第二話
次の出会いはそれから数ヶ月経ってからだった。
家で仕事をしていると、幼馴染で地元の出版社に勤める隆行から電話がある。
「何?仕事?」
僕は片手でコーヒーメーカーを操りながら彼からの電話の内容を聞く。仕事の合間にコーヒーを飲む。だいたいが一日中、パソコンの前でキーボードを打っているのが仕事だから、気分転換に幾度となく、コーヒータイムを取る。
でも、今日はもうこれで6杯目だ。いいかげんにしないとと思いながら、無類のコーヒー好きだから仕方ない。このサントス、うまいな。どこの豆だっけ。
「・・・で、出来る?」
「ああ、明日、社の方へ寄るわ。」
そう言って電話を切る。
電話の内容は、地元のフリーペーパーに載せる記事の事。その地元紙には“匠に会いたい”という、地元出身、または地元で活躍する芸術に携わる人や、いろんな技術職の人など、個性、才能豊かな人たちをひとりずつピックアップするコーナーがある。来月号のその記事の取材兼原稿書きの仕事だ。
僕は数年前、勤めていた出版社を辞め、今はフリーのライターをやっている。隆行は幼馴染ということもあって、こうやってちょくちょく仕事をくれる。
次の日、隆行の職場を訪ねると、今回の取材する“匠”さんのプロフィールを手渡された。それがあの彼だった。
「この人、知っているよ。」
そう言うと、
「あれ、何?面識あるの?だったら丁度いいや。」
隆行は満足そうな顔を僕に向けた。
約束した時間に彼の店を訪ねた。彼の店は市内でもいちばん賑やかな繁華街の真ん中に位置した。歓楽街の近くで、スナックやバーなどの飲み屋さんが多い。このあたりの花屋は真夜中まで店を開いていることが多い。胡蝶蘭や大輪のバラなどの華やかな商品を揃えているところが多く、華やかな感じのお店が多い。彼の店もそんな感じなのかな。この辺りなら、ホステスやママさんに持っていく花束や、高級な蘭などの鉢物がよく出るんだろうな。そう思いながら、店の前まで来て拍子抜けしてしまった。
ベージュを基調としたシンプルな外観の店で、賑やかな繁華街とは似つかわないような気がした。でもシンプルな中にも店の窓枠やドアの取っ手、店の外に並べられた鉢植えなどのディスプレイなどにもセンスの良さが感じさせられる。
(へえ、おしゃれだこと。)
パリの街角の一角にでも立っているような気分がした。通りに面して広く取られたガラス窓が開放的な感じがした。外から店の中の花々が並んだ様子を一瞥した後、ドアを押して中に入る。店の中も黒とベージュで統一され、シックな感じがした。
「いらっしゃい。」
店の奥から出てきた彼は、僕の顔を見て、
“おや?”という顔をしたが、次の瞬間にははちきれんばかりの満えんの笑みを浮かべて、
“あなたでしたか。あの出版社にお勤めで?”と、僕に椅子を勧めてくれた。
へえ、覚えていてくれたのか。あのほんのちょっとしたわずかな時間の出会いを彼は覚えていた。そのことに僕はちょっとびっくりした。勧められた椅子に腰掛けながら、フリーのライターなのでいろんなところから仕事を頂くので・・・と言うと、“そうですか。”彼は大きなよく通る声で頷いた。
僕がその時、あれ?と違和感を感じたのは、店のシックな、どちらかというと暗い感じのする内装と、彼の朗らかな性格の相反するぎくしゃくとした感じだった。
でも、まあ、若い人のセンスってこんな感じなのかなと、10歳は下であろう彼の年齢を思った。考えてみるとさほど気に留めることでもあるまい。僕は早速取材を始めた。
「お若いのにすごいですね。」
挨拶の後、彼に僕はそう声をかけた。というのも、事前に渡された彼のプロフィールを見てびっくりしていたからだ。
若いのにこんな繁華街の一角に自前の店を持つこともさながら、その華々しい経歴に。
フローリストの専門学校を卒業した後、イギリスとフランスに数年ずつ留学。その後、都内の老舗花店で修行した後、この浅見に店をオープンした。名立たるフラワーデザイナーの登竜門である数々の花関連のコンテストでも優勝しているし、NFD(社団法人日本フラワーデザイナー協会)の正会員で、この近隣の県を統括する支部長を務め、県内にあるフラワースクールの講師も努めている。隆行に言われて初めて知ったのだが、この世界で彼の事を知らないものはいないらしい。そんな有名な人物とは全く知らなかった。彼に憧れてこの花の世界に足を踏み入れる若者も多いらしい。
僕の賞賛の言葉に、彼は困ったように首を振った。初めて会った時にもらった名刺にはこんな経歴などひとつも載っていなかった。
“何故?”
