2024年12月25日(月)①
十七時前。
玄関を開けると、部屋の熱が廊下へこぼれた。
ローストチキンの香ばしさと、甘いクリームの匂い。
それに混じって、若い声の笑いが跳ねる。
歩と朱鷺子は、もうすっかり落ち着いているらしい。
和葉はこたつのそばで急須を持っていた。
視線が一瞬だけ合って、すぐに逸れる。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
三人分の声が重なる。
扉を閉めると、賑やかさが壁一枚向こうへ押し戻された。
静かになるはずの廊下が、今日は妙に軽い。
***
商店街は、夕方から夜へ変わる途中だった。
店先の灯りが少しずつ目立ち始め、空は青みを失いかけている。
仕事帰りの人波に混じりながら、俺は歩いた。
暖簾をくぐると、油と醤油の匂いが鼻にまとわりつく。
「遅ぇ」
彼方さんが言う。すでに一杯目は終わっている。
「時間通りですよ」
「堅ぇなあ」
小鳥遊が笑い、遥さんが軽く会釈した。
「こんばんは」
「こんばんは、遥さん」
席に着く。
「とりあえず乾杯だ」
「お疲れさまです」
グラスを合わせて一口だけ飲む。
喉が熱くなる前に水を取った。
「次からノンアルで」
「お、珍しい」
「帰る時間、決めてる」
「門限か」
「違います」
遥さんが柔らかく言う。
「今日はクリスマスですからね」
「それです」
「それじゃねぇ」
笑いが広がる。
***
仕事の話が一巡したあと、遥さんが箸を置いた。
「冬休み、病院の方はどうします?」
「ああ。本人と相談してみます」
「二十七の午前なら空いてます。見学くらいならできますよ」
「……本人に聞きます」
「無理なら年明けでも」
「一回くらいは年内に行けたらと思ってます」
遥さんが頷いた。
「決めるのは和葉ちゃんですけどね」
「はい」
彼方さんが笑う。
「もう親だな」
「違います」
「顔が親だ」
「やめてください」
小鳥遊が割り込む。
「でも悪くない判断ですよ」
「判断って言うな」
「じゃあ何ですか。勢い任せ?」
「うるさい」
遥さんが軽く止める。
「そこまでにしておきなさい」
***
少し間が空いて、俺が言う。
「今日は家でクリスマスやってるんです」
「へえ」
「和葉と、友達二人で」
小鳥遊がにやりとする。
「先輩、女子高生に囲まれてクリスマスですか。羨ましい」
「囲まれてない」
「いいじゃないですか、花があって」
「うるさいだけだ」
小鳥遊がグラスを揺らす。
「先輩と俺、何が違うんですかね」
「急にどうした」
彼方さんが笑う。
「ルックスは悪かないと思うが」
「慰めになってないです」
遥さんが少し考えてから言う。
「……誠実さ、でしょうか」
「痛い」
小鳥遊が即答する。
俺は肩をすくめる。
「お前は仕事ではしっかりしてる」
「私生活はダメってことじゃないですかー」
「自分で言うな」
彼方さんが笑う。
「ああ、文化祭で見たあの子らか。元気なのと、静かな子」
「そうです」
「確かに華やかだったな」
「彼方さんまで」
遥さんが静かに止める。
「からかいすぎです」
小鳥遊が笑う。
「冗談ですよ。でもいいですね、そういうの」
***
時計を見る。十八時五十分。
「俺、先に出ます」
「早ぇな」
「十九時には戻るって言ってる」
「律儀だな」
伝票を取り、勘定を置く。
「おい、置いてくな」
「あとで割ってください」
「ずるい」
「彼方さんが飲みすぎです」
彼方さんが笑う。
「ちゃんと帰れよ」
「彼方さん達も」
店を出る。
***
外に出ると、空はすっかり夜だった。
明るいのは商店街の街灯と、軒先に巻かれたイルミネーションだけだ。
白い息が光に透け、足元の影が長く伸びる。
赤や緑の電飾がアスファルトに滲んで、路面がやけに柔らかく見えた。
足取りは自然と早くなる。
酔っていない。ただ、戻る理由があるだけだ。
***
鍵を開けると、まだ賑やかだった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
三人の声が重なる。
テーブルはきれいに片付いている。
「二人とも、今日はありがとな」
封筒を二つ置く。
「図書カード!?」
歩ちゃんが目を輝かせる。
「クリスマスプレゼントですか?」
「まあ、そんなところだ」
「やった、ちょうど欲しかった漫画の新刊が——」
「歩。胸の中にしまいなさい」
「怖」
「礼儀」
「好きな本買えばいい」
歩ちゃんが頭を下げ、朱鷺子も会釈する。
「ありがとうございます。大切に使います」
「おう」
二人から紙袋を受け取る。
「これ、弓削さんに」
「クリスマスプレゼントです」
「……ありがとう」
「あとで見てください」
「分かった」
***
二人を送る。
空は黒く、街灯だけが路地を照らしている。
「ちゃんとクリスマスだね」
「ちゃんとって何」
「光も匂いも人も」
「確かに」
信号のある角で別れる。
「今日はありがとー!」
「またな」
二人の背中が灯りの奥に溶ける。
***
和葉と二人になる。
「……忘年会、どうでした」
「普通」
「お酒、飲みました?」
「最初の一杯だけ。あとはノンアル」
小さく息を吐く。
「……よかった」
「何が」
「なんでもないです」
少し歩いてから、和葉が言う。
「二人から、何もらったんですか?」
「分からん。まだ開けてない」
「帰ったら開けます?」
「そうだな」
「楽しみですね」
和葉が少し笑う。
家の角が見える。




