2023年4月26日(水)①
朝、いつもより早く目が覚めた。
時計を見ると、まだ六時前。
外は薄暗く、空気は少し肌寒い。和葉はまだ眠っているようだった。
昨日の夜のことを思い出して、視線を横にやる。
今度は布団に包まりながら、しれっと俺の布団に半分くらい侵入していた。
「……まじか」
苦笑しながらそっと立ち上がる。
足元には、いつの間にか戻ってきた御子神が丸くなっていた。
「おはよう、御子神さん」
小さくつぶやいて、キッチンへと向かう。
まずは猫の朝ごはんを用意して、いつも通りの一日を始める。
冷蔵庫の中を確認すると、卵とウィンナー、昨日の味噌汁の残りがあった。
ついでに、ご飯も炊けている。
簡単な朝食には十分だ。
卵焼きを焼いていると、後ろから布団がもぞもぞと動く気配がした。
「……ん、んん……」
眠たげな声が聞こえてくる。
「おはよう」
振り返ると、和葉がぼんやりとした顔で上体を起こしていた。
「……おはようございます」
和葉が寝ぼけた声で呟く。
髪はふわふわに跳ねていて、片方の肩が布団からはみ出ていた。
「寒くないか。ちゃんと掛けとけって」
そう声をかけると、和葉は「……あ」と間の抜けた返事をして、慌てて布団を引き上げた。
「朝ごはん、できてる。顔洗ってくるんだ」
「……はい」
ふらふらと立ち上がり、脱衣所へ向かっていった。
しばらくして席に戻ってきた和葉と並んで朝食を囲む。
「昨日の味噌汁、あっため直しただけだけど」
「すごく、いい匂いです……」
小さく呟いて、和葉は手を合わせる。
「いただきます」
その姿があまりに丁寧で、少し照れくさくなる。
「今日だけど、俺、休み取ってあるから。一日家にいられる」
「そうなんですね……。えっと、今日は……何を?」
「まずは生活のこと、決めていかないとな。家事の分担とか、学校のこととか」
「はい。お願いします」
話しながら、ふと訊いてみる。
「そういえば、この辺の地理って、わかるか?」
「いえ……たぶん、全然。あの日は、ただ歩いてきただけで」
「結構遠くまで来てたんだな」
「……はい」
「午後に出かけよう。案内するよ。近所とか、スーパーとか」
和葉は静かに頷いて、笑った。
その表情を見ているだけで、なんだかこの朝が、少しだけ特別なものになった気がした。
***
食事を終えて、和葉が皿を片付けているあいだ、ふと思いついたことを切り出した。
「なあ、スマホって……今、持ってないんだよな?」
和葉は動きを止めて、少し間を置いてから答えた。
「……はい。前に持ってたのは、取り上げられて……」
言葉尻が自然と小さくなる。俺はそれ以上は聞かず、軽く頷いた。
「だろうなと思ってた。……今日、買いに行くか」
「えっ……でも……」
案の定、和葉は遠慮がちに首を振る。
「高いし、まだそんな――」
「連絡手段がないのは、さすがに俺の方が不安だ。何かあったときに、連絡取れないのはまずい」
和葉は黙って、俯いたまま少し考えている様子だったが、やがて小さく頷いた。
「……ありがとうございます。じゃあ、お願いしてもいいですか」
「ああ。設定とかも手伝うから安心していい」
そのまま俺は押し入れから小さなノートPCを取り出す。
「それとこれ。俺の予備。とりあえずスマホがない間、これ使っていい。調べものとか、勉強にも使えるだろ」
「……いいんですか?」
「今どきの高校生はスマホがあれば十分だと聞くが、パソコンに慣れといて損はない。社会に出りゃ、どのみち使うことになるしな」
PCを受け取った和葉は、少し目を丸くしたあと、胸の前でぎゅっと抱きしめるように持った。
「ちゃんと、大事に使います」
「ああ、有効活用してくれ」
***
PCの前で四苦八苦している和葉を横目に家事をしていると、そろそろ昼時なことに気づいた。
「午後は近所の案内と、買い出しだな。今日まで休みを取ってあるから、時間は気にしなくていい」
「はいっ。……ありがとうございます」
その返事が妙に張り切っていて、俺はつい口元を緩める。
PCとにらめっこしていた和葉は、ようやく蓋を閉じて椅子から立ち上がった。
「じゃあ、準備しますね」
少しして、脱衣所から着替えを終えた和葉が戻ってきた。
昨日買った服をきちんと着ていて、袖や裾を直す仕草にもどこか落ち着きがある。
寝癖はすっかり整えられ、髪は初めて会ったときと同じように、短めのお下げに結ばれていた。
どうやらこれが、彼女のお気に入りらしい。
「お待たせしました」
「……お、なんか雰囲気変わったな」
「そうですか?」
「髪、ちゃんと整ってる。最初に会ったときと同じ感じだ」
和葉は少し照れたように頷いた。
「よし、じゃあ行くか」
玄関に向かう途中、キャットタワーの上でのんびりと丸くなっている御子神さんに声をかけた。
「悪いけど、留守番頼むな。お前のおやつも買ってくるから」
ちらりとこちらを一瞥し、尻尾だけぴくりと動かす。どうやら、昼寝に忙しいらしい。
「行ってきます、って言った方がいいですかね」
「言っといた方が、機嫌が良くなるかもしれん」
和葉は小さく笑って、キャットタワーに向かってぺこりと頭を下げた。
「行ってきます。いい子で待っててね」
その様子が微笑ましくて、なんとなく気持ちも軽くなる。
二人並んで玄関を出ると、外は春の陽気が心地よく、ほんの少しだけ汗ばむ空気が肌に触れた。
家の鍵を閉める音が、新しい日常の始まりを告げるように響いた。
新しい日常の始まりの日となります。
時間がまずいのでここまでで...
今回もご覧いただきありがとうございました。