と聞くと、
“僕は一介の花屋です。それで充分です。”
と恥ずかしそうに微笑んだ。その時、ふと彼の人柄が好きだなと、好ましく感じた。
順調に取材は進んでいき、今回の記事のメインテーマ“匠さんのチャレンジ”の話を聞くことにする。
彼が県内の若いフローリストと作る“旬”というワークショップ。その次回の展示会についての話を聞く。彼らはいろんな場所での花によるパフォーマンスや、イベントなどを本業の傍ら行っている。花のある生活をひとりでも多くの人に楽しんで取り入れてもらおうというのがその狙いのようだ。その活動の一環として、年に一回、県内の数ヶ所のコンベションホールで自らの作品を展示するイベントを行っている。
僕も一度見に行った事があるが、その作品のどれもが力強く、または優しげに、生き生きとし、まるで生命の鼓動がすぐ近くまで聞こえてくるような若さと命の輝きが溢れる素晴らしい作品の数々で、見に訪れる多くの人たちを魅了していた。中でも、メンバー全員で手掛ける活動の集大成ともいえる大掛かりな作品がとても見ごたえがあり、あれだけでも一見の価値があると思っていた。その頭、リーダーがこんな柔らかい物腰の明るい青年だとは思わなかった。芸術性の高い作品の数々から思われるのは、もっと気難しい芸術家肌の、一般人にはとっつきにくいタイプの人物だと勝手に想像していたからだ。
そう言うと彼は笑って、
“作品と人物像ってイコールしないのかなあ。”などと楽しそうに僕の問いかけに答えた。
あれこれと1時間ほどの取材を終えて、いい記事が書けそうですと彼の手を握り、店を後にしようとした。
ふと、店のバックヤードに目をやると、油紙や新聞紙の包みが見えたので、
「あれは花ですか?」
と聞くと、さっき仕入れたばかりでこれから水揚げをするんですと、彼は言った。取材のために作業が遅れさせてしまったかと思い謝ると、別にいいんですよ。ひとりでぼちぼちやっているだけですから、などと言う。
“店はおひとりでやってみえるんですか?”と尋ねると、時折忙しい時だけ来て貰うスタッフがいますと彼は答えた。こんな仕事は華やかな面だけがクローズアップされがちだが、本当は結構力仕事だし、地味な作業もあるに違いない。華やかな表の仕事と違う裏方の仕事にも僕は興味を持ち、作業を見てもいいかと聞くと、彼は心安く“どうぞ、どうぞ。”と言ってくれた。
バックヤードには、色とりどりの花やグリーンや枝物があった。花には疎い僕にはバラと菊くらいしかわからないけど、いろんな種類の花があるんだなあと感心して眺める。
早速、店のカウンターで包みを広げ、水揚げ作業を始める。
彼は手際よく葉をむしり、専用の道具を使ってバラの棘を取り、水切りをし、次々と花瓶に水を張り、花を放りこんでいった。
その手際のよいこと、早いこと。まるでマジックを見ているようだ。マジックと言えば、作業をしている間にも次々と客が訪れるが、その対応の早いこと。動じることもなく彼は客の注文を聞き、順番に応対をしている。客とにこやかに話をしながら、キーパーの中から花を選び、選びながら手の中で花を器用に組み、花束を作る。シックな色合いのセロファンやネットを使いあっという間にラッピングを済ませる。その手際の良さとセンスの良さにため息が出る。アレンジも同様だ。
「ははは。修行時代はよくオーナーに、アレンジは器を選びオアシスを入れるところから計って5分で作れ、とよく言われましたが。」
彼は笑う。
5分だって。僕だったら花を選ぶだけで20分くらいかかりそうだ。それに、近所の商店街の花屋の親父が作る、祝いの時の紅白の饅頭のような赤と白のカーネーションをあしらったダサい花束やアレンジメントフラワーしか知らなかった僕には、こんなセンスのよい優雅な世界があるのかとびっくりした。
「やはりセンスの良さが勝負ですか?」
と聞くと、
「どうですかね。花の良さを引き出してやれるのが一番じゃないのかな。」
と彼が答える。
でもやっぱりこういう仕事って感性というかセンスが物を言うんじゃないのかな。
少し経って客が途切れたので、それを見計らって合間に又作業を再開する。カウンターの脇で鍋に湯を沸かし始めた彼を、何をするのかなと思い見ていると、ガーベラの束をいきなり煮え立った湯の中に突っ込んだ。
「えっ。何をするんですか?」
びっくりして声をあげると、
「湯揚げですよ。」
と彼は笑った。
水の上がりにくいものは、熱湯に一瞬茎を浸してから水に入れる。そうすると水がよく上がるらしいのだ。
