2023年4月25日(火)②
玄関ドアの鍵をかけ、内扉を開けると、部屋の奥から猫がこちらをじっと見つめていた。
「この子は――うちの三毛猫。名前は御子神さんだ。」
そう言いながら呼ぶとゆっくりと近づいてくる。
「出かけるときは、まずこっちの内扉を閉めてから玄関のドアをあけてくれ。脱走防止用だから」
和葉が頷いたあと、そっとしゃがみ込むと、御子神さんは警戒する素振りもなく、するりと寄ってきて、和葉の膝に頭を押しつけた。
「……かわいい」
「三毛猫のくせに、愛想だけはいいんだ」
「女の子ですよね?」
「そう。三毛猫って、遺伝的にほとんどメスなんだとか。だからか、お姫様みたいにプライド高い子が多いらしい。うちのは例外みたいだが」
猫とのやりとりがひと段落したあと、和葉がふとこたつに目を留める。
「とりあえず、中へ上がってくれ」
部屋に入ると、和葉はキョロキョロと周囲を見回していた。
広めの1K。玄関から続くキッチンと脱衣所、そしてメインルーム。ロフトがあるが、そこは物置と御子神さんの遊び場になっていて、生活空間は主に8畳の部屋だった。
中央にはこたつが据えられ、壁際にはデスクや棚、キャットタワー、整然と並べられたゲーム機やボードゲームもある。
「今日はとりあえずこの部屋で。布団敷けるくらいのスペースは作れると思う」
「ありがとうございます。ここ、あったかいですね。こたつ……久しぶりです」
「とりあえず座ろうか。お茶、入れてくる」
温かいお茶を手渡すと、和葉は対面に座って、両手で包むように湯呑みを持った。
「そういえば、まだ……お名前、聞いてませんでした」
「ああ。弓削 樹」
「いつきさん……呼び方なんですけど、いきなり名前で呼ぶのって、失礼だったりしますか?」
「好きにしたらいい。呼びやすい方で」
「……じゃあ、少し考えてみます」
こたつを挟んでの会話は、どこか家族っぽくもあり、不思議と居心地がよかった。
「一応、仕切りか何かでプライベートな空間を作るようにはするつもりだ。布団と、ちょっとした机くらい置ければいいか」
そう提案すると、和葉は首を振った。
「このこたつで十分です。勉強も、ここでできますし……荷物は、買ってもらったタンスがあれば大丈夫です。それに……できれば、布団も、近くに敷いてもらえるとうれしいです」
「……なんで?」
「一人は、ちょっとこわいです。夜、誰もいないって思うと、不安になりそうで」
その言葉に、思わずこちらが口をつぐんだ。
警戒心がないというよりは、寂しさのほうが勝っているんだろう。
布団の距離感をどうするかは、少し悩ましい問題だった。
***
冷蔵庫をのぞいて、残っていた豆腐とネギを見て、麻婆豆腐と味噌汁を作ることにした。
料理は趣味でもあるし、一人暮らしが長いと自然と手際もよくなる。
和葉がこたつで座って待つ間に、さっと調理を終えて食卓に並べる。
「夕飯、用意できたぞ」
「わぁ……いい匂い」
いただきますの声が小さく上がって、ふたりの夕食が始まった。
食事中はゲームの話になった。
和葉はあまり遊ばないらしかったが、ボードゲームに興味があるようで、棚に並んだ箱を見て目を輝かせていた。
「今度やってみるか?」と聞くと、恥ずかしそうに「はい」とうなずいていたのが、なんだかうれしかった。
食後、俺は風呂を沸かしておいたことを告げた。
「風呂、もう沸かしてある。疲れただろうし、先に入るといい」
「ありがとうございます。じゃあ……お先にいただきます」
脱衣所に向かう後ろ姿を見送りながら、布団を敷こうとして――ふと立ち止まった。
(近くがいいとは言っていたが……距離感間違えていたら目も当てられないぞ)
とりあえず保身のため、和葉に任せることに決めた。
風呂から上がった和葉は、昼に買ったばかりのパジャマをゆるく羽織り、髪は半乾きのままだった。
服の着方に無頓着なのか、気が抜けているのか――その無防備さに少しだけ心配になる。
「寒くないか? 髪、ちゃんと拭いとけよ」
タオルを手渡しながら軽く声をかけたあと、こちらも風呂へ向かった。
脱衣所の扉を閉める直前、ふと思い出して和葉に声をかける。
「そうだ。悪いけど、布団……敷いといてくれるか?」
「はい、わかりました」
俺の気苦労なんて知らない顔で、和葉は素直に頷いてくれた。
湯に浸かりながら、どれくらいの距離で敷かれてるだろうと考えて、少しだけ緊張した。
***
風呂から上がると、部屋の照明はすでに落とされていた。
豆電球も消してあって、窓から入る街灯の明かりがほんのりと室内を照らしている。
その薄明かりの中で、敷かれた二組の布団がほとんど並んでいるのが見えた。
(……思った以上に、近いな)
さすがにこれは予想外だったけれど、文句を言うほどのことでもない。
タオルで髪を拭きながら静かに布団へ向かうと、足元に何かの気配があった。
「……お前、そこにしたのか」
御子神さんが、俺の布団の端に丸くなっている。
今日はどうやら、俺の足元が寝床らしい。
そっと布団に入り、視線を横にやると、和葉もすでに潜り込んでいるのがわかった。
目は閉じているが、まだ寝てはいないようだった。
「……寒くないか」
小声でそう聞くと、布団の中からかすかに「大丈夫です」と返ってくる。
「いつきさん」
「ん?」
「……ありがとうございます」
「……別に。気にすんな」
しばらくの沈黙のあと、もう一度。
「おやすみなさい」
「おう。おやすみ」
足元の御子神さんと、すぐ隣の和葉の気配を感じながら、目を閉じた。
***
……夜中。
突然、腹部に鋭い衝撃が走って、思わず目を覚ました。
(……は?)
見れば、和葉の足が俺の腹に全力で食い込んでいる。
しかも頭と足の向きが、寝たときと完全に逆になっていた。
「えぇ……お前、どんな寝相してんだよ……」
思わず呟いた声は、もちろん彼女には届かない。
引きつりながらも、できるだけ身体に触れないように気をつけながら、ズレていた掛け布団だけをそっと直してやった。
ふと足元を確認すると、寝ていたはずの御子神さんの姿が見当たらない。
首をめぐらせて部屋を見回すと――キャットタワーのてっぺんで、ふわっと丸まって眠っていた。
(……賢いやつだな)
ため息まじりに目を閉じる。
どうやら――この生活、予想以上に賑やかになるかもしれない。
猫の名前は、昔の猫ドラマの主人公からです。
三毛猫と言ったらこの子しか思いつきませんでした。
今回から2章となります。
書きたいことはたくさんあるのですが、力量不足もありうまくまとめられず、だいぶ時間がかかってしまいます。
気長にお付き合いいただけますと幸いです。
今回もご覧いただきありがとうございました。