2024年12月1日(日)
夕飯の片付けが終わって、こたつの上がいつもの夜に戻る。
皿を拭く布巾を畳み、和葉が棚にしまう。動きに迷いがない。洗い残しを探すみたいに指先が一瞬止まって、また流れるように続く。
「……随分と手際が良くなってきたな」
「慣れてますから」
さらっと返ってくる。
褒めたつもりだったが、本人は当然のことのように言う。
俺はこたつに入ったまま背中を少し丸めた。仕事の画面を開く気にもならない。首の付け根に重たいものが乗っているみたいで、無意識に首をゆっくり回す。
肩をすくめ、腰をひねる。
固さは誤魔化せても、なくならない。
「いつきさん」
背後から声。
「さっきから、首と肩、ずっと回してます」
「無意識だ」
「……ですよね」
小さく頷く気配がして、和葉がこたつの縁を回って俺の後ろに来た。
「少し、肩ほぐしましょう。楽になります」
「大げさだ」
「大げさじゃないです。固いです」
断言するな。
でも、否定できない。
和葉は俺の背後にしゃがみ込み、少しだけ手の置き場に迷ってから、そっと肩に手を置いた。力はまだ入れていないのに、指先の温度だけが伝わってくる。
「痛かったら言ってください」
「……五分だけだ。痛いのはやめろ」
「はい。軽くです」
廊下の奥から、御子神さんが出てきた。食後の巡回だ。こちらを一度だけ見て、こたつの縁で丸くなる。律儀なやつ。
和葉の指が、肩の上を探るように動いて、軽く押す。
力は弱いのに、場所が妙に的確だった。
「ここ、硬いです」
「自覚はある」
「ですよね」
なぜか嬉しそうに言う。
そのとき、スマホが鳴った。
こたつの端で震える画面に表示された名前を見て、息をひとつ吐く。
東海林。
和葉の手が、肩の上でぴたりと止まった。
「弓削です」
『こんばんは。東海林です。夜分にすみませんね』
落ち着いた声。堅苦しくはない。けど、自然と背筋が戻る。
「いえ。大丈夫です」
『その後、お変わりありませんか。お二人とも』
「はい。特には」
『それは良かった。今日は定期の面談の件でご連絡しました』
来るのは分かっていた。分かっていても、口にされると空気が切り替わる。
『内容は確認です。生活が安定しているか、学校の様子、体調。問題がなければ短く終わります』
「わかりました」
『日程なんですが、来週か再来週あたりで。できれば放課後のお時間が助かります』
俺だけで決める話じゃない。スマホを耳に当てたまま、少しだけ振り返る。
「和葉。来週、放課後っていつ空いてる」
和葉は一瞬目を丸くしてから、こたつの上の手帳を引き寄せた。
「えっと……火曜が委員会で、木曜が補習で……水曜なら、大丈夫です」
言い終わった瞬間に、固まった。
自分で言った言葉が、今さら追いついた顔。
俺は何も言わずに、そのまま電話に戻す。
「来週の水曜、十七時でいけます」
『ありがとうございます。では水曜の十七時、こちらの相談室で』
「はい」
『和葉さんにも、当日は無理のない範囲で。気になることがあれば、事前にメモしてきても構いませんよ』
「伝えます」
『では当日お待ちしています。寒暖差もありますから、体調だけお気をつけて』
通話が切れる。
スマホを伏せると、部屋が静かになった。
和葉の手は、まだ肩の上で止まったままだ。
「……面談だ。水曜の十七時」
「はい」
「内容は確認だ。心配するような話じゃない」
「……わかってます」
頷きながら、目線が手帳の端をさまよっている。
俺は一拍置いてから言った。
「それはそうとして」
「えっ」
「今、補習って言ったか」
和葉がびくっと肩を跳ねさせた。
「……言いました」
「言ったな」
「うっかりです」
「うっかりで補習は発生しない」
言うと、和葉は観念したみたいに肩を落とした。
「小テストが……ちょっと……」
「ちょっとで補習になるか?」
「……なります」
素直すぎる返事に、変な笑いが出そうになるのを堪える。
「範囲」
「数学です。関数……」
「はぁ……」
一度だけ息を吐いてから、声を落とす。
「今日、少し見る。面談の前に余計な不安増やすな」
「……いいんですか」
和葉の顔がぱっと明るくなる。さっきまでの固さが一気に抜けた。
「補習増やすなよ」
「はい」
返事はやたら元気だ。
和葉は思い出したみたいに俺の肩を見る。
「じゃあ、その前に……さっきの、もう少しだけ続けてもいいですか」
「まだやるのか」
「今、電話で肩、上がってました」
否定できない。
俺は諦めて背中を少し預けた。
「……短くだぞ」
「はい。ほんとに短くです」
和葉の指が、さっきより慎重に肩を押す。
御子神さんがこたつの縁からこちらをじっと見ている。
「御子神さん、見守ってます」
「お前が言うな」
軽くほぐされるだけで、首の重さが少しだけ落ちた気がした。
俺はこたつの中で姿勢を正す。
「じゃあ、数学出せ」
「はい!」
和葉は勢いよくノートとプリントを広げる。
こたつの上が一気に勉強机になる。
御子神さんが、プリントの端をちょい、と前足で触った。
「御子神さん、それはだめ」
和葉がそっと紙を避ける。
その手つきが、さっきのマッサージと同じくらい丁寧で、俺は小さく息を吐いた。
「ここ。どこで詰まった」
「この、変域のところです」
和葉の鉛筆が指す先を追って、俺はプリントに視線を落とす。
水曜の十七時、という予定が頭の隅で静かに点灯している。
こたつの灯りが、白い紙と鉛筆の先を柔らかく照らしていた。




