2023年4月2日(日)④
和葉が話し終えたあと、部屋はしばらく静まり返っていた。
誰もすぐには言葉を挟まない。その沈黙は、拒絶ではなく、受け止めるための時間だった。
「……話してくれて、ありがとう」
東海林さんの声は穏やかだったが、わずかに震えているように聞こえた。
手元の資料を整えながら、東海林さんが続ける。
「本日より、美作さんは一時保護の措置対象となります。
まずは医療機関での観察と心理的ケアを行い、心身の安全を最優先にします」
和葉が小さくうなずく。
俺は隣で、ようやく息を吐いた。
「今後のことについてですが……」
東海林さんが慎重に言葉を選ぶ。
「一般的には、再婚した義父に親権があると見なされます。
ただし、今回のように虐待が疑われる場合、親権停止や喪失を家庭裁判所に申し立てることが可能です」
俺は背筋を伸ばした。
「その申し立ては、誰ができるんですか」
「主には児童相談所、あるいは後見人候補や親族による申し立てが可能です」
一瞬、迷った。だが、口に出す。
「もし……彼女が望むなら。
俺がその立場になれる可能性はありますか」
東海林さんが、静かにこちらを見る。
「未成年後見人の選任は家庭裁判所の判断になります。
ですが、あなたのように当人に信頼されている大人の存在は非常に重要です」
それから、東海林さんは和葉に向き直った。
「……美作さん。あなた自身の意思も、とても大切になります」
和葉が、ゆっくり顔を上げる。
「現時点では法的には義父との関係が残っている前提で進めます。
ですが、もし今後一切関わりたくないと強く望むのであれば、私たちはその意思を尊重します」
和葉の目が揺れる。
「……もう、関わりたくないです」
「二度と、顔も見たくありません」
恐怖よりも、静かな決意が勝っている声だった。
東海林さんは、深くうなずく。
「わかりました。正式な対応を進めます」
俺は、肩の力が少し抜けるのを感じた。
「……彼女のことは、今後も見守るつもりです」
「ありがとうございます。まずは安全確保を最優先に。
後見人や委託先については、明日以降調整していきましょう」
「はい」
話が一段落したところで、壁際に控えていた女性職員が一歩前に出る。
東海林さんが軽くうなずく。
「それでは、案内します」
和葉が、こちらを見る。
「……弓削さん」
少し迷うように口を開く。
「また、来てくれますか……?」
「ああ。必ず行く」
「……約束、ですよ?」
「約束だ」
和葉は、ほんの少しだけ笑った。
頬がわずかにゆるむ、その程度の小さな笑みだった。
***
帰り道、俺は足を止めた。
雲の隙間から夕陽が差している。
(親権。裁判。後見人……)
現実味のない単語ばかりが頭に残る。
だが。
(あの子が、自分の足で立てるようになるなら)
(その背中を支える役目くらいは、引き受ける)
小さく息を吐いた。
「……ただいま」
扉を開けると、御子神さんが足元に駆け寄ってくる。
「飯だろ。覚えてるな」
餌皿にフードを入れると、尻尾を立てて食べ始めた。
「……あの子も、猫好きらしい」
独り言のようにつぶやく。
誰にも期待していなかったあの目が、少しだけ変わっていた。
俺に何かを託すような目だった。
重いのか軽いのか、まだよくわからない責任が、胸の奥に残っている。
御子神さんがソファに飛び乗り、膝に丸くなる。
「……しばらくは、構ってやれないかもな」
喉を鳴らす小さな振動が、静かな部屋に広がっていった。
いつもどおりのお時間になってしまいました。
すみません、1章はもう暫く続きそうです。
ほっこりする展開はまだ先になってしまいますが、気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。
今回もご覧いただきありがとうございました。




