Side:和葉 2024年11月18日(月)
放課後の教室は、夕方の光がゆっくり伸びていた。
窓の外から部活の声が届き、私は鞄を肩にかけて二人の方を向いた。
「……あの、ちょっといい?」
ぱっと振り返って、歩ちゃんが目を丸くする。
「なに? 改まって」
朱鷺子もペンを置いて、こちらを見る。
一瞬、言い出すタイミングを探してから、私は口を開いた。
「バイト、決まりました」
ほんの一拍の静寂。
「えっ」
声が弾んだ。
「え!? もう!? すごくない!?」
「お試しですけど……来週から、短い時間で」
「初バイトじゃん! おめでとー!」
肩を勢いよく叩かれて、思わず笑う。
朱鷺子は少し間を置いて、落ち着いた声で訊いた。
「飲食?」
「はい。個人のお店で……まずは洗い物から、って」
「立ち仕事ね」
即座に返ってくる言葉に、私は小さく頷いた。
「靴、どうするの?」
「……靴?」
「そうじゃん。立ちっぱなしだよね」
「通学用のスニーカーで行くつもり?」
その指摘で、初めてちゃんと考えていなかったことに気づく。
「……それしか、あんまり持ってなくて」
「それはやめときなさい」
朱鷺子がきっぱり言う。
「滑るし、足痛くなるわよ。仕事用、一足あった方がいい」
「よし、じゃあ今日買いに行こ。三人で」
「え、今から?」
「今から」
即決で、私たちは店へ向かった。
***
放課後の商店街は、平日なのに人が多い。
制服のまま歩くのが少し新鮮で、パン屋の甘い匂いが風に混じる。
「エプロンは?」
靴屋に入る前、歩ちゃんが訊く。
「お店のを使うって言われました」
「じゃあ靴だけだね」
棚に並ぶ靴を見て、私は自然と背筋を伸ばした。
似ているようで、ちゃんと違う。靴は思ったより種類が多い。
「仕事用なら、こういうの」
朱鷺子が指したのは、黒でシンプルなスニーカーだった。
「クッションあるし、滑りにくい。派手じゃないし」
「……地味ですね」
「仕事用は地味でいいの」
覗き込み、からかうように歩ちゃんが言う。
「でもさ、和葉が“仕事用”の靴選んでるの、なんか大人じゃない?」
「やめてください……」
照れながら試しに履くと、足裏がふわっと支えられる感覚があった。
思ったより歩きやすい。
「どう?」
「……歩きやすいです」
「それにしなさい」
朱鷺子は迷わず言った。
鏡の前で左右の足を軽く動かす。変な当たりはない。かかとも浮かない。
この一足で、少し安心できた。
レジで箱を受け取ると、思ったより重みがあった。
でも、嫌な重さではない。
***
店を出て三人で並んで歩く。
商店街の端は風が抜け、少し冷たい。
「初日、緊張する?」
歩ちゃんが訊く。
「……たぶん、します」
「そりゃするよ。でもさ」
歩ちゃんはにっと笑った。
「落ち着いたらさ、遊びに行くから」
「えっ」
「だから、和葉の働いてるとこ見に行くの。応援団」
朱鷺子が横目で歩ちゃんを見る。
「遊びじゃないわよ」
「えー」
「お客として、ね」
きっぱり言い切ってから、少しだけ言葉を和らげる。
「仕事してる和葉を、ちゃんと見に行くって意味」
その言い方が朱鷺子らしくて、私は笑った。
「……ありがとうございます」
「なにそれ、急に改まって」
肩をすくめる歩ちゃん。
「でもさ」
声が少し真面目になる。
「ちゃんと“仕事”になったらでいいからね。無理なときは無理って言いなよ」
朱鷺子も小さく頷いた。
「それまでは、準備期間」
靴の箱を抱え直す。
今日はこれでいい。
私はちゃんと、前に進んでいる。
ただ、夜道を一人で帰るときは、まだ少し緊張するだろう――そんな小さな不安が胸の片隅に残っている。
遅くなりそうなら、先に連絡して迎えをお願いしよう。
そう決めたら、胸の奥が少し軽くなった。
来週の「お試し」が、自分の一歩であることは確かだった。
歩きながら、私は鞄の紐をぎゅっと握り直した。




