第十四話 忘却された記録、覚えていた者
夜が深まる《第六環区》の外れ。
古い路面電車の廃駅跡に、ミラは腰を下ろしていた。
傍らには、魔獣の猫・エルが丸くなって眠っている。
そして、やや離れた壁際に、レイが無言で背を預けていた。
言葉を探すように、ミラはぽつりと呟いた。
「わたし、自分のことが……よくわからないの。
名前も、出自も、家族も……あなたの顔以外、何も覚えてなかった」
レイはゆっくりと視線を上げる。
「それでも……俺を覚えていた。それが全てだ」
ミラはうっすらと微笑む。
「あなたの声だけは、遠くから響いてたの。
それがどんな言葉だったかまでは思い出せないけど……誰かに“呼ばれた”って、はっきり感じたの」
レイは懐から古いメモリチップを取り出し、焚火の光にかざした。
「これを見つけたんだ。三年前、東環区の崩落跡で。
再生はできなかったけど、“時間署名”が君の魔力パターンと一致していた」
「三年前……?」
「君はその時点で、もう“この世界にいなかった”」
ミラは目を見開いた。
「じゃあ、私は……死んでた?」
「違う。記録から“削除されていた”んだ。お前の存在は、誰にも語られず、誰の記憶にも残っていなかった。
でも——俺だけは、なぜか覚えていた。断片でも、残っていた」
そのとき、エルが起き上がり、耳をぴくりと動かす。
「……誰か来るにゃ」
レイはすぐに銃を構え、廃駅の奥に視線を送る。
だが、そこから現れたのは意外な人物だった。
白衣を着た老齢の男。顔の半分を機械義眼で覆い、杖の代わりに古いテスラ棒をついている。
「……フェリア博士」
レイの口から自然にその名が漏れた。
彼は、かつて“魔導電算融合理論”を提唱した科学者であり、既に十年前に消息を絶ったはずの人物だった。
博士は静かに頷いた。
「ようやく出会えたな。君たちが《記録の再編》に抗った痕跡は、旧記録層に強く残っていた」
「どういう意味です?」
博士はゆっくりと座り込み、焚火の光に顔を近づけた。
「記録は改変できるが、誰かがそれに“抗おうとした”記録は消えない。
君たちは、“消された物語の抵抗因子”なんだよ」
ミラが小さく問う。
「……わたしが消されかけた理由も、知ってるんですか?」
博士は少し黙り、やがて答えた。
「君は《クロノコア》の“記録鍵”だった。
レイ君が触れた《テンペル・クロノ》の中枢装置……あれを作動させるための“感応因子”が、君の魂の中にあったんだ」
「じゃあ、私は……ただの“鍵”だった……?」
レイが立ち上がる。
「違う。鍵として利用されるはずだったお前は、“自ら記録から消える選択”をした。
あのとき、装置を動かさせないために、自分の存在を捨てたんだ」
ミラは、ゆっくりと目を閉じた。
何かが、胸の奥からこみ上げてくる。
——そうだ。確かに、誰かに「さようなら」を言った記憶がある。
「思い……出した。
あなたに……“ここで終わっていい”って言ったの。でも、あなたは“いいわけないだろ”って……泣いてた」
レイは、小さく笑った。
「だから今度は——俺が、世界に逆らってでも、取り戻した。
そのための旅だった。お前を見つけるための、長い時間の中での選択だったんだ」
博士は、そっと立ち上がる。
「だが、君たちの行動は“再編計画”の異常と見なされる。
次は、《改歴機関》が動く。あれは“存在を消す”のではなく、“改変して別の誰かに作り替える”連中だ」
レイは頷き、エルの頭を撫でた。
「上等だ。だったら、やることはひとつ。
この“書き換えられた世界”の中で——俺たち自身の物語を、刻み直してやる」
ミラは力強く頷いた。
たとえ記録に抗う道が、無謀で孤独なものだとしても。
それでも、“誰かを覚えている”ということが、確かな灯になるのなら——
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