第1話
「うちの裏庭にはダンジョンがある!」
とある日曜日、自室で惰眠をむさぼっていた俺を無理矢理たたき起こした親父が、開口一番そんなことを口にした。
おいおい、マジかよ。勘弁してくれ。
ボケるにしても早過ぎるだろ。
たしか親父はまだ五五歳くらいだったはず。
ボケるならせめて俺が社会人になってからにしてくれよ。
「比呂、なんだその可哀想な者を見るような目は」
「親父、今日はゆっくり休んだ方がいいぞ。っていうか病院いくか? 俺ついていってやろうか?」
「こら、勘違いするな比呂。手を放せ。わたしはいたって正気だ」
肩を支えて部屋から連れ出そうとすると親父がそれを振りほどいて言う。
「うちの裏庭にはダンジョンがあるんだ」
またしても俺の目を見据えてそんなことをのたまう親父。
正気の沙汰じゃない。
「親父、疲れてるんだろ。会社しばらく休んでいいぞ」
「やめろ、額に手を当てるなっ。わたしは大真面目なんだっ」
「大真面目に言ってるんだとしたら余計怖いぞっ。マジで親父どうしちゃったんだよっ!?」
俺は思わず悲鳴のような声を上げた。
ちなみにここはド田舎の人里離れた一軒家なので、俺がいくら大声を出しても近隣住民の迷惑にはならない。
「とりあえず落ち着くんだ比呂。いいか、わたしがこれから話すことはすべて事実だ。だから黙って聞いてくれ、頼む」
真剣な眼差しでみつめてくる親父に気圧され、俺は仕方なく口をつぐむ。
そして親父が語り出した話に俺は耳を傾けた。
親父の話は十分ほど続いた。
その間ダンジョンがどうとか、モンスターがどうとか、魔石がどうとか、とにかくわけのわからないことを延々と語っていた。
俺は気が変になりそうだったが、頭の中で素数を数え続けてなんとかそれを回避した。
「どうだ? 理解してくれたか?」
親父はじっと俺の目を見てそう問うてくる。
それに対し、「親父やっぱりおかしいって。病院に行こう」と、のどの辺りまで言葉が出かかったが、ここで変に親父を刺激しない方がいいかと思い直し、
「ああ、理解したよ」
と答えておいた。
すると親父は安心した様子で、「そうか。それならよかった」とつぶやきながら俺の部屋を出ていった。
「はぁ~、まいった……こんな時、お袋がいればなぁ」
天井を見上げ、今は亡きお袋の顔を思い浮かべる俺だった。
――それでこの話は終わりだと思っていたのだが、その翌日。
「比呂、起きてるかっ。早速ダンジョン探索開始だ!」
俺が自室で制服に着替えていると、親父がノックもせずドアを開け、言い放った。
「は? な、なんだよいきなり……」
「昨日話しただろう。ほら、早く行くぞっ」
親父は有無を言わさず俺の手を掴むと引きずるように歩き出す。
なんという馬鹿力だろうか。
「ま、待てって。とりあえず服着させてくれったら! おい親父っ」
「お前が服を着ていようがいまいがどっちでもいいだろ。どうせダンジョンに潜るのはモンスターなんだからなっ」
「だから何言ってんだよ、さっきからっ……!」
俺を家の外に連れ出しながら意味不明なことを口走る親父。
やはり医者に診せないとマズいぞこれは。
「ほら、ここだここっ」
裏庭に回ると親父はようやく俺の手を放してくれた。
だがその親父は地面にぽっかりと開いたウサギの巣みたいなものを指差し「これがダンジョンだぞ!」としたり顔を俺に見せてくる。
お袋、助けてくれ。
親父はかなり体格がいいので俺が力ずくで言うことをきかせるのは難しい。
なので俺はひとまず親父に話を合わせながら、さてどうしたものかと考える。
とりあえず親父の弟の和彦叔父さんの協力を仰ぐか、それともいっそ救急車を呼んでしまおうか、などと頭を悩ませていたところ、突然親父が「見本を見せてやる」とか言い出した。
そして何を血迷ったのか、親父はポケットから取り出した果物ナイフで自分の親指の腹をスッと切ったのだ。
もちろん親指からは血があふれ出て、それが地面にポタポタと落ちる。
「おい何やってんだ親父っ!? イカレてんのかっ」
「何って、使役するモンスターの召喚の下準備に決まっているだろう」
「はぁっ!?」
ついに親父はトチ狂ってしまった。
俺の目の前で自傷行為をしたと思ったら、モンスターを召喚するとか言って何やらぶつぶつとつぶやき始めた。
もう駄目だ。俺には手が付けられない。
この時の俺は、さぞ絶望に打ちひしがれた顔をしていたことだろう。
まだ家のローンも残っているはずなのに……この先、ボケてしまった親父と二人、どうやって生活していったらいいんだ。
しかし、次の瞬間だった。
俺ががっくりと肩を落としていると、
ボフンッ!
小さな爆発音が耳に入ってきた。
何事かと顔を上げると、親父の足元には魔法陣のような紋章が浮かび上がっていて、そこには体長一〇cmほどの小さなドラゴンがぷかぷかと宙に浮いていた。
「な、な、な、なんだそれっ!? なんなんだよそのドラゴンみたいなやつはっ!?」
「わたしのモンスターだ。名前はドランというんだ、カッコイイだろ」
親父は白い歯を覗かせニカッと笑う。
「モ、モンスター……? い、生きてるのか、それ……?」
「当然だろ。わたしが今の比呂くらいの歳だったか、その時にこのドランがダンジョン探索を手伝ってくれていたんだからな」
そう言われてドランとやらは気恥ずかしそうにはにかんだ。
「な、マ、マジかよ……し、信じられねぇ……」
「なんだ比呂。お前、わたしの話を信じてなかったのか? 昨日あれだけ説明しただろう」
庭にダンジョンがあるなんて話、普通に考えて信じられるわけないだろ。
「まあいい、これで信じてもらえただろうからな。お前もそろそろ一五歳だ、ダンジョンについて話してもいい頃合いだと思ってな」
親父はドランに顔を向けると指をパチンと打ち鳴らした。
すると直後、ドランが煙のようにボフンッと消えた。
「わたしが父さん、つまり比呂のおじいちゃんから聞いた話では、ダンジョンの最深階にはどんな願いも叶えてくれる黄金の聖杯ってやつが隠されているらしい。わたしは結局そこまでたどり着くことは出来ずに諦めてしまったんだが、比呂にはそれを是非ともやり遂げてもらいたいと思ってるんだ」
「はぁ……」
「とりあえずこれを渡しておく」
そう言って親父は俺に一枚のメモ用紙を手渡してくる。
見るとそこには文字がびっしりと書かれてあった。
「ダンジョンについてわたしが知っていることを箇条書きにしてみた。きっと役に立つから読んでみろ」
親父は俺の肩にそっと手を置くと、
「じゃあわたしは仕事に行ってくるからな。比呂はしばらく学校は休んでいいぞ、ダンジョン探索に専念したいだろ」
そう言い残し車に乗って出かけていった。
俺はメモ用紙を手に、親父の乗った車が見えなくなるまでただその場に立ち尽くしていた。