第十三話 存在しない少女、記憶の綻び
遺構を離れた後、レイは地下鉄跡を経由し、再び都市圏外縁の《第六環区》に戻っていた。
空は曇天。街は変わらぬ喧騒に包まれている。
だが、何かが違っていた。
街の掲示板に貼られた旧世代ポスターの中に、見覚えのない企業名が混ざっていた。
通りを行き交う人々の言葉が、どこか噛み合っていない。
いつも挨拶を交わしていた雑貨店の店主は、レイに一瞥もくれずに通り過ぎた。
「……これが、“時間の再編成”」
エルが静かに呟く。
「記録の底が入れ替わりつつあるにゃ。最初は小さなズレでも、それが積み重なると“この世界にいなかったこと”になるにゃ」
「つまり……俺が干渉しなかった記録が、勝手に塗り替えられていく」
「うん。でも、まだ“完全じゃない”にゃ。中心装置は起動してない。今なら、逆流を遅らせられるにゃ」
レイは息を整え、広場に出た。
——そこに、いた。
真っ白な服を着た少女。黒髪を肩で切り、古い旅人のような背負い袋を抱えている。
その姿を、レイは——確かに、知っていた。
「……ミラ」
少女は振り返り、目を細めた。
「レイ……? どうして、ここに……?」
「……いや、それはこっちの台詞だ」
二人の間に沈黙が落ちる。だが、違和感があった。
ミラは、自分の名前を名乗らなかった。
「お前……俺のこと、覚えてるか?」
少女は、少し戸惑ったように微笑む。
「変なことを聞くんだね。でも、あなたは……私を知ってるの?」
その一言で、レイは全てを悟った。
——この少女の“記録”は、書き換えられている。
彼女の存在そのものが、レイの知る“世界”から削除されかけている。
「エル。時間干渉濃度は?」
「高い……この子、世界から“抜け落ちかけてる”にゃ。もう少ししたら、誰の目にも映らなくなるにゃ」
レイはゆっくりと前に出た。
「いいか、よく聞いてくれ。“お前は、ここにいた”。俺は、その事実を覚えている。お前は、ミラだ」
少女は震えた。何かを思い出そうとするように、額に手を当てる。
「ミラ……わたし……」
その時、空間が震えた。
「記録対象・異常接触を確認。修正プログラム、実行開始」
無機質な声と共に、空の一角がひび割れ、三体の《記録修正体》が出現する。
白銀の身体、眼のない顔、そして一様な“存在を否定する気配”。
「くそ、もう来やがったか!」
レイは《ウロボロス》を構え、少女の前に立つ。
「今は……思い出さなくていい。だが、お前は“ここにいた”。
そのことだけは、この俺が絶対に否定させねぇ!」
銃が変形し、魔術紋が展開される。
「雷装——第二展開、《追撃雷陣》!」
雷が空気を裂き、修正体の一体を吹き飛ばす。だがすぐに残り二体が再構築を始めた。
エルが叫ぶ。
「レイ、今のミラには“干渉抵抗”がないにゃ! 時間の流れに引きずられたら、完全に“消される”にゃ!」
「わかってる! だからこそ——今ここで、抗うしかない!」
レイは銃を回し、次の陣式を準備する。
「俺は忘れない。お前を、ここで見たことを。たとえ世界が消そうとしても、俺の中からは消せない」
修正体が再び襲いかかる。
だがその刹那、少女の目に閃きが走った。
「わたしは——ミラ。レイと一緒に、旅をした。そう……確かに、いたんだ。ここに」
修正体が一瞬、動きを止めた。
その隙を突いて、レイが魔導弾を撃ち込む。
——音が、世界を貫いた。
静けさの中、修正体は煙と消えた。
レイは肩で息をしながら、ミラの前に膝をつく。
「ようやく……思い出してくれたか」
ミラは静かに頷き、微笑んだ。
「あなたの声が、聞こえたから」
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