第7話
「リブゴンっ、大丈夫かっ! リブゴンっ!」
その場にしゃがみ込んだ俺は、地面に横たわるリブゴンに声をかけた。
すると、その声に反応して『グギギャ……』とリブゴンが起き上がる。
どうやら気絶していただけで、致命的なダメージは負っていないようだった。
「リブゴン、さっきの奴は今のお前と同等か、それ以上かもしれない。確実に勝つためにはもっと強くなる必要があるぞ」
『ギギャギャ!』
こくりとうなずくリブゴンの目はまったく死んではいなかった。
むしろ闘志に満ちあふれていた。
よかった。リブゴンがやる気を失っていたらどうしようかと思ったが、それは杞憂だったようだ。
「さて、じゃあ一旦回復するためにお前を向こうの世界に送り返すぞ。でもそのあとまたすぐに召喚するからな、待ってろよ」
『ギギャギャ』
「よし、リブゴン行くぞ」
そう言って、俺は指をパチンと打ち鳴らそうとした。
まさにその時、
「ねぇ比呂くん、その生き物なに?」
俺の背後から突如、凛としたそれでいて可愛らしい声が降ってきた。
俺は慌てて振り返り見上げる。
とそこにいたのは、
「い、今井さんっ!?」
中学の同級生の今井茜さんだった。
「な、なんで今井さんがうちにっ……!?」
「なんでって、わたし学級委員だから比呂くんに進路希望調査表を届けに来たんだよ。今週中に提出しないと駄目なんだって。ほら、比呂くん、昨日も今日も学校休んだでしょ」
「あ、ああ、そ、そうだったんだ……」
「今日は短縮授業だったから、家に帰らないで学校からそのまま比呂くんちに来たんだよっ」
「あ、ありがとう……」
今井茜。
俺のクラスの学級委員であり、俺が通う中学の生徒会長でもある。
文武両道、才色兼備。先生たちからの信頼も厚く、全校生徒憧れの存在だ。
ちなみに俺も密かに気になっているのだが、当然今井さんはそんなことは知らない。
「ねぇ。ていうか、その緑色のってなに? 生きてるのそれっ?」
今井さんがリブゴンを指差し訊いてくる。
マズい……。
今井さんにリブゴンを見られた。
ご、ごまかさないと……。
「え、えっと、生きてるわけないでしょ。これおもちゃだから」
「おもちゃなの?」
「ああ、そうだよ」
「ふーん、でもなんか喋ってたよね?」
煙に蒔こうとするも、今井さんはくらいついてくる。
「いやいや、喋るっていうか、そういうおもちゃだから。今時のおもちゃは喋るからっ」
「そうなんだぁ。ふーん」
納得しているのかいないのか、今井さんは興味深げにじろじろとリブゴンを観察する。
リブゴン、もう少しだけ動かないでいてくれ。
おもちゃのフリをしていてくれ、頼む。
俺はリブゴンに視線を向けながら、それとなく目で合図を送る。
それを受け、リブゴンは了解したとばかりにウインクをしてみせた。
それがマズかった。
「あっ! 今ウインクしたっ!」
その瞬間を今井さんは見逃さなかった。
フィギュアのように固まっていたリブゴンに顔を近付け、
「ねぇ、きみ! 今ウインクしたでしょ! 絶対したよね! っていうか今もわたしと目が合ってるじゃん! ねっ?」
とたたみかける。
今井さんの圧に耐えきれなくなった様子のリブゴンは、助けを請うような目を俺にそっと向けた。
それを見てさらに今井さんが驚きの声を上げる。
こうなってしまったらもう今井さんは止められない。
今井さんは学級委員も生徒会長も文化祭実行委員も体育祭の実行委員長も何もかも自ら立候補している。
いわば好奇心と積極性の塊のような人なのだ。
そんな人に興味を持たれてしまったら、もうどうしようもない。
「ねぇ、どういうことなのこれっ? 比呂くん、この生き物なにっ? っていうかここで何してたのっ? ねぇ比呂くんっ」
リブゴンから俺に向き直った今井さんは、今度は俺に質問攻めをしてきた。
顔をぐっと寄せてくる今井さん。
「わ、わかった。話すからちょっと離れてっ……」
「なになに、なんかすっごい面白そうなんだけどっ。わたしにも教えてよっ。ねぇ比呂くんってば!」
目の前数センチの距離で瞳をきらきらと輝かせる今井さんに、俺はどう対応したらいいかわからずしどろもどろになっていた。
この時の俺はパニック状態だったので、きっとかなりぎこちない顔をしていたに違いない。
「へー、モンスターにダンジョンねぇ。すごいな~っ、まるでアニメの世界みたいじゃん!」
ここはうちのリビングルーム。
今井さんに落ち着いて説明をするため、とりあえず家に上がってもらったのだった。
その今井さんはというと、俺の前でソファに座りながら、テーブルの上のリブゴンをくりっとした大きな瞳でみつめている。
「で、この子が比呂くんが召喚したモンスターなんだよね? 可愛いぃ~っ」
リブゴンにそっと手を近付け、人差し指でリブゴンの顔をつんつんと触る今井さん。
非常に愛らしい光景だ。出来ればずっと見ていたい。
「お名前はなんていうのかな? きみ喋れる?」
今井さんはリブゴンに顔を寄せ話しかけた。
それに応えるようにリブゴンは『ギギャギャ』と返す。
「ギギャギャちゃんていうの?」
「あー、違う違う。名前はリブゴンだよ。そいつはギギャギャとかギギギとかしか喋れないんだ」
「へー、そうなんだ」
すると突然リブゴンが、テーブルの上に置いてあったボールペンを拾い上げた。
そしておもむろに、その横にあったメモ用紙の上でペンを動かす。
「何やってるんだ? リブゴン」
俺の問いかけにリブゴンは無言のまま、せっせとペンを走らせていく。
俺と今井さんはその様子をただじっと眺めていた。
リブゴンはしばらくしてペンをテーブルの上に置く。
そして満足げな顔を俺と今井さんに向けながら『ギギュギャギュ!』と足元のメモ用紙を指差した。
それを見て、
「おおっ。リブゴンお前、字なんて書けたのかっ?」
「すごーいっ、リブゴンちゃんっ!」
俺と今井さんは声を上げた。
そう。リブゴンはメモ用紙に自分の名前を日本語で書いてみせたのだった。
幼稚園児が書いたような乱雑な文字ではあったが、たしかにメモ用紙には[りぶごん]と書かれていた。
「リブゴン、お前いつの間に字なんて書けるようになったんだよ。それも日本語でなんて、すごいじゃないかっ」
「リブゴンちゃんって頭いいんだねっ!」
『ギャギャギャ!』
得意げに胸を張るリブゴン。
褒められてよほど嬉しいのだろう、緑色の頬がやや朱色に染まる。
そんなリブゴンに今井さんは、
「わたしは今井茜だよ。比呂くんのお友達なの。よろしくねリブゴンちゃんっ」
と手を差し出した。
リブゴンはその手に触れながら『ギギャッギャ!』と笑顔で発した。
リブゴンのことをかなり気に入ったらしい今井さんはそのあと、俺のことはそっちのけでずっとリブゴンと二人で会話を楽しんでいた。
リブゴンもまんざらではない様子で今井さんとの会話に花を咲かせていた。
まあ、会話といってもリブゴンは筆談だったのだが。
そして一時間ほど経った頃だろうか、思い出したように今井さんが「あっ」とつぶやく。
「どうかした? 今井さん」
俺が訊ねると、
「今日、学校から帰ったらお母さんと買い物に行く約束してたんだった。すっかり忘れてた!」
慌てて立ち上がる今井さん。
早々と帰り支度を済ませて、
「ごめんね比呂くん、ついついリブゴンちゃんとの話が楽しくて居座っちゃってたっ。わたしもう帰るねっ」
俺に顔を向ける。
さらにリブゴンにも「じゃあまたね、リブゴンちゃん!」そう言ってから玄関へと急いだ。
俺は靴を履いている今井さんに、
「今日はありがとう、進路希望調査表。俺んち遠いのにわざわざ悪かったね」
再度お礼を伝え、
「ううん、とっても楽しかったよっ」
「じゃあまた学校で」
「うん、また学校でね! ばいばい比呂くん、リブゴンちゃん!」
リブゴンとともに玄関で今井さんを見送った。
そして玄関の扉が閉まったのを確認してから、俺は足元のリブゴンに視線を落とし、
「リブゴン、今日はよくやったぞ」
とだけ告げた。