第17話
――ダンジョンの地下八階。
眠りガスを吸うこともなく地下八階へと下り立ったリブゴンは、口元を覆っていたスカーフをずらして辺りを見回した。
そこでリブゴンの目に飛び込んできたのは、大きな体をしたモンスター、ミノタウロスだった。
リブゴンに気付いたミノタウロスは大きな斧を手に、
『グッグッグ……』
こちらへと歩み寄ってくる。
リブゴンに事前に教えてもらっていた話では、ミノタウロスはかなりの強敵だということだった。
「リブゴン、気を付けるんだぞ!」
『ギギャギャ!』
リブゴンの返事からもなんとなく緊張感が伝わってくる。
やはりそれだけ油断できない相手ということなのだろう。
『グッグッ……グガァァッ!』
ゆっくり歩いていたと思ったら突如、ミノタウロスが駆け出した。
大きな体に似合わずなかなかに素早い動きを見せるミノタウロス。
そのままの勢いで突進を仕掛けてくる。
リブゴンは盾を前に出してこれを受け止めた。
だがスピードの乗った巨体に後方へと吹き飛ばされてしまう。
地面を転がるリブゴン。
「リブゴン前だ! 前を見ろっ!」
顔を上げたリブゴンの目の前には斧を振り下ろすミノタウロスの姿があった。
っ!!
これをとっさに横っ飛びで避けるリブゴン。
地面には斧で出来た大きな穴が開く。
『ギギギィ……』
『グッグッグッ……』
「リブゴン、今度はこっちから仕掛けるんだ!」
『ギギャッ!』
俺の声を受け、リブゴンは地面を強く蹴るとミノタウロスに向かっていく。
逆手に持ったシャムシールを追い抜きざま横に振るう。
『グガァッ……!』
その攻撃がミノタウロスの腹を斬り裂いた。
血が乱れ飛び、苦悶の表情を浮かべるミノタウロス。
「ナイスだ、リブゴン!」
『ギギギャッ!』
リブゴンは攻撃の手を休めようとはせず、振り返るとミノタウロスに飛びかかった。
苦痛に顔をゆがめているミノタウロスの心臓部分にめがけて、リブゴンはシャムシールを突き出す。
『ギギャッ!』
『グゴォォッ……!』
見るとリブゴンのシャムシールは見事にミノタウロスの心臓を貫いていた。
引き抜くと同時に飛び退くリブゴン。
ミノタウロスはどすーんと地面にうつ伏せになって倒れ込んだ。
そしてそのまま息絶えたようで、煙となって消えてゆく。
地面に残った魔石を拾い上げ、それを口へと運ぶリブゴン。
満足そうに『グップ……』とつぶやき自らの腹をポンと叩いた。
「やったなリブゴン! ミノタウロスを倒したぞ!」
『ギギャッギャ!』
ミノタウロスは強敵のはずだったが、今のリブゴンにはそれをいとも簡単に倒せるだけの実力が備わっていた。
リブゴンと一緒ならば、本当にこのダンジョンの最深部にあるという黄金の聖杯を手に入れられるかもしれない。
俺はミノタウロスとの戦いを見てそう感じていた。
地下八階の探索をひと通りし終えた頃だった。
「おーい、比呂ー! そろそろ夕飯の時間だぞー!」
もう帰宅していたらしい親父が、俺を呼びに裏庭へとやってきた。
「あ、もうそんな時間かっ……ヤベ、夕飯の支度まだしてないやっ」
「心配するな。今日はわたしが用意しておいたから大丈夫だ」
と親父がしたり顔で言う。
「そっか。悪いな親父。ダンジョン探索に夢中になってて気付かなかったよ」
辺りはもう薄暗くなっていた。
俺はずっと目を閉じていたため、そんなことにも気付かなかったようだ。
「じゃあ待ってるからな。すぐ来いよ」
「ああ、わかった。サンキューな親父!」
親父の背中に声を飛ばした俺は、再び目を閉じてリブゴンに話しかける。
「リブゴン、そろそろ今日のダンジョン探索は終了にしようか。俺は家に戻るけど、リブゴンはどうする?」
『ギギッギ』
「リブゴンも自分の世界に戻ってもいいし、そのままダンジョンにいてもいいぞ。お前が決めてくれ」
『ギッギャギャ……』
俺の言葉に頭を悩ませるリブゴン。
ダンジョンの地下八階まで潜るにはそれなりに時間がかかる。
なので出来ればこのままダンジョンに居続けた方が、ダンジョン探索は効率よくはかどるだろう。
ただ、体力や魔力は一度もとの世界に戻らないと全回復しないので、長い目で見れば一度戻った方がむしろ効率はいいのかもしれない。