「そうですか。ああ、びっくりした。」
「花を煮て食べるのかと思いました?」
「いや。」
僕らは顔を見合わせて笑った。急に気安い雰囲気になった僕らは、プライベートな話もおりまぜながら、いろんな話しをした。そうこうしている間にも客は途切れることなく訪れ、彼が客の対応をしている間、僕は花の葉をむしったりして、水揚げ作業を手伝った。
“手伝わせて悪いですね。”
“いや、別にいいですよ。”
と笑うと、
“今度、飯でも行きましょう。”
などと彼が言う。人懐こい男だなと、ますます好ましく思う。ほどなくして客が途切れると、彼はコーヒーを入れてくれたのでそれを飲みながら聞いてみた。
「この仕事の魅力って何?」
「そうですね。花を見ていると、命ってはかないんだなって思うんです。」
急にしんみりとした口調に変わる彼に、又違う一面を見たような気がした。
「でも、はかないって美しいとゆうことだと思うんです。いずれ消えてなくなる。または時が経つとともに変化していくもの。それはとても不安定なものです。花はそういったことを知っている。だから美しい。」
美しさとははかなさだと彼は言った。でも、人の内面から出てくる美しさとか輝きって、自分の内に信じるものとか、人にはあまり言うことをしない秘密みたいなものとか、そんなものを持っていることによって、にじみ出てくるものなのかなと、彼を見てそう思った。
「花の形や色などは時の移ろいと共に変化していく。時が経てば葉や花びらが落ち、しおれて枯れていく。美しさを誇れる時間は短い。だからこそその美しさをどこまで保てるか。どうやったらそれぞれのその花の美しさや魅力を、生きている命のみずみずしさを引き出してやれるのか、表現してやれるのか。そのために花の角度や向き、生け方、あわせる花器なんかを考える。こうやって水揚げするのも、その花が最大限に生を生きられるようにしてやるものだからとても大事な作業だし。そういったことをするのって僕にとっては楽しいし、何だかそういうのって人が生きていくのに似ているような気がするんです。」
「へえ、人の生き方に似ている?」
「ええ、人って自分の存在価値を探し、自分の個性や生き様をいろんな形で表現し、伝えようとする。そんなものに似ているような気がするんです。」
「なるほどね。水沼さんにとっては、それが花の仕事なんですか。」
「まあ、そうなんでしょうね。」
あと、水沼さんなんていいですよ、瞬次で。彼は柔らかい表情でそうつけ加えた。
ひととおり花の水揚げも終わり、彼が店内にそれらをディスプレイするのを見ていた。
花の形や高さ、色などを見ながら、どうやって配置すれば店内が美しく見え、花々が生きてくるのか彼にはよくわかっているようだ。そう言うと、作業しやすいこともポイントなんですよね。と笑った。店内の飾り付けを見ていて気づいたことがあった。
「水沼さんって。」
苗字で呼びかけた僕を、彼がたしなめるように見つめたので、言いなおして、
「いや、瞬次君はブルー系統の花が好きなんだね。」
「まあ、どうも自分の好きな花ばかりを仕入れてしまって。」
彼は笑いながら、この濃いブルーはベラドンナ、薄い方はデルフィニウム、それにラクスパー、ニゲラ、このちっちゃいのはブルースター。ブーケに入れると綺麗なんですよね。そう、花の名前を教えてくれた。
花器に盛られたブルーからパープルのグラデーションの花々が上品で美しい。他には白やワインなどシックな色の花が多い。中でも目を引いたのはカウンターの脇にひっそりと丸い素焼きの壺に生けられたダークブラウンのコスモスだった。しっとりとした質感の、まるでビロードの肌地を思わせる花びらと、じっくりと焼かれたような濃くて深い茶色の色が印象的だ。
「珍しい色ですね。これコスモス?」
「チョコレートコスモスっていうんです。」
チョコレート?
僕が珍しそうに花に顔を近づけると、匂いをかいでみてください、と瞬次君が言う。言われたとおりに鼻先をその花びらに近づけてみると。
驚いた。
何だかほのかに甘い香りがする。
「いや、びっくりした。本当にチョコレートのような匂いがするんだね。」
珍しいでしょう?
瞬時君はチョコレートコスモスを数本取り、セロファンにくるみラフィアで縛って僕に手渡してくれた。
“いや、そんないいですよ。”
と遠慮すると、
“どうぞ、お土産です。”
“僕の好きな花なんです。”
そう言って。