第七話 偽りの残響
都市の深層で動き始めた「記憶の異物」と、それを追うレイの静かな追跡——。
アンダークラフトに朝はない。あるのは、煙の薄れた時間帯だけだ。
レイは通りの片隅にあるカフェ《クラフト零番館》の裏手、誰も使っていない配線点検口の前にいた。依頼書もなければ、紹介人もいない。ただ、彼の手の中には一枚の“記憶片”がある。
水晶の欠片に封じられた“映像”——昨夜、あの女から受け取ったそれは、確かに“自分”に似た誰かが、都市の中心に立つ姿を映していた。だが、見慣れたアングル、呼吸、癖……それはすべてわずかに“ずれて”いる。
「これは……俺の記憶じゃない。けど、確かに俺に重なる何かだ」
「お前じゃない“お前”だにゃ。複数の時間線に、別々のレイが生きてるなら——この都市にも、奴らが“混ざり始めてる”ってことかにゃ?」
エルの言葉に、レイは静かに頷いた。
「記憶が流通しているなら、そこには“編集者”がいる。誰かが、記憶を書き換えて売っている」
「それって……つまり、記憶の“偽造”かにゃ?」
「正確には、“現実改変の前段階”だ。人の記憶は世界認識の根幹だ。そこを操作すれば、人は“嘘の現実”に従って動く。国家も、思想も、感情さえも」
レイは工具箱を持ち上げ、点検口の蓋を開けた。
この下にあるのは、正式な地図にすら載っていない都市の裏配線区域——《記録網層》。
記録網層。かつて魔法と科学がまだ別の学問だった時代に、両者を接続するために築かれた“思念と電力の並列回路”。
現在は廃棄されたはずのその空間に、今も思念体や“過去のデータ”が漂っているという噂があった。
レイは降りる。
そこには、時間が蓄積した“静けさ”があった。
壁面には古い魔術符号と、劣化した銅線が入り混じり、空気中にはかすかに“声の残滓”が流れている。
《……第十一層、記録断絶……クロノ・エラー発生中……記憶、分岐中……》
「……ここか」
レイが立ち止まったのは、ひときわ古い端末台の前だった。魔法式の水晶記録装置と、スチームパンク風の分析機が融合した奇妙な造り。だが、レイの目はすでにそれを“仕掛け”と見抜いていた。
「記録誘導装置。記憶片をこの台に差し込むことで、選別と再生を行う。けど……」
彼は足元の床に視線を落とす。
そこには、誰かが慌てて消したような“血の痕”と、落ちたままの記憶片が残されていた。
「誰かが、ここで“本物の記憶”に触れて、壊れた」
レイは新たな記憶片を拾い上げた。微かに震えていた。それは、まるで“生きている”かのように。
「レイ、何かが来るにゃ。今じゃない、でも、確実に“来る”」
「わかってる。今はまだ動かない」
レイは記憶片をポケットに収め、端末台の分析機に自身の水晶片を挿入した。
その瞬間、空間が震えた。
だがそれは攻撃でも、術式でもなかった。
“記録”が、彼を見た。
この街に染みついた、誰かの“過去”が——彼を“知っている”ように、触れてきた。
「……これはもう、“依頼”じゃないな」
「なら、にゃにか?」
「——俺自身の、記録だ」
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