第19話
地下九階に足を踏み入れると、そこには縦にも横にも大きな、ゴブリン種最上位のモンスターであるキングゴブリンが待ち構えていた。
キングゴブリンはリブゴンの姿を見るなり、
『グガァァァーッ!』
と咆哮を上げる。
それだけで大気がビリビリと震える感じがした。
戦わずに逃げられるのならばそうしたいところだが、あいにくリブゴンのいる場所は通路の行き止まりで袋小路だった。
脱出するには目の前のキングゴブリンを倒すしかない。
「リブゴン、気を付けろ! あいつの攻撃は絶対にくらうなよ!」
『ギギギャ!』
キングゴブリンは異様に発達した太い腕を持ち、そこから繰り出されるパワーはほかのどのモンスターより桁違いだとリブゴンからは聞いている。
その上、キングゴブリンはかなり大きな金棒を手にしている。
あんなので殴られでもしたらひとたまりもないだろう。
だからこそ、俺はリブゴンに慎重になるよう声をかけたのだった。
体格的に不利なリブゴンとしては素早い動きでかく乱したいところだが、通路が狭いためそれもままならないように見える。
リブゴン、頼む。
俺は祈るような気持ちで戦いを見届ける。
とその時だった。
先に動いたのはキングゴブリンの方だった。
『グガァァァーッ!』
右手に持った金棒を大きく振り上げ向かってくるキングゴブリン。
リブゴンはその動きを見極めようと、あえて身動きせずにキングゴブリンを凝視する。
『グガァァァ――ッ!!』
振り下ろされた金棒がドゴン!! と地面を粉砕する。
それをジャンプで回避していたリブゴンは、その勢いのままキングゴブリンの顔を、
『ギギャッ!』
蹴り飛ばした。
『グガァッ……!』
リブゴンの蹴りをまともにくらったキングゴブリンは、大きな巨体を揺らして倒れそうになるも、なんとか足を踏み出してこれを耐える。
『グガァ、グガァ、グガァッ……』
殺意のこもった目でリブゴンをにらみつけてくるキングゴブリン。
口から流れ出た血を腕で拭ってからそれを目にして、『グガァァァァアーッ!!』と怒りに任せたように大声で吠えた。
かなり頭に血が上っているようだ。
一方のリブゴンはいたって冷静にキングゴブリンを見据えていた。
「いいぞリブゴン! その調子だ!」
『ギギギャ!』
キングゴブリンからは目をそらさずに、俺に返事をしてみせるリブゴン。
俺の応援にも自然と熱が入る。
「お前なら勝てる、勝てるぞリブゴン!」
『ギギャギギャ!』
するとキングゴブリンは右手で持っていた金棒を両手で持ち直した。
そして、
『グヘヘヘ……』
と不敵な笑みを浮かべる。
正直言ってかなり不気味だ。
と次の瞬間だった。
キングゴブリンが口から、血の混ざった唾を吐いた。
予期せぬ行動にリブゴンは不意を突かれ、その唾を浴びてしまう。
『グギャッ……!?』
「リブゴンっ!」
リブゴンが浴びた唾はキングゴブリンの血液が混ざっていて赤かったので、リブゴンの視界が閉ざされてしまった。
もちろん視覚を共有している俺もまた、前が見えなくなってしまう。
「リブゴン、盾でガードだ! キングゴブリンが襲ってくるぞっ!」
『ギ、ギギャ!』
俺の声に反応しそう答えるリブゴンだったが、いまだ視界は開けていない。
そんな中、
『グガァァァーッ!!』
キングゴブリンの声が聞こえてきた。
と同時にリブゴンが『ギギャッ……!』と悲鳴を上げる。
「だ、大丈夫かリブゴンっ! リブゴン返事をしろ、リブゴンっ!」
『グ、グギギィ……』
リブゴンの声が耳に入ってくる。
目も見えるようになってきた。
「リブゴン、平気かっ?」
『ギギギャ……』
どうやらあまり平気ではなさそうだ。
今もなんとか立ち上がっているという感じで、身体がふらついている。
視線もいまいち定まっていない。
「リブゴン、薬草を使うんだっ!」
いざという時のためにと、とっておいた薬草だが、今使わなくていつ使う。
俺はリブゴンにそう進言した。
それを受けリブゴンは、
『ギギャギャ』
布の袋の中から薬草を取り出しむしゃむしゃと食べ始める。
さらにそれだけでは回復したりなかったのか、ポーションも取り出すと一気にそれを飲み干した。
空になったボトルを放り捨てて、リブゴンはキングゴブリンに向き直る。
『ギギャギャギャ』
『グヘヘヘ……』
キングゴブリン。
これまで出てきた敵モンスターとは段違いに強い。
やはり一気に最深部まで駆け抜けるというのは無理があるのか……。
俺は不安に駆られていた。
だがリブゴンは諦めてなどいなかった。
俺の心情を知ってか知らずか、
『ギギャギャーッ!』
リブゴンは声を大にしてキングゴブリンに飛びかかっていく。
『グオォォーッ!!』
キングゴブリンが振るった金棒を空中で上手くかわし、回転しながらシャムシールでキングゴブリンの腕を斬りつける。
ザシュッという小気味のいい音がした。
着地してから見上げると、キングゴブリンの右腕からは大量の出血が。
「ナイスだリブゴンっ!」
『ギギギャ!』
リブゴンはまだ戦う気だ。
全然諦めてなどいない。
だったら俺も諦めるわけにはいかないだろう。
なぁ親父。
「行くぞリブゴン! キングゴブリンにぶちかましてやれぇっ!」
『ギギャッギャーッ!』
俺の声援を後押しにして、リブゴンはキングゴブリンの顔面めがけ飛びかかっていった。
そして、
『グガァァァ――ッ……!』
次の瞬間、リブゴンの手にしていたシャムシールはキングゴブリンの右目深く突き刺さっていたのだった。
キングゴブリンの悲鳴がダンジョン内に響き渡る。
右目を潰されたキングゴブリンは、ふらふらっと体を揺らしたかと思ったその直後、前のめりに地面に倒れ込んだ。
その衝撃で地面が大きく揺れる。
「や、やった、やったぞリブゴンっ!」
『ギギギャギャ!』
薬草とポーションは消費してしまったが、リブゴンはなんとかキングゴブリンを打ち倒すことに成功したのだった。
キングゴブリンが煙となって消え去ったあとには大きな魔石が残されていた。
「リブゴン、それは食べてもいいぞ。せっかくリブゴンが決死の覚悟でキングゴブリンと戦ったんだからな。それは勝利の証だ」
『ギギャッギャ!』
時間は惜しいが、見たこともないほどの大きな魔石をみすみす見逃すのはもっと惜しい気がした。
なので俺はリブゴンにそう声をかけた。
『グガァ……』
リブゴンはその大きな魔石を飲み込もうとするが、大きすぎてとてもじゃないが丸飲みするには無理がある。
そこでリブゴンはそれをガリガリと歯で砕きながら少しずつ食べていった。
「美味しいかリブゴン?」
『ギギャギギャ……』
「そっか、まあそれは我慢してくれ」
キングゴブリンの残した魔石は決して美味しくはないらしい。
だがしかし、リブゴンはそれを時間をかけてなんとか食べ切った。
そのおかげでリブゴンのレベルは飛躍的に上がる。
「ふぅ。それにしても地下九階に来た途端、敵が急に強くなったな。ここからが正念場だ、気合い入れていこうなリブゴン!」
『ギギャッギャ!』
こうしてレベルが26に上がったリブゴンは、嬉々として袋小路からの脱出を果たした。
それからも何体かのキングゴブリンと遭遇したが、いちいち戦っていては体力と魔力が持たない。
そこでリブゴンにはキングゴブリンの相手はせずに逃げるよう進言した。
幸いキングゴブリンたちの動きはのろかったので、そのすべてからリブゴンは逃げ切ることが出来た。
そして――
目の前には地下十階へと続く階段がある。
「覚悟はいいなリブゴン。ここからはさらに強敵が待ってるはずだ」
『ギギャ』
「でも最深部に行くには避けては通れない。行くしかないぞリブゴン」
『ギギギャ』
リブゴンは気合十分、元気よく返事をしてみせた。
「よし、じゃあ行こうかリブゴン!」
『ギギャッギャ!』
大きくうなずいたリブゴンは地下十階へと颯爽と下りていく。
ダンジョンの地下十階。
そこは一面水が張ってあって、まるで湖のようだった。
水面はリブゴンの腰の高さほどまであって、思うようになかなか前に進めない。
また霧のような靄も出ていて見通しも悪い。
少しでも早く下へと行きたいところだが、否応なく慎重に進まざるを得ない。
そんな中、リブゴンは水中を水をかくようにして前に進む。
体力をちょっとずつ削られながらもそうして通路を前へと移動していると、
『ブオォォォーン!』
ざっぱーんと水中からモンスターが現れ出た。
そいつは半魚人のような姿をしたモンスター、ギガントサハギンだった。
ギガントサハギンは水かきのついた手に、大きく長いヤリを持ち、それをリブゴンに向けて構える。
大してリブゴンもシャムシールを握る手に力を込め、いつでも迎え撃つ態勢を取った。
するとギガントサハギンが突如水中に潜った。
そして物音一つしなくなる。
ギガントサハギンは泳ぎがとても上手く、波音を立てないで素早く泳げる。
一方のリブゴンは水のせいで身動きが上手く取れないでいる。
地の利はギガントサハギンの方にあった。
「リブゴン、目を凝らして水の中をよく見るんだ!」
『ギギャギャ!』
水面に映る影は素早く移動していて、なかなか動きをとらえきれない。
そんなリブゴンをあざ笑うかのように、ギガントサハギンはリブゴンの周りをぐるぐると泳ぎ回る。
『ギギャ!』『ギギギャ!』
リブゴンもシャムシールを振り回しなんとか攻撃を当てようとするも、それは水を切るだけでギガントサハギンには当たらない。
時間とともに疲労が蓄積していくリブゴン。
「大丈夫かリブゴン! 落ち着いてよく見ろ!」
『ギギィ……』
こんなところで時間を稼がれてはマズい、とリブゴンは焦っているようだった。
さっきのキングゴブリン戦の疲れもあって、リブゴンの体力はかなり減っている。
俺はそんなリブゴンに「ゴブリンヒールを使うんだ!」と声をかけた。
それを受けリブゴンは『ギッギャッギャ!』とゴブリンヒールを唱え、体力を回復させる。
そのことでやや落ち着きを取り戻したらしいリブゴンは、再度目を凝らして水の中のギガントサハギンの動きに注意して見る。
『ブオオォォーン!』
ざぱーんと水中からヤリを突き出してくるギガントサハギン。
それを紙一重で避けたリブゴンは、シャムシールを横に振るってギガントサハギンのヤリをはじき飛ばすことに成功した。
『ブオォッ……!?』
『ギギャッ!』
続けざまリブゴンはギガントサハギンの顔めがけてシャムシールを振り下ろす。
『ブォッ……!』
その攻撃はギガントサハギンの額をかすめただけにとどまった。
ギガントサハギンは悲鳴を上げつつ水の中へと避難する。
「よし、それでいいぞリブゴン! 時間は惜しいが、敵は強いんだ。時間をかけて確実に仕留めよう!」
『ギギャギギャ!』
本当は無視して先に進みたいところなのだが、こう水が一面に張っていてはギガントサハギンからは逃げ切れないだろう。
だからこそここで迎え撃つしかないのだった。
とそこへ、
『ブオオォォーン!』
またもギガントサハギンが水中から飛び出してきた。
と思いきや振り返るとそれはミニオクトパスというモンスターだった。
ミニオクトパスを一刀両断にしたリブゴンだったが、どうやらそれは囮だったようで、背後から突然現れたギガントサハギン。
いつの間にかの拾い直していたヤリの一撃がリブゴンの背中を貫通した。
『ギギャッ……!?』
「リブゴンっ!」
完全に背後を取られたリブゴンはヤリが体に突き刺さったまま水の中に沈んでいった。
「リブゴーンっっ!!」
ギガントサハギンのヤリによる一撃をくらって水中へと沈んでしまったリブゴン。
俺はもう駄目かと諦めの気持ちでいた。
ギガントサハギンも勝利を確信し、『ブオォッ、ブオォーッ!!』と雄たけびを上げている。
だがリブゴンは諦めてなどいなかった。
水中で体に刺さっていたヤリを引き抜いてから、ゴブリンヒールを二回唱え、体力を全回復させた。
怪我も疲労もすべて元通りだ。
水中から勢いよく姿を現したリブゴンを見て、
『ブオォッ……!?』
ギガントサハギンが驚愕の顔を浮かべた。
『ギギギィ』
『ブ、ブオォ……』
死の淵から甦ったかのごとくリブゴンの目には復讐の炎が宿っている。
それを目の当たりにしてギガントサハギンは恐れおののき、あとずさる。
『ギギギャッ!』
リブゴンは高く跳び上がると、ギガントサハギンから奪ったヤリを投げ放った。
それを間一髪回避するギガントサハギンだったが、再び顔を上げた時にはリブゴンの持ったシャムシールが眼前まで迫っていた。
そして――
『ギギャッ!』
『ブゴォォッ……!』
リブゴンはギガントサハギンを頭から真っ二つに斬ってみせたのだった。
水面がギガントサハギンの血で赤く染まり、流れゆく。
そのあとにはやはり大きな魔石が残されていた。
それを水中から拾い上げたリブゴンは、ガリガリと食べ始めていく。
それによりリブゴンのレベルはまたもやアップする。
ついでとばかりに、ギガントサハギンのヤリももらっておいた。
さらに先ほど倒していたミニオクトパスの残した魔石もいただいたリブゴンは、通路を先へと進んでいく。
しばらく進んで、前方に何やら壁のようなものが見えてきた。
近付いてみるとそれは、四方を高い壁で取り囲まれていた階下へと続く階段だった。
『ギギャッ』
喜びの声を上げるリブゴン。
「よし、次は地下一一階だ! この調子でどんどん行こうなリブゴン!」
『ギギャッギャ!』
こうして高い壁を跳び越えたリブゴンは、その勢いのまま地下十一階へと下りていった。