2023年3月28日(火)〜2023年4月12日(水)
最初の面会は、3月28日だった。
施設の応接室に案内されたとき、和葉は小さな椅子にちょこんと座っていた。
制服ではなく、薄手のジャージのような服。足元に視線を落とし、両手は膝の上で指を絡めている。
こちらに気づいて、ほんのわずかに会釈した。言葉はなかったけれど、それでも彼女なりの反応だったのだろう。
「……元気か?」
少し間を置いて、かすかに頷くのが見えた。それで十分だった。
何を話したか、正直覚えていない。ただ、帰り際に「また来るよ」と声をかけたとき、
彼女が一瞬こちらを見上げた――その目の奥に、少しだけ安心したような色が滲んだのが見えて、俺はそれをずっと覚えている。
***
4月1日。土曜の午後、二度目の面会。
部屋に入ってすぐ、和葉は「昨日、ちょっとだけ勉強してみました」と言った。
唐突な言葉に少し驚いたが、それがどれだけの一歩だったかを思えば、軽く返すのが一番だと思った。
「そうか。……えらいな」
俺はそう言って、スマホを取り出した。
「そういえば、猫。写真見てみるか?」
彼女が小さく頷いたので、三毛の写った画面を向ける。
「飯のあと、必ずすり寄ってくる。律儀なやつなんだ」
和葉はふっと目を細めて、小さく笑った。その笑みが、前よりも自然に思えた。
「勉強、やりたいなら……手伝うよ」
不器用な言い方だったが、彼女はしっかりと頷いた。
その動きに、わずかな決意がにじんでいた気がする。
***
4月8日。外出許可が出た日。
施設の玄関で和葉と合流したとき、彼女は私服に着替えていて、少し照れくさそうに立っていた。
「……似合ってる」
思わず口にした一言に、彼女は驚いたように顔を上げ、それから少しうつむいた。
「あ、ありがとうございます……」
カフェでは紅茶とケーキを注文した。
「こういうの、好きそうだったから」と渡すと、彼女は「なんでわかったんですか」と聞いてきた。
「なんとなく」
そう返すと、彼女はふっと目を細めて笑った。
食後、少し寄り道して、あの銭湯に立ち寄った。
「あら、よく来たねえ」
番台のばあさんはすぐに気づき、笑顔で迎えてくれた。
「顔色もいい。うん、元気そうだねぇ」
和葉は少し緊張した様子で、「この前は……ありがとうございました」と小さく頭を下げた。
「礼なんていらないよ。笑ってくれたら、それがいちばん」
そう言って頭を撫でられたとき、彼女の表情がほんの少しだけ緩んだ。
俺が「また来ます」と言うと、和葉も小さく頷いた。
***
4月12日。勉強道具を届けた日。
紙袋を渡すと、彼女は少し戸惑いながら中身を覗き、猫柄の下敷きに目を留めて口元を緩めた。
「……これ、かわいいですね」
「少しはやる気出るかと思って」
その返しに、和葉は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
「……これ、ちょっとだけ教えてもらってもいいですか?」
恐る恐るといった調子だったが、俺はすぐに頷いた。
「ああ。どこだ?」
静かな部屋。並んで座り、彼女の問題集をのぞき込む。
「ここが、よくわからなくて……」
「ふむ……ここの英文はな……」
思ったよりもスムーズに説明できた。少しは先生役ができてるかもしれない。
でも、隣から伝わってくる緊張と熱心さに、俺の方が背筋を伸ばされていた。
和葉は時折、真剣な顔つきでノートに書き込みながら、小さく頷いていた。
彼女が、少しずつ前を向いている。
その背中を、これからも支えられるなら――
俺も、少しずつ前へ進めるのかもしれない。
ここから視点が弓削へ戻ります。
書いておきたいなぁというものが多く、平凡な日常回となりましたが、次こそは序章の山場になる、はずです。
今回もご覧いただきありがとうございました。