多分そのようなことを考えつつ、リブゴンは『ギギャギャ~……』と声を発している。
そんなリブゴンに俺は優しく声をかける。
「一旦戻るか? その方が安心だろ」
すると、
『ギッギャ!』
リブゴンは勢いよくうなずいてみせた。
最終的にはリブゴンも俺と同じ考えに行きついたようだった。
「じゃあ戻すからな……ウレクイエムロボロスっ!」
俺は呪文を唱えてリブゴンを地上へと舞い戻らせた。
続けて指をパチンと打ち鳴らして、リブゴンを一旦もとの世界へと送り返す。
目の前からリブゴンが消えたのを確認した俺は、
「さてと、夕飯にするかな」
立ち上がり、家へと戻るのだった。
「順調そうだな比呂。今どれくらいまで進んだんだ?」
テーブルを挟んで向かい側に座る親父が、ご飯を口に運びながら訊いてきた。
「今日は地下八階まで探索し終えたよ」
「本当かっ!? すごいじゃないか比呂っ!」
ご飯粒を口から飛ばしつつ親父が驚きの声を上げる。
「おい、汚いだろ。ご飯粒飛ばすなよな」
「あー、悪い悪い。ついな」
「まったく……別にそんな驚くことじゃないだろ。毎日毎日ダンジョンに潜ってるんだから」
なんだかんだでダンジョン探索を始めてからもう一ヶ月くらい経とうとしている。
それで地下八階というのは俺からしたら驚くようなことではない。
というよりむしろかなり遅いペースなんじゃないかと思っているくらいだ。
だが、それは俺の思い違いだったようで、
「そんなことはないぞ比呂。わたしが子どもの頃は二ヶ月かかって地下六階までしか行けなかったんだからな」
「え、そうなのかっ?」
「ああ。しかもわたしは父さんからその頃、学生は学業に専念しろと言われてしまったからな。結局わたしが行けたのは地下八階までで、下りて早々ミノタウロスに襲われて逃げ帰ったんだ。わたしとドランはそれっきりダンジョンには潜っていない」
というようなことを親父は口にする。
「そ、そうだったのか……じゃあ地下八階でミノタウロスを何体も倒したリブゴンは相当すごいってことなのか……?」
「ああ、そういうことだ。もうわたしのドランよりリブゴンくんの方が確実に強くなっているだろうな」
「へー、そうか」
てっきり親父は俺なんかよりもっと下の階に潜ったことがあると思っていたから、正直面食らってしまった。
しかしこれは朗報かもしれない。
もしかしたらダンジョンの最深部とやらは、俺が思っていたよりもずっと、手が届くところまで近付いているのかもしれないのだからな。
「まあ、とはいえだ。わたしは比呂に学校を休んでいいとは言ったが、さすがにもう一ヶ月経つ。中学校は義務教育だからな、あまり長く休ませるのは親としてもどうかと思うんだ」
「お、おいおい、親父、何を言う気だよ……」
「だからだな、そろそろお前も学業に専念し直した方がいいんじゃないかと思ってな」
「いやいや、何を今さらっ。もしかしたらもうすぐそこまで黄金の聖杯が迫ってるかもしれないんだぞ。それにそもそもダンジョンの話をしたのは親父の方だろうがっ」
俺は親父の言葉を受けてつい感情的になってしまう。
「ああ、そうだな。わたしが話した。だが今のお前は中学生だ、こう言っちゃなんだが自立もしていない。そうなるとやはり今の比呂が第一にすべきことは勉強だろう」
「だからって……」
「それに最近友達とも全然会えていないんだろう。それはさすがにどうかと思ってな。一度しかない中学生活をずっと家で過ごしていていいものなのかとな」
「いや、それはそうかもしれないけどさ。でも――」
「そういうわけだから、明日を最後にしよう。な? 明日ダンジョンに潜って、それで最深部まで行けなかったら終わりだ。きれいさっぱり諦める。いいな?」
「そんな……」
「はい、ごちそうさま。じゃあわたしは風呂に入るからな。比呂はゆっくり食べるといい」
それだけ言い残すと、親父は席を立ってリビングルームから去っていってしまった。
一人残された俺は、持っていき場のない感情を胸の内におさめたまま、ただただ目の前のテーブルの上に置かれた空の茶碗を見続けることしか出来なかった。