子らしいです」
茶葉の香りを想像するだけで、部屋の温度が少し落ち着く気がした。
カップを贈り合ったことを、誰かに覚えられているというのも妙な感じだが――悪くはない。
「今度、淹れるか」
「はい。……一緒に」
和葉の声が少しだけ軽くなった。
それが、カードの効き目なのかもしれない。
***
袋を片付け、こたつの上をもう一度整える。
御子神さんは羽根のおもちゃを前足で押さえたまま、鈴を鳴らすことだけに集中している。満足そうだ。
和葉は膝の上の手を組み替えて、何か言いたそうに口を開いては閉じる。
さっきまでの“友達と一緒の明るさ”が抜けて、素の顔に戻っている。
「……あの」
「ん?」
和葉は小さく息を吸って、タンスの方へ立った。
引き出しを開け、紙袋を一つだけ取り出す。戻ってくる足音が、妙に慎重だ。
「これ……私からです」
こたつの上に置かれた袋は、軽い。
けれど、和葉の視線だけは重い。逃げるみたいに俺の手元を見ている。
「開けるぞ」
「はい」
袋を開く。中から出てきたのは、フェルト地のサウナハットだった。
深めの形で、色は落ち着いている。端に、小さな猫のシルエットが控えめに刺繍されていた。
「……サウナハット?」
和葉が頷く。
「銭湯グッズって調べて……最初は、お風呂でも使えるメガネも考えたんです」
「……メガネ?」
「でも、度数とかが分からなくて。選べなくて」
「なるほど」
確かに一度、売り場で手に取ったことがある。
買うほどでもないか、と戻したやつだ。必要かどうかより、“慣れないものを買うのが面倒”に近かった。
でも――こうして贈り物として渡されると、ちょうどいい。
「気にはなってた。踏ん切りつかなかっただけだ」
和葉の肩がふっと落ちる。
「よかった……」
「使う。今度、ちゃんと」
そう言うと、和葉は少しだけ笑った。
***
サウナハットを脇に置いたところで、俺は鞄を引き寄せた。
帰りに寄った文具屋の紙袋が、まだ角の立ったまま入っている。
「俺からもある」
和葉のまばたきが一度、ゆっくりになる。
「……はい」
取り出したのは、小ぶりの手帳だった。
表紙は落ち着いた色の革で、角が丸い。手に吸いつくみたいに馴染むやつだ。開くと紙がさらっとしていて、指先にひっかかりがない。
しおり紐が二本、ペンを挟める細いループまで付いている。
和葉がそっと受け取って、表紙をなぞる。
「……きれい」
「毎日使うものだろ。必要なものは、ちゃんとしたのを使え」
言いながら、自分でも思う。小さなストレスは積もる。道具だけでも減らせるなら、それでいい。
「今は何でもスマホでできるが、仕事中に出すわけにもいかないだろ」
「……ありがとうございます」
和葉は手帳を開いて、ぱらぱらとページをめくった。めくる音が、部屋の静けさに落ちていく。
「……これ、来年の分なんですね」
「中身は一年ごとに替える。カバーは使い続けるやつだ」
「替えるって……自分で、ですか」
「来年になったら、俺が交換してやる。だから遠慮せず書け」
和葉が一瞬、目を丸くして――それから、ゆっくり息を吐いた。
「……はい」
少し間が空いて、和葉が手帳を胸に抱えたまま言う。
「……あの。これとは別に、言いたいことがあって」
「なんだ」
「去年、約束しました」
「何を」
「また来年も、一緒に過ごしてくれるって」
思い出す。
ああ、そんなことも言った。勢いで、しかし嘘じゃないやつ。
「……そういえばな」
「だから、ありがとう、です」
やけに、まっすぐだ。
感謝の言い方が、まだ上手くない。そのぶん、刺さる。
「来年も」
一拍置いて、
「再来年も、約束してください」
少しだけ笑ってしまう。
「再来年か。気が早いな」
「だめですか」
「鬼が笑う」
「笑わせとけばいいです」
間。
和葉は逃げない。視線も落とさない。
俺は小さく息を吐いて、手帳の端を指で軽く叩いた。
「じゃあまず、来年の二十五日。これに書いとけ」
「……え」
「約束ってのは、書いて残すもんだ」
和葉が視線を落として、真面目な顔でペンを取る。
しおり紐が揺れて、紙に先が触れる音が小さく鳴った。
「……書きました」
「よし」
「来年、交換……してくれるんですよね」
「言っただろ。来年も、その次も――予定は増やしていけ」
和葉の口元が、ゆっくり緩んだ。
こたつの中で、足先が少しだけ触れた。
和葉は動かさない。俺も動かさない。
外では、遠くのどこかでまだ音楽が鳴っている。
部屋の中は静かで、湯気の名残だけが漂っていた。




