第8話
「ふぅ……緊張した」
今井さんを見送った俺はリブゴンとともにリビングへと戻る。
「リブゴンのことバレちゃったけど、まあ、今井さんなら大丈夫だろ」
今井さんはしっかりしてるから、誰かにリブゴンのことを話してしまうおそれはないと思われた。
なのでそれほど俺は心配していない。
というかむしろ今井さんと秘密の共有が出来て、ちょっと嬉しいくらいだったりする。
「今井さん、帰る時またねって言ってたよな。ふふっ、それもこれもみんなリブゴンのおかげだ、ありがとな」
『ギギャギャ』
頭を軽く撫でるとリブゴンは嬉しそうに目を細めた。
「それにしてもリブゴン。お前が字を書けるなんて知らなかったよ。いつの間に覚えたんだ?」
『ギギギ?』
首をかしげるリブゴン。
「まあ、いいけどさ。それより腹減ったな。俺、昼ご飯にするけど、リブゴンはどうする?」
訊ねると、リブゴンはテーブルの上のボールペンを持ち上げて、メモ用紙に何やら書き始める。
見ていると、リブゴンはメモ用紙に[そうめん? ]と稚拙な文字ながらも丁寧に書き上げた。
「ああ、そうめんだ。貰い物が沢山あるからおかわりし放題だぞ」
『ギギッギィ』
続けてリブゴンはボールペンを動かして今度は[たべる]と書き記す。
「そっか。じゃあ用意するから待ってろ」
そうして俺はキッチンへと向かい、俺とリブゴンの分のそうめんを作り始めた。
リブゴンの言わんとしていることはなんとなく分かるようになってはいたが、それでも筆談が出来るというのはかなりありがたい。
実際そのおかげで、今井さんはリブゴンと初対面にもかかわらず、ばっちりコミュニケーションが取れたわけだしな。
それに――
「へー、ハイゴブリンっていうのか。あの背の高い奴」
『ギギャ』
リブゴンの書いた文字によって、ダンジョン内にいた背の高いゴブリンの名前も明らかになった。
「あいつに弱点とかはあるのか?」
俺はそうめんをすすりながら訊くが、
『ギギャギャィ』
どうやらそれは知らないらしく、リブゴンは申し訳なさそうに首を横に振った。
「そっか。まあ、リブゴンにも知らないことはあるよな。全然気にしなくていいからな」
『ギギャ』
そこで俺は今井さんが家まで届けてくれた進路希望調査表に目がいった。
そのプリントを取り上げ、
「あー、これ今週中に提出だってさ」
『グギギ?』
「ああ。だから本当は休むつもりだったけど明日は学校に行ってくるよ」
リブゴンにそう伝える。
「そういうわけだから、悪いけど明日はダンジョン探索は休みだな。リブゴンは自分のもといた世界でゆっくりしていてくれ」
『ギャギャッギャ』
俺の目を見てこくこくとうなずいてみせるリブゴン。
話の分かる奴で助かる。
その後、三十分ほどで食事を終えた俺たちは、少し休憩をとったのち、裏庭へと赴いた。
そして通算四度目となるダンジョンアタックを開始した。
「じゃあ親父、俺学校行ってくるから」
「進路調査票ちゃんと持ったか?」
「ああ持った。じゃ行ってきますっ」
俺はその日は親父より早く家を出た。
もちろん学校へ行くためだ。
本当はしばらくの間は学校に行くつもりはなかったのだが、今井さんにわざわざ進路希望調査表を届けてもらったのだ。
これを無視して学校を休むことなど俺には出来ない。
何を隠そう、俺は今井さんのことが気になっているのだからな。
リブゴンはもといた世界に送り返してあるから問題はない。
とはいえ、向こうではどんな生活をしているのか。そもそもリブゴンがいた世界はどんなふうになっているのか、俺はまったく知らないでいる。
今度暇なときにでも訊いてみるかな。
そんなことを考えながら学校へと歩を進めていると、
「おっす、比呂!」
正面の横断歩道で待ち構えている奴がいた。
そいつは俺を見るなり、声を大にして手を上げる。
「よお桑原」
俺は返事をするとそいつのもとに駆け寄っていく。
桑原雄介。
幼稚園の頃からの幼なじみで、腐れ縁の友人である。
軽薄そうな顔をしているが、それでいて実はなかなか義理堅い男でもある。
「比呂、お前二日も学校休んで何してたんだっ? サボりか?」
「別にどうでもいいだろ。それよりお前だって朝練はどうしたんだよ。この時間はいつもサッカー部は朝練があるだろ」
うちの学校のサッカー部は練習が厳しいので、毎朝授業が始まる前に走り込みをしているはずなのだが。
「へっへー。今日は休みだよ休み。顧問の村越が昨日ぎっくり腰になったとかで当分の間は朝練は無しなんだぜっ。いいだろっ?」
「そう言われてもな。俺はもとから部活に入ってないから全然関係ないけどな」
「へっ、帰宅部はこれだから。そんなんだといつまでたっても彼女なんか出来ねぇぞっ」
「帰宅部と彼女となんの関係があるんだよ」
たしかに俺に彼女はいないが、桑原に言われると妙に腹が立つ。
そもそも桑原だって今までに一度も彼女が出来たことなどないくせに。
だが桑原はしたり顔で俺にこう言った。
「バカだなぁ比呂は。いいか、よく聞けよ。部活に入ってりゃ女子マネージャーと接する機会があるだろうが。そんでもって話してるうちに徐々に仲良くなっていって、最終的には付き合えたりするだろっ。そういうチャンスをお前はみすみす逃してるんだぞ、バカがっ」
「はいはい、俺はバカですよ」
それでも俺は万年最下位のお前と違って、学年トップクラスの成績なんだがな。
と口にしようかとも思ったが、口やかましく突っかかってこられるのが面倒だったので、黙っておくことにした。
「それでよ、あいつなんて言ったと思うっ? 傑作だぜ」
「さあ、なんだろうな」
「ちゃんと考えろって。比呂お前ならわかるはずだぜ。ほらほらっ」
男の割におしゃべりな桑原の話を右から左に受け流しながら、俺は教室の扉を開ける。
すると、クラスの奴らが一斉にこっちに顔を向けて、それから俺と桑原だとわかると、興味なさげにまたもとの体勢へと戻った。
俺も桑原もクラスのヒエラルキーは決して上の方ではない。
まあ、かといって底辺というわけでもないのだが。
客観的に見ておそらく三軍か、よくて二軍ってとこだろう。
なので、俺たちが教室に入ったところで、特段クラスが沸き立つということはない。
だが、今井さんなら話は別だ。
すべての面において圧倒的一軍女子なのだからな。
しかも、それでいてクラスの全員に分け隔てなく接するのだから、そりゃあみんなから好かれるに決まっている。
とその時だった。
俺が席に着いたと同時にクラスの中の雰囲気が一変した。
いつものことなので今さら驚きもしないが、一応顔を上げてみる。
するとやはり、教室の前の扉から今井さんが教室に入ってきたところだった。
「おはよう今井さん」
「今井、おはよう!」
「今井ちゃん、おっはー!」
「茜、おはよう~っ」
クラス中の視線を一身に浴びつつ、全員の声に「おはようっ!」と返していく今井さん。
そういうところもまた謙虚で好感が持てる。
するとその矢先、今井さんと目が合った。
その直後、今井さんはみんなの視線を集めたまま、「やっほー比呂くん! おはようっ!」と元気よく俺のもとへと駆け寄ってきた。
ここで念のため説明しておくと、俺と今井さんは普段はほとんど話したりはしていない。
軽い挨拶や必要最低限の伝令など以外ではほぼほぼ話したことなどないのだ。
俺のことを比呂くんと名前で呼ぶのも特別仲がいいからというわけではなく、そういう人なのだ、今井さんは。
なので俺と今井さんが二人きりで内緒話をするなどということは、まずあり得ないことだと言えよう。
そんな間柄のはずの俺に、今井さんは満面の笑みで近寄ってきてこうささやいた。
「ちょっと二人だけで話したいから、階段の踊り場に行こっ」と。
そして、今井さんは俺の手を取って歩き出す。
俺は内心どぎまぎしていたが、それを顔には出さず、平静を装って今井さんについていく。
それを周りで見ていた男子生徒たちは全員、俺に対して射殺すような視線をぶつけてきていたが、俺は素知らぬ顔でそのまま教室をあとにした。
ちなみにその時の桑原は、鳩が豆鉄砲を食らったようなひどく間抜けな顔をしていて、それはそれは傑作だった。
「リブゴンちゃんは元気にしてる?」
階段の踊り場までやってくると、今井さんは掴んでいた俺の手を放し、そんなことを訊ねてきた。
俺は「ああ、うん。元気だよ」と返しておく。
実際はリブゴンは向こうの世界に戻っているため、元気かどうか確かめようがないのだが、まあいいだろう。
「そっか、よかった~。あっ、それでね比呂くんっ。わたし昨日あのあとお母さんとお買い物に行ったんだけど、そこで生地を買ったのね。それでその生地が余ったからわたしこんなもの作ってみたんだけど、リブゴンちゃんにどうかなぁっ?」
言いながら今井さんはスカートのポケットから赤い布切れを取り出した。
それを俺に差し出してくる。
「えっと……これ、なに?」
「え? スカーフだけど。うそ、ごめん、スカーフに見えない?」
「あ、いや、見える見えるっ。よく見たらスカーフだねこれっ。うん」
「よかったぁ。わたしお裁縫の練習してるんだけど、あんまり得意じゃないから、自信なかったんだよね、実は」
「あー、そうなんだ」
……スカーフ?
俺は今井さんの手の中にある赤い布切れをじっとみつめるが、それはどう見てもただ布地を適当にカットしただけにしか見えないのだが……。
しかし、もちろんそんなこと口が裂けても言えはしないので、俺は、
「うんうん、きっとリブゴンも喜ぶと思うよ。ありがとう今井さんっ」
と話を合わせておいた。
「えへへ、そうだと嬉しいな。じゃあこれ、リブゴンちゃんに渡しておいてね」
「あ、ああ、わかった」
今井さんは俺の手を握って、もう片方の手で俺の手のひらの上にスカーフらしきものをそっと置く。
そして立ち去ろうとするも、立ち止まり、
「あっ、それとまた遊びに行ってもいい?」
今井さんは上目遣いでそんなことを訊いてくる。
「あ、うん、もちろんいいよっ」
当然のごとくそう答えた俺に、今井さんはにこっと微笑み「ありがとっ!」とくるりと反転して、スカートをひるがえしつつ階段を上っていった。
俺はそんな今井さんの後ろ姿を見送りながら、自分の手に残った今井さんの手の感触をそっとかみしめていた。
「よし、進路希望調査表も先生に提出したし、帰るとするか」
当初の目的は果たせたので、これでまた当分の間は学校を休めるな。
俺はつぶやくと、帰り支度をして早々に教室を出る。
帰り道、俺は今井さんから預かったスカーフを手に今井さんの顔を思い浮かべた。
そして、今井さんも苦手なことがあったんだな。と妙に親近感を抱きつつ、俺は歩を速めた。
「ただいまー……って誰もいないんだよな」
家に上がると二階の自室へと向かい、カバンを置いてラフな服装に着替える。
今井さんからもらったスカーフを机の上に置いて、俺はベッドに横になった。
「はぁ~なんか疲れた」
結局今日は一日中、男子生徒たちからにらまれていた気がする。
やはりそれだけ今井さんは人気があるということだな。
部屋の時計を見上げると時刻は午後三時五十分。
親父が帰ってくるまではまだ時間がある。
「夕飯の準備の前に少しだけ寝るか……ふあぁ~ぁ」
俺は大きなあくびを一つすると、寝返りを打ってそのまま仮眠をとるのだった。